●カレーディン, セルゲイ Kaledin, Sergei
「ささやかな墓地」 Smirennoe kladbishche. Novyi mir, No.5, 1987.
「建設大隊」 Stroibat. Novyi mir, No. 4, 1989.
解説 高木美菜子
1.作家について
Sergei Evgen'evich Kaledin。1949年生まれのロシア人。9年生で留年したのち放校となり、検定によって卒業資格を得て、1年半夜間の通信大学で学ぶ。兵役義務にしたがって2年間従軍した際には希望して建設大隊へ。除隊後は文学大学に入学し、最終的には通信制の文芸評論のコースを修了した(78年頃)。墓地では一年半働いた経験をもつ。作品の背景から判断すると、おそらくモスクワの出身。
主要作品
Smirennoe kladbishche. Povest'. Novyi mir, No. 5, 1987. pp. 39-81.
Koridor. Sbornik povestei. 1987.
Stroibat. Novyi mir, No. 4, pp. 59-89.
Smirennoe kladbishche. Stroibat. Povesti. Moscow, Sovetskii pisatel'- Olimp, 1991. p. 196.
Pop i raboinik. Stseny iz prikhodskoi zhizni. Povest' 1991.
S. Kaledin(ed.) Poslednii etazh. Sbornik svremennoi prozy., Moscow, Kn. Palata, 1989.
2.作品について
・『ささやかな墓地』
モスクワにある墓地の墓掘り人夫の、耳を疑うような日常を描いた11章だての中編小説。構成をも考察できるよう、以下章ごとに内容を追う。
(エピグラフ) プーシキン『エヴゲーニ・オネーギン』第8章タチヤーナの台詞からの引用「……ささやかな墓、いまでは十字架と木の枝があるばかりの」
(1章) 墓地で働いて8年になる腕のいい人夫 Vorobei が相棒の Misha に教える墓掘りの奥義が、会話と語り手によって披露される。一方 Vorobei は今日の午後検察庁に出向かねばならず、動揺している。彼は万が一の場合を考えて、司祭に金をあずけ、妻に月々送金してくれるようにと頼む。その際司祭がお祈りをしてくれるが、墓で働いているにもかかわらず、彼は司祭の手に口づけをする祈りの礼儀さえ知らない。
(2章) 墓掘り人夫の Kutia は戦勝記念日の夜を戦死した仲間の墓で過ごす。翌日彼はパレードと称して2匹の犬に仮装させて通りをあるき、飲んだくれて無断欠勤。検察での結果を知るため出向いた Vorobei の自宅で留守番をしていた妻の友人の女性とかわす会話のなかで、 Vorobei はかつてアルコールにおぼれ、刑事事件を起こし、いまは酒をひかえているが、妻はいまもアルコール中毒で、そのためか息子は障害を持って生まれたこと、この女性は Vorobei の弟(兄)の婚約者だったが実現しなかったことなどが語られる。
(3章) Vorobei は起訴は免れないが実刑にはならないだろうと言われて検察を後にし、Misha が夜に働いているゲルツェン博物館をたずね気を紛らすが、我に返って帰宅する。
(4章) この墓地ではとんでもないことが習慣になっている。墓標を彫る際には古い墓標をうまく使い回し、埋葬の後でさらに別料金を課す。墓地を掘るときには土の中から金歯などを見つけだしては現金化する。時には別人の墓を掘ってしまう。供えられた花は持ち出して市場で売る。あるいは何かにつけて「こころざし」が受け取れるようにしむける。その金は「国庫」に入れて相棒と分配(不平等)するしきたりだが、Misha が老婆から騙し取ったうえ、 Vorobei にも嘘をついたと口論していると Stasik が「審査」をやろうと提案する。 Misha は青ざめ、かつて目にした「審査」の様子を描写する。他方 Vorobei は母親の墓標を眺めながら、癌で早くになくなった母親のことや、自分がワルになって何度も補導され、父親の希望で少年院へ入れられたこと、2年前にはドミノの口論から喧嘩になって死者を出し、一年前には実の弟(兄)に頭の骨を折られ、一命はとりとめたものの難聴になったことなどを回想する。
(5章) 嘘をついたことに怒った Vorobei に金を投げつけられた Misha は、怯えきって仕事をやめようとするが、翌日誕生祝いをするのでシャシリクの材料を買ってくるようにと彼に言いつけられ、そのままになる。昼休みに鐘楼から町を眺める Vorobei が過去をふりかえるというかたちで、母が死んだ後父親は新しい女のところへ行き、兄弟ふたりが残されたことなどが語られる。だが今は幸せだ、と彼は考える。ただ裁判が気がかりだが、もしうまくいけば別荘を買って、妻と息子を療養させたいという希望を持っている。
(6章) Stasik の小屋で Vorobei の30歳の誕生日を祝う。集まった人々について Misha の視点から描写がされるが、たとえば Stasik は、かつては中学で数学を教えていたが、長期間刑務所に入っていたなど、明るい話題はない。この席で Vorobei は管理職の Petrovich に2週間の休暇をくれと頼む。本来は休暇の取れない時期だが、裁判の結果がどうなるかわからないので、家族と過ごしたいという。
(7章) Misha が墓地内で仕事をしているところへ見知らぬ男がたずねてくる。文化省がとっておいた「無縁墓」に新しい墓標があるとの苦情。これは Vorobei が留守のあいだに Misha が同僚たちと埋めた物だが、知らぬふりをする。
(8章) 31日の未明。休暇を終えた Vorobei は Misha が居候している祖母の部屋をたずねる。湖の土産のスズキを持参し、ウハーを作る。ここで、なぜ墓掘り人夫になったかという問いにたいしてMisha は、偶然通りかかったときに誘われ、昼間は暇だったからと答える。すでに墓地周辺の悪徳組織にも出入りしている。祖母には建設現場で働いていると言ってある。 Vorobei はかつて住宅公団で配管工をし、軍隊に従軍し、畑仕事や、アイスクリーム売りをするなかで、墓掘りの仕事に巡り会ったのだと話す。目覚めた祖母が甘いジャムをくれると、話題は飛び、自分の妻は戦争で母親をなくし、施設で甘い物を知らずに育ったので、甘い物に目がない、彼女は自分と出会って1年半のうちに酒におぼれ、すでに腎臓をやられ手遅れだなどと語る。 Vorobeiは Misha に自分の写真を与え、裁判にむかう。
(9章) 裁判所で、執行猶予1年半との判決がいいわたされる。耳が悪い Vorobei は事態がつかめず、緊張したまま下をむいて座っている。判決のなかでは、酔っぱらって「事実上の妻」を強姦し、かけつけた隣人に怪我をおわせたことが起訴理由として明らかにされる。処遇が軽いと喜ぶ妻の横で、Vorobei は気を失う。
(10章) Vorobei と Misha のところへ老人が猫の死骸を持ってきて、自分には家族がいないから母親の墓に猫を埋めてくれと頼むが、追い返す。話のついでに Vorobei はこの墓地内に自分が「無縁墓」を持っていることを Misha に話す。死にかけて入院していたときに Petrovich が用意してくれた由。あと半年で定年になる Kutia が、無断欠勤を理由に免職にされたと聞き、 Vorobei は直訴にいくが、仕事が滞っているとしかられ、棺を埋葬する。花を供えたり、最後のお別れを指示したりするのも、教会ではなく墓掘り人夫が取り仕切る。 Misha は相棒が入りそこねた墓のことを吹聴して笑いものにし、それを知った Vorobei は殺すぞとすごみ、 Misha は逃げ出す。
(11章) 前月、やくざ者に埋葬を迫られた Petrovich は「例外」を受け入れ、違法な墓をVorobeiに掘らせた。それは、デカブリストの記念碑を建てるために3年前に文化省が撤去の予定を組んだ「無縁墓」だった。そこで上級機関の手入れが入り、全員が事務所に集められる。ひとり Misha はいない。尋問の緊張がつづくなか、Vorobei は上司や仲間をかばって自分がやったと「自供」する。その後自宅で妻と Kutia と三人で飲んでいる。入院後は飲酒を禁じられている体であり、危険な状況に陥る。 Vorobei は墓地に残してきた仕事を Kutia に伝え、任せると言い、まだ飲もうとする。死ぬ気であることを察した Kutia が止めようとするが、制する妻の手から瓶を奪い、口へ運ぶ……
・『建設大隊』
軍隊の「建設大隊」を舞台にした6章構成の中編小説。「建設大隊」は、首が曲がっている、目が悪いなどの肉体的事由や、ラーゲリ出身、ユダヤ人、ドイツ人、ジプシーなどの出自を理由に、いわゆる余計者が集められる部隊で、そこへ飛び込んだモスクワ出身の文学青年 Kostia が体験する・ェ隊第4中隊第1小隊第2分班の日常が描き出される。
3月、部隊は東シベリヤのとある町の都心からバスで20分ほどの所に駐屯している。その町は都心に石油コンビナートがあるため汚染がひどく、クル病の子どもが多く生まれる。コムソモールではなく、一般の囚人が建設した町だという。「建設大隊」送りになった役人たちは、スターリン時代の特権を懐かしんでいる。
先月パン工場で運搬作業をしていたとき、Kostia はビスケットの箱をきちんと運ばなかったところを警備兵に見とがめられ、中隊長 Doshchinin に、裁判にかけるか、四つの分隊の便所掃除を担当するかという選択を迫られた。分班長の Zhenia に相談すると、これを機に3人の班員を除籍し、便所掃除に送ると告げられた。Kostia のおかげで、ジプシーとモルダビアの混血である Nutso、カルパチア出身のユダヤ人で目が悪い Fisha もお払い箱になったのだった。このふたりは農村の出身で、よく働き、とくに Fisha は女はもちろん酒や煙草にもほとんど手を出さない。一方 Kostia は軍勤務でない Tania と親しくし、軍の図書館で働く Liusia と上官 Zhenia の仲を取り持ち、月60ルーブリの給金は酒につぎ込み、Finia には80ルーブリほども借りがある。そのうえ、同郷のモスクワ出身で総合受け付け事務所長の Valerka には逆らえず、酒代を工面させられている。支給日に女に会いに出かけたため受け取っていないところへ翌日金を作れと彼に命じられて、考えあぐね、金を出さないとユダヤ人排斥運動を助長するだけだぞと Fisha を脅し、金を出させる。だが、根は臆病で、悪辣ではない。バイオリンやピアノも習いモスクワで音響技師をしていたことのある Kostia は、人混みは好まず、ひとりビートルズやストーンズのテープを聞き、軍の図書館で文芸雑誌を読み、詩をよみ、日記を付けるような青年である。大隊のなかで開かれているロシア語講座では講師も勤め、Fisha はその生徒でもある。
あるとき、ブリヤート人の少尉 Shamshiev 一家がやってきて、つづいて Brestel' が分班長、第一小隊長と昇格するにあたって、大隊の様子が一変する。エストニア人の Brestel' は、頭が鈍く、ロシア語も下手で、Kostia と並んで地面を掘っていた一年前には、ノルマは達成せず、ウォッカを飲み、仕事をさぼって泳いだりしていた。ところがトントン拍子に昇格し、今では伍長の地位にある。
Kostia が所属する第4中隊から脱走者が2名あり、イルクーツクで捕まえられ、陣営内で「特別裁判 ― 40」が行われる。当初5年と3年の求刑であったが、弁護人の主張によって刑期は短くなり、さらにそれぞれの被告の希望をきいて、ラーゲリ3年および「差別大隊」2年が宣告される。裁判の際、Kostia は Brestel' に命じられて Doshchinin がタイプした起訴文を読み上げるが、「きびしい刑罰を求めます」というくだりは小声になり、やり直しを命じられる。
Kostia の除隊の日が近づいた。Fisha も Nutso も同様らしい。帰郷の前日には、曹長への昇進が決まった Valerka のところで存分に飲み、夜には Zhenia や分班の仲間、そして男装した Liusia とともに、麻薬の類のものを楽しむ。Kostia は仕事をしている仲間の Fisha と Nutso に悪いと思い、手伝いに行こうとするが、Zhenia にたしなめられ、そのまま宴会に参加し、夢見心地で、笑い、詩をよむ。Zhenia は寝ている班員をふたり起こして Fisha と Nutso をよびに行かせることにする。そのとき、気分が悪くなった Liusia がもたれ掛かっていた窓ガラスが割れ、ろうそくも倒れ暗くなる。騒がしさに目を覚ました第2小隊の Kunik が Zhenia に宴会をやめろというが、聞かないので起きてくる。Zhenia に明かりをつけろと命じられた当直の Babai は、寝ぼけて起床のかけ声をかけ、明かりをつける。
もう一枚の窓ガラスが反対側からベルトで割られたらしい。Kunik が号令をかけ、第4中隊の兵舎は騒然とする。外に人影がある。外に出ようとした Kunik は肩をやられて血を流し、「第2中隊のならずものめ!」と断じ、ジャージを着ずにベルトを持って広場に整列するよう第4中隊に号令をかける。制止しようとした Brestel' は頭を殴られ、Zhenia や仲間も後につづく。彼らはビートルズの曲をかけて志気を高め、「ならず者=刑事犯」達がいる第2中隊の兵舎に向かう。Nutso も広場におり、本性をあらわにして Kunik に取り入っている。彼が言うには、Fisha は Valerka に命じられて、営倉に入れられている兵士たちを連れにいったらしい。
仲間たちが、シャベル、鉄骨、ベルトを武器に戦うなか、Kostia は物陰に隠れて逃げつつ、死ぬかと思う体験を二度する。第2中隊が兵舎へ引き上げはじめた頃、茂みに隠れていた Kostia は近くで銃声をきく。営倉の兵士が茂みに連れ込まれ、取っ組み合いの末に殺された様子。その場には Nutso の姿があり、「Fisha、行くぞ」という彼の声がした。
翌朝、窓ガラスが割れた件と、営倉の兵士が殺害された件について取り調べが始まる。誰が指揮したのかという問いに誰も答えず、当直の Babai が咎められる。特別委員会による取り調べの際、Kostia の上着に茂みにいた証拠が発見される。だが、それは見逃される。そこへ Babai が自殺未遂をしたという知らせが入る。
Babai の父親らしき老人が大隊を訪ねてくる。中央アジア系の民族らしく、ロシア語は通じない。戦争で片足を失ったらしい老人は、裁判の結果を待つようにと言われ、座してひたすら祈る。
すでに切符を受け取っているので帰郷したいという Kostia は、かたがつくまで返せないという取り調べ官とのやりとりのなかで、Nutso は帰郷できる予定だと知り、Fisha がやったのではないかと口にする。実際は Kostia たちを守ろうとして誤って殺したらしいのだが。
そして Kostia は、建設大隊で功労があったことを記したモスクワ大学への入学推薦状を手にして帰郷する。
3.コメント
カレーディン作品の登場人物たちは、社会の底辺あるいは周縁にある「余計者」であり、一般的な目で見れば不幸な人々である。彼らの不幸は、恋愛や家庭生活における不幸せな状態とは次元を異にする。そして、なぜこれほども不幸せなのかと原因を考えさせる材料は与えられず、あるがままの、受け入れるほかない現実として、淡々と描き出される。歴史を見据えスターリン時代の虐殺や戦争の傷跡について触れることは忘れないが、カレーディンはもはやそれが不幸の主要な原因になる時代ではないという認識に立っているようだ。そして、読者には不幸にうつる人物も、わずかながら希望をもち、そして現に「生きて」いる。たとえば「ささやかな墓地」の主人公 Vorobei の生涯は、母を亡くし、父に捨てられ、実の兄弟と殺しあいの喧嘩をし、妻をアル中にし、喧嘩で人を殺し、自身も障害者となるなど悲惨なものだが、それでも墓掘り人夫としては才能を発揮して働き、別荘を購入して妻と障害児の息子を療養させたいという希望をもっている。「建設大隊」でも、つねに虐げられて不遇であり、不幸な結末を迎える Fisha は、ロシア語や工学を学びたいという希望をもち、そのために不遇に耐えているようなところがある。
カレーディンはまた、道徳あるいは社会のモラルに光をあてている。いかに不遇であっても、Vorobei も Fisha も道徳心は失わない。モラルから逸脱するのはどん底にある人々ではなく、逆に「ささやかな墓地」の Misha や「建設大隊」の Kostia など、ある程度教養があり、不遇とはいえないような人物である。道徳心は教養の有無に左右されるわけではない。このふたりは、おのおの全編をとおして作者の姿が投影された人物だと思われるが、その彼らをある種否定的に描くことによって、作者自身の価値観を表現しているのだろう。
文体は口語体で、俗語が多用されている。また、それぞれの専門用語が常用され、とくに「ささやかな墓地」は、(軍隊の用語と違って)ほとんど文学に描かれない墓掘りの用語が散りばめられ、難解である。なお、実際の現場では mat も使用されていると憶測するが、この2作品では用いられていない。逆に、「Bog=神」に関連した挿入句を好んで用いている。これらは慣用表現にすぎないが、mat が用いられる可能性のある箇所に配置されている。mat を活字に出来なかったという時代背景もあるが、教会への傾倒を示す、カレーディンのひとつの姿勢であろう。
作品の形式の特徴は、端切れのいい文章による軽快な場面展開と、ミステリの要素にある。「建設大隊」の場合、作品の冒頭でおよその人物描写がなされ、後に残される情報は多くはないが、後半の事件と取り調べの場面では読者の推理意欲を増進させる。また「ささやかな墓地」では、人物についてあるいは検察庁にいく原因となった事件についての情報は全編にわたって小出しにされ、緊張を高めて、効果的である。
作品の題材に、墓地の墓掘りや、戦わない軍隊である建設大隊など、通常ではほとんど省みられることのない人々を選んだことも、読者の知的好奇心を惹きつける要素となっている。このような現場へ偶然ではなくカレーディン自身が望んで飛び込んでいることを考慮するなら、それも創作のひとつのねらいと考えることができる。すなわち、日の当たらない人々を表に出すと同時に、まかり通っている悪徳な現実を暴露し風刺するのである。このような題材を選び、鋭い風刺の目を向けつつ、ルポルタージュではなく小説に仕上げたという点で、とりわけ「ささやかな墓地」は佳作である。アーラ・ラトゥイニナはこれを zhestokaia proza の筆頭にあげ、欧米の評論はこれにならったものが多い。
なお、「ささやかな墓地」は1989年にアレクサンドル・イティギーロフ監督によって映画化され、カレーディン自身が脚本を手がけている。また、サンクトペテルブルク・マールィ・ドラマ劇場では演出家レフ・ドージンが「建設大隊」を舞台にのせ、好評を博した。