● オレグ・グリゴーリエフ Grigor'ev,Oleg
「籠の鳥」
鈴木 正美
1943年12月6日生-1992年4月30日没。芸術家を志すが、60年代初め学校でバケツと箒の静物を描く課題が与えられても1学期間なにもしなったという理由で退学となる。その後、在学中から書き始めていたユーモア詩の世界にのめりこむ。ほぼ35年間の創作期間に書かれた詩は1000編近い。1971年に出版された『奇人たち』以来、その作品のほとんどが子供向けの短い詩であり、公には児童文学作家として評価されていた。伝説的なトゥソーフカの一人であるグリゴーリエフの独特なユーモアはペテルブルグの詩人、芸術家の間でも人気があり、リアノゾヴォやミチキの人々とも親交があった。詩人ゲンリフ・サプギールの回想(「新文学展望」1995年第14号)によると、グリゴーリエフは18才の時にリアノゾヴォを訪れ、自作の詩を朗読しており、以来リアノゾヴォとは創作の上で近い存在であり続けたようである。
1997年にイワン・リンバフ社から出版された作品集『籠の鳥』は、グリゴーリエフのほとんどすべての作品を収めており、彼の全貌をほぼ知ることができる。同社からは他にコンセプチュアリズムの代表的な詩人レフ・ルビンシュテインの作品集『定期的な手紙』、ドミトリイ・プリゴフの『ソビエト・テキスト』、チムール・キビーロフの『書簡詩集』も出ている。こうしたことからもグリゴーリエフの作品がコンセプチュアリズム的な現代詩として評価されているように思われる。グリゴーリエフの最初の作品集『奇人たち』が児童文学出版所から出ていることから分かるように、生前のグリゴーリエフの作品はそのスタイルから児童向けの詩としてしか評価されていなかったが、『籠の鳥』は子供向けの詩以外に、大人向けの詩や叙事詩、散文を収めており、すぐれた詩人としてのグリゴーエフ再評価を促すものである。
「独立新聞」(1997年6月19日)の短い書評でも『籠の鳥』は実に画期的な出版であると絶賛し、様々なフォントと子供の描いた絵のようなイラストを効果的に用いたこの本のレイアウトを高く評価している。さらにこの書評によると、こうしたレイアウトは「周期的に繰り返される絶望の感覚をつくりだしている。それはグリゴーリエフの詩のいいものや、ストラタノフスキイ、ホーリン、晩年のハルムスに通じている感覚である」という。この評からうかがえるのは、グリゴーリエフをロシア・アヴァンギャルドの伝統、とくにオベリウの流れをくむ詩人ととらえていることだろう。また、『籠の鳥』の序文を書いているミハイル・ヤスノフによると、彼の詩はオベリウのヴヴェジェンスキイに近いが、同時にロシアの風刺作家コジマー・プルトコーフ以来続いている子供の詩の伝統上にあり、またそれはさらに、ロシアの民衆詩、流行歌謡、フォークロアに根ざしたものだという。ロシアの非公式芸術家の書いた現代詩がアネクドートや流行歌謡と密接な関係を持っていることはよく指摘されるが、グリゴーリエフの作品は、当人の暮らしぶりとまったく同じように、ソビエト時代のトゥソーフカの不条理な生活を反映している。ヤスノフの言うように、「グリゴーリエフの運命はロシアの詩的日常生活の典型である。気の毒な人、酔っ払い、警察の頭痛、アル中の歓喜のわめき声、ほとんど身寄りがなく、一時的に住んだ場所で詩をまき散らす??彼は明晰な知性の人であり、教養があり、驚くべき天性の持ち主であった。しらふの時には魅力的で、知性的、皮肉たっぷりの話し相手だが、酔っている時は、自分の命をけずり、周囲を狂乱のうずに巻き込むのだった。存在の高みと存在の底辺のこの可燃性の混合物が、彼の詩にしみ込んでおり、その詩をとんでもないものにした。そして、うす汚れた恥ずべきものでありながら、実生活においてはリアルな場末を本物の詩に変えたのである」。
グリゴーリエフの作品のほとんどは短い詩で、二行詩、四行詩を数多く手がけている。チャストゥーシカや民衆歌謡にその根元を見出すことのできる彼の作品は、駄洒落、言葉遊びと軽快なユーモアに満ちており、マルシャーク、ミハルコーフ等の児童文学の流れの中に位置づけることができる。また時に皮肉にもとることができる作品に見られる子供の視点、言葉遊び、プリミティミズムといった特徴から、オベリウの詩人たちが「マヒワ」や「ハリネズミ」等の児童雑誌に発表した作品やリアノゾヴォの詩人たち(特にサプギール)との共通点を見出すことができる。
死を相対化したり、あるいは反転された生として死の世界を描く作品はヴヴェジェンスキイを想起させる。
死はすばらしい、そして軽々としている、 チョウがサナギから出てくるように。
特に力を注いだ四行詩や二行詩は「イソップの言葉」で書かれていることが多い。これらの詩はソビエト体制の中で生きている人々には容易に理解できるもので、一見子供のための詩のようでありながら、実は痛烈な体制批判として読むこともできる。
「細い枝」と訳したが、これは籠の格子のことである。この詩は籠の中で管理されているソ連市民たちと官僚の会話と想像することもできる。このようにグリゴーリエフは鳥をモチーフにした詩を好んでかいており、それは時に日々の暮らしをつつましく生きる普通の人々であったり、時に詩人そのものであったりする。例えば「アマツバメの死に」という作品の一部を引用すると、
『籠の鳥』に収録されたアンドレイ・チェジンやユーリイ・ジュラフスキイら四人の写真家による30葉のフォト・アルバム「去りゆく時代のすぐ後から」もソビエトの奇怪な生活を切り取っていて、この本にぴったりの内容となっている。
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