●カブイシ, インナ Kabysh, Inna
「子供の世界」 Detskii mir.
解説 鈴木正美
1.作家について
カブイシInna Aleksandrovna Kabysh は1963年生まれ。両親はウクライナ出身。石油関係の技師だった父は、彼女が6歳の時に列車事故で亡くなった。文学好きの母からシェフチェンコやプーシキンの詩を読み聞かされて育つ。20歳の時生まれた自分の長男には父と同じ名前をつけた。この頃、国立モスクワ通信教育大学文学部で学び、学校の国語教師となる。1988年に「ユーノスチ」でデビュー。90年代になって各文芸誌に次々と作品が掲載されるようになる。1994年、第一詩集『個人的障害』を出版。1996年、ハンブルグのアルフレッド・チョプフェル基金が授与するプーシキン賞を受賞。同年、第二詩集『子供の世界』を出版。エフトシェンコ編のアンソロジー『20世紀ロシア詩』(1994年、英訳)には彼女の作品は収録されていないが、1996年のロシア語版アンソロジーには1編の詩が収録されているところから見ると、この数年で一挙に人気を得た詩人なのだろう。
カブイシ作品リスト
Lichnye trudnosti. 1994.
Detskii mir. Moscow, izd-vo AO 《X.G.S.》, 1996.
Stansy. Iunost', No. 5, 1989. p. 2.
Monolog fetidy. Dvoinaia raduga: Russko-amerikanskii poeticheskii most. M. Akchurin(ed.) Moscow, Mol. Gvardiia, 1989. p. 77.
"...God spstia ia opiat' rozhus'..." Den' poezii, 1989. p. 204.
Lichnyie trudnosti. Znamia, No. 3, 1989. p. 123.
"... A dvornichikhu zvali prosto Lena..." Istoki:Al'manakh, 1990. pp. 273-275.
"... V prirode netu bezovraziia..." Poeziia: Al'manakh, Vyp. 56, 1990. pp. 134-135.
Sem' stikhotvorenii. Znamia, NO. 3, 1990. pp. 3-5.
Zhizn' ot pervykh shagov-khod'ba. Iunost', No. 12, p. 76.
"Slushat' zhizn' otodvinuv pero..." Druzhba narodov, No. 12, 1991. pp. 3-7.
Spasenie. Znamia, No. 1, 1993. pp. 55-61.
Monolog fetidy. Istoki: Al'manakh. Vyp. 1(23), 1994. pp. 337-338.
"Tri ozhoga, tri solnyshka, tri svechi..." Druzhba narodov, No. 3, 1994. pp. 72-75.
Ne nado otveta. Novyi mir, No. 12, 1994. pp. 135-138.
Detskie igry. Novyi mir, No. 9, 1995. pp. 100-108.
Mesto vstrechi. Novyi mir, No. 1, 1996. pp. 41-49.
"...V Rossii vse zhivye lishnie." Druzhba narodov, No. 8. 1996. pp. 8-12.
"Nastanet vremia zolotoe..." Strofy veka: Antologiia russkoi poezii. E. A. Evtushenko(ed.) Moscow, Polifakt, 1997. p. 975.
Orbita Arbita. Druzhba narodov, No. 6, 1997. pp. 74-77.
参考文献
Kornilov V. V zhenshchinakh krepche zariad... O stikhakh Eleny Kriukovoi i Niny Kabysh. Druzhba narodov, No. 3, 1996. pp. 185-188.
Otsutstvie zvuka ne est' nemota: Besedu vedet Natal'ia Igrunova. Druzhba narodov, No. 2, 1997. pp. 187-198.
鈴木正美「子供の時間 子供の場所 ── インナ・カブイシ」ユリイカ、1997年12月号、282−285ページ。
2.作品について
詩人ウラジーミル・コルニーロフの論評によると「彼女の第一詩集『個人的障害』は、女性の詩にはまれな、日常生活と神との関係、国家の運命をになう私的抒情、歴史を持った日常性、アイロニーをともなう鋭いまなざしなどで、驚かされる。この点でカブイシは、その詩が表面的にはツヴェターエワのものを想起させるにもかかわらず、アフマートワに相似しているのである」。詩人タチヤーナ・ベックもアフマートワやツヴェターエワの母性、日常生活への志向といった点で、彼らの作品とカブイシの詩を関連づけている。こうした特徴をよく表している詩を2編引用する。
私は悲しみのなか ──
魚は海のなか、
そしてそれは私に似ている。
潮の満ちひきとともに…
誰か幸せになりたくて
それには獣にならなければ
祖国はすべて裂けた、そこにはかん高い声、──
そこには子供、神経、電線…
私は雪をとかして── 子供を洗う、
水は黒くなった
そしてそれでも生まれつき。
すっかり白くなるまで洗いおとした。
私には利益にならない
雪はこんなにたくさん降った。
またコルニーロフはカブイシの自由詩について次のように述べている。「思考のパラドクスとロシア文学への愛によって(かつてカブイシは文学の先生だった)、彼女の自由詩は興味深い。ひとつ惜しむらくは、記憶に残らないことだ。ポエジーはスヴェトロフの言うように、伝染するように歯にぴったりくっつかなければならない。そして実際に彼女の韻をふんだ詩はぴったりはりつく」。またこうした詩は「すべて測ったようにきっちりしている。それぞれの言葉は、アフマートワ流に正確さをチェックしており、ツヴェターエワ流に配置されている。その多くはカブイシ自身を換骨奪胎した手やいくらかの頭なのだ」として次ぎの2編の詩を引用している。
愛── それは手。そしてほんの少し── 頭。
アウゲイアスの牛舎。
袖をまくり、裾をあげた
あなたが私は好きだった。
祖国 ── 広野につづく広野、
幼稚園の叫び声、叫び声。
行列 ── それは鎖につながれて
並んだ家畜の群れ。
なんでもいいからください、
神様、
石鹸でも、パンでも!…
祖国 ── それは道
ソ連邦から天への。
「自分の娘」のような第一詩集が出版されたころ、彼女の最愛の母が亡くなった(「愛する人が行ってしまったように──/太陽は奪い去っていく。/日ごと寒くなるばかり…/ママ、空から暖めてください!…」)。このころの詩から、彼女の作品は、この世の仕事としての詩作をテーマにしたものや、あの世での愛するものたちへの思慕をつのらせるものが増えていった。
詩人よ、おまえは思う おまえを
おまえの詩が救う
大天使がみなに
審判のラッパを吹くときに
詩は ── こんな労働、
魚を捕ったり、鉱石を探すように。
地上での勤労の成果を
あちらへ持っていく者は誰もいない、
蜜蜂の巣の出入口はおまえには小さいだろう
そしてなぜおまえは言うのか?「私は書いた」と。
その後カブイシは哲学者ニコライ・フョードロフの考えた祖先の復活の思想を、自身の作品の中で実践するようになる。それはすなわち、死者はいないこと、詩の中には亡くなった者たちがすべて子供の時間のまま生きていること、この世を天国と見ることをさまざまな詩形で表現することであった。それはダンテを題材にした次の2編の詩によく表れている。
天国 ── それはこんな近くに…
そこでは搾りたての牛乳を飲み、
ことこと煮込んだ肉入りスープを食べ、
そしてダンテが一日中すわっている。
そこにはたくさんの太陽と雨、
地獄が永遠に静寂の象徴であるために。
天国、それは大人たちのいない
子供たちと犬たちだけがいるところ。
彼は「地獄」「煉獄」「天国」をつくった、
次々と石を重ねて── 家を建てるように
そこにはいつか犬の吠え声、
子供の笑い声、そして誰かの「アーメン」…
彼は比類のない家を建てたのだ。
神がいなくなり、後に
愛する女とがらんどうの
荒野を
さすらうはめに
ならないように
カブイシは最近あるインタビューで、現在の自分の立場を「私は大地と空の間、地獄と天国の間に、なにか第三の場所を探している。しかしそれはブッダや孔子が探し求めた、ある第三の、中間の道です」として、次ぎのように述べている。「でも私はエキゾチックな極端さとは無縁です。私は常に、否定もなく、なにかで開放するのでもなく、人生を受け入れる場所を見つけられることを、そしてそうしなければならないことを考えています。その運動のために自身を保っている。神に対してもその通り。それは私にとって明確なベクトルです。おそらく道は踏みならされているものの、あなたは行こうにも戻ろうにも、どうにもならないことを突然悟る。でも行かないわけにはいかないのです」(「民族の友好」1997年2月号)。彼女はこれから、どのような道を進むのだろうか。第三の場所とは子供と詩人だけが行ける場所なのだろうか。そしてその詩はどこから来て、どこへ行くのだろうか。
…しかし詩人にとって韻はなぜあるのか?
それはこだまではない、返事ではない、
それは音ではなくて、光、──
それはあの世からきた風来坊…
『子供の世界』
1996年に発表された一連の詩に共通するテーマは天国である。このテーマはこのころ集中的に書かれた数編の自由詩にはっきり描かれている。これらの自由詩は、同じ年に出版した第二詩集『子供の世界』にまとめられた。表紙に使われたセルゲイ・ルチシキンの絵「風船は飛んだ」(1926)はモスクワの建物の間、雲が立ち込める空のすきまに赤い風船が飛び、それを一人の少女が見つめている構図で、狭い地上と空がそのまま天国への道を示しているようであり、本の手触りとともに、この詩集に実にふさわしいデザインだ。そして詩集の中に綴じられたクリスチーナ・ディドゥーロワの八枚のイラストも幻想的で、詩の中の時間をそのまま閉じ込めているかのようである。
タチヤーナ・ベックは詩集の序文で彼女の自由詩を proeziia という造語で呼び、これまでのどんなジャンルにもおさまらない新しい作品だとして、次ぎのように述べている。「ポエマの容貌でありながら、中編小説であり、音階、ファンタジー、懺悔であり、半覚醒のうわ言のようだったり、論理的な哲学論文の構成のようだったりするイントネーション。〔……〕彼女は時間の流れの自由な運動によって、人々の間の消えがたい疎外の障害や距離を克服することができる。彼女の詩集の登場人物はすべてリアルで、日常のものであり、単純なものであると同時に、普遍的で、聖書で一般化された永遠なのだ」。実際「時間の流れの自由な運動」によって彼女の作品は子供の世界を郷愁ではなく、いまこの世界として提示している。「子供時代 ── それは時間ではなく、場なのだ」(「果て」)。
「最初の奇跡」「善良な継母」「子供の復活」「燃えろ、燃えろ、私の星」「猫とネズミ」「5月の雪」「くるみ割人形」「果て」「天国のリンゴ」の9編の詩はいずれも子供が主人公。テーマとなるのは愛、夢、生、死であり、聖書のモチーフが各所に配される。天国や幸福のシンボルとしてリンゴが頻繁に用いられる。平明な表現で親しみやすく、一読、現代のおとぎ話という感がするが、ベックはこれらの作品に2つの層を見出している。「カブイシのポエマは二重構造をしている。表面的な層はたぶん、移動派の絵画のように、諸対象が自然で、民主的で、おそろしく善良な── 警笛をつけた荷馬車の屑屋…密造酒…貧しいソビエトのヨールカといった詳細さで描かれている。裏側の層は、あらゆる対象や、ある日常生活のディテールの哲学的真相の音楽である。文体レベルで、この作品はまた豊かで神秘的である。俗語、歌うような悲しい詩行、子供向けの昔話からとったすばらしい象眼、病気の熱にうかされたような支離滅裂な会話、ほとんど詩篇である」。
たとえば「最初の奇跡」は、5歳の少女が35歳の「王子さま」に出会う10月の終わりの物語。リンゴの香りに満ちた別荘での暮らしはおそらく、カブイシ自身の少女時代をそのまま投影しているのだろう。別荘での結婚式は事実とも夢想ともつかず、少女の持ったリンゴの香りと重奏して、とても美しいイメージをもたらす。また「天国のリンゴ」という作品では、母と娘が交わす地獄と天国をめぐるちょっと支離滅裂な会話でできている。子供なりに論理的なその会話には、この世を天国と見る考えがはっきりと示されている。
『子供の世界』(1996)から
最初の奇跡
小さい子供のころ
結婚式はダーチャで行われたものだ。
ダーチャはすばらしかった。
丸太造り、
彫刻をほどこした雨戸、
小さな出入口がふたつ。
ある晩
片方の部屋でみんながすわって
やっぱり大きくてぴかぴかした
サモワールでお茶を飲んでいた時、
もう片方の部屋にジプシーたちが忍びこんで
うちの銀食器をあらいざらい持っていってしまっても
もの音が聞こえなかったくらい
大きな家だった。
庭も広かったから
門を出なくても、そのまま森になっていて
キノコ狩りをした。
私たちは5月から10月にかけてダーチャで過ごした。永遠だった。
私は5歳だった。
10月が終わる。
小糠雨が降っていた。
庭はうす暗かった。
私は出入口にすわって、リンゴをかじっていた。
琥珀色に熟していて、歯が痛くなるくらい冷たかった。
家中リンゴがころがっていた。
家はすみからすみまでブーニンに耕されている、
彼の本のようだった ──
「アントーノフカのリンゴ」がある
黄色いページの大きな本のように。
でも永遠の国の
10月の終わりのこと、
私はまだその香りを名前で呼ぶことはできなかった。
彼は35歳だった。
この世での生を半ばまで過ごし
彼はいつのまにかうす暗い庭に立っていた。
つまり遠くの門を通って
小径を家へ向かってきたのだ。
彼の後ろにはあと2人歩いてきた。
でも私が見ていたのは彼1人だけだった。
彼は背が高く、おとぎ話のように美しかった。
青い瞳、亜麻色のあごひげ、小麦の穂の色の巻毛 ──
王子様。
私はすぐに好きになった ── なにもかも、
かじったリンゴといっしょに。
彼は井戸を掘りにきたのだった。
私は感じた、これは悪くない、
これは永遠ではない、
当然だった
最後の10月の日だったのだ ──
永遠は終わった。
しかし私はこんなことに我慢したくなかった。
彼らは日がな一日穴を掘った。
そして私は夜通し ──
穴を埋めた。
5歳のペネロペ、
私は3人の夫、3人の花婿を
監視した。
でも本当の花婿は1人だけだった。
あとの2人は彼の後ろにくっついているだけでいい。
そして徒に私は恐れた、
彼はどこへも行かなかった ──
結局その10月はとどまった。
そして私もとどまった
こうして私たちはそこに立っている、
リンゴを手に持ったペネロペと王子。
おじいさんとおばあさん、
シャベルを持った労働者、
銀食器を持ったジプシーたち ──
みんな森の中の大きなテーブルについて
叫ぶ。「ゴーリカ!」── そして飲む。
ワインを飲む ──
井戸から直接。
くるみ割り人形
でも死 ── それは移動の手段。
なぜなら生はどこでも
外套の紐をさっと引っ張るだけのこと
あれやこれや割り切れない
世の中に出ていける階段を上がって
階段の袖から突き落とされるみたいに。
なぜならムィシリダは走って
しっぽを振ったから ──
ベルリンの壁は落ちて砕けた。
そしてみんな気がついた 壁はないことを。
死人がいないかのように。
生者だけが存在し、
互いに行き来できることを。
そして私、すべては白日のもと、
自分の婚約者のもとへ行き
彼の傷に包帯を巻くのだ。
そのあと彼は小ざっぱりした姿で
答礼訪問にやってきて、
私にパンとワインを持ってくる。
それから私たちは一緒に、金の箱馬車に乗って
出発する。
私は小窓からながめる
白い鼻のスカーフをふって
お父さんを
お母さんを
お兄さんを
ばあやを ──
残ったみんなを。
「イッヒ・ステルベ(私は死ぬの)」──
つまり「私は行っちゃう」という意味。
彼らは泣かない。
なぜなら周囲には
ひとつの純粋な
本質的に、とても小さい
祖国は
そう簡単に遠くへ行ってしまうものではないから。
天国のリンゴ
涙をこらえて
私はママがジャムを煮ている台所に駆けこむと
天国に行きたくないと叫んだ。
するとママは 何があったのってきいた。
レーナおばあちゃんが私のこと父なし子って呼ぶんだもの
と私が言うと、
ママは肩をすくめて
「父なし子だからってなんなの、あなたには
おかあさんがいるじゃない、
それと天国となんの関係があるの?」
私はすすり泣き声で答えた
だって天国は私たちのみたいな
教会が天上にあるんでしょう、
レーナおばあちゃんはそこで永遠にロウソクの燃えさしを集めるんですって。
ママはにやりとして
「レーナおばあちゃんといっしょにいたくないんだったら
どうしてあなたは地獄へいかないの?」
そんなのダメよ、と私はかなきり声。
地獄ではトイレに行かせてもらえないのよ。
「どこからそんなこと聞いたの?」とママ。
「知ってるもん」と私。
だって先生が
「子供たちが首を吊って死なないように」って
パーシュカと私たちに十字を切ったら、
パーシュカのおかあさんが言ったのよ、
「ほら悪魔よ!…」
そのとき彼女は
私たちにお昼寝させようと
しなかったのよ、
お昼寝の時間は ──
完全な永遠 ──
私は新たに力いっぱい声を上げて泣いた。
ママは私の頭をなでて
ぎゅっと抱きしめた
「泣かないで、もうそんなところへ行きはしないから…」
でも私は泣いていた
だってもし地獄に行かないとしたら
レーナおばあちゃんといっしょに行かなきゃいけない、
おばあちゃんはずるいし、神様以外に誰も愛していない、
なんにしたってろくなもんじゃない。
「あんなの殺しちゃわなきゃ!」
と声に出して言った。
「先生を?」─ ママは分からなかった。
「レーナおばあちゃんよ、アリョーナ・イワーノヴナをよ」─ 私は説明した。
だっておばあちゃんは、天国をぜんぶ汚してしまう ──
そしてオープナーをつかんだ。
ママは叫んだ。
「もとの場所に戻しなさい。オモチャじゃないのよ!」
私も叫んだ。
じゃあ私はどこにも行くところがないじゃないの…
ママは落ち着いて言った
「どこにも行く必要ないのよ」
「どうして?」私は驚いた。
「ほんとうにあなたはこの世がいやなの?」とママ。
「いいけど…」ちょっと考えて、私は答えた。
「ほらね!」ママはにっこりした。
「ほんとうにそれでいいの?」私はそっときいた。
「いいのよ」とママ。
天国のリンゴからつくった
ジャムを木のスプーンでかきまぜた ──
だって天国はそこに、天国のリンゴがあるところにある…。
私はあたりを見回した。
「こんなに小さいのに!…」
「天国は大きくなきゃいけないなんて、
誰があなたに言ったの?」──
そしてママは深皿から小さいリンゴをとると
私にくれた。
私はリンゴの柄をつかんで ── 食べた。
丸ごと。
だって天国のリンゴはとても小さいんだもの。