●ドヴラートフ, セルゲイ Dovlatov, Sergei
「わが家の人々」 Nashi. Ardis, 1983.
解説 沼野充義
1.作品について
ドヴラートフ家の人々(+犬)を描いた「ドヴラートフ家年代記」。ただし、エピソードをつないできままに書いていくといったスタイルであり、厳密にクロノロジーが守られているわけではない。また事実にかなりの程度まで基づくものと想像されるが、どの程度まで伝記的事実で、どのくらい創作なのかはまったく不明。全面的に創作だと考えたほうがいいのかも知れない。原則として1章につき1人物に焦点をあてるという形で語られているので、各章がほとんど独立した短編としても読める。
第1章 (父方の)祖父イサアク
初めハルビン、後にヴラジオストクに住んだユダヤ系の祖父について。ドヴラートフ家年代記の冒頭を飾る。初め時計修理職人として働いたり、軽食堂を経営するが、酒屋をやっていた隣人と意気投合し、店を「飲み潰す」。
日露戦争に参加、7フィートもある巨体が皇帝の目にとまり、ユダヤ人としてはただひとり近衛軍勤務となる。巨体、怪力に関するエピソードが続く。
無秩序を嫌う性格だった祖父は革命にも反対し、革命を求めて行進する群衆に向かって一人で発砲し、「革命の進行を少し遅らせさえもした」。あまりの巨体ゆえに、アメリカ製の折り畳みベッドの新製品を試して、いくつもこわしてしまった。また自分に失礼な態度をとったトラック運転手に腹をたて、トラックを素手でつかんで路上に横転させる。
息子の一人レオポルドがベルギーに住んでいたせいで、「ベルギーのスパイ」の容疑をかけられ、スターリン時代に逮捕、銃殺された。「私」(ドヴラートフ)は個人的には祖父と面識はなかったが、巨体で大食漢ということが祖父とそっくりで、よくそのことを指摘される。
第2章 (母方の)祖父ステパン
チフリス(ドビリシ)に住んでいたアルメニア人の祖父について。非常に厳しく激しい気性で、気に入らないことがあるとアルメニア語で意味不明の罵り言葉をはく。その意味はドヴラートフの母もわからなかったが、私は大学生になってからようやくその意味の見当がついた。しかし、母にあえて教えなかった(このエピソードは『メモ帳』にも収録されている)。こういった重苦しい気性は、祖父のいかにもアルメニア風の厳しい育てられ方に由来するのかもしれない。美男子で向かいの高貴な家の娘たちも、祖父に見とれていた。
チフリスで恐ろしい地震がくるという予測があり、みな避難したにもかかわらず、頑固な祖父は断固として部屋を離れず、瓦礫の山の中にひとり残り、妻が安否を心配してやってくると、平然と「朝飯!」と命令した。歳をとってますます気難しくなり、近づいた者は誰でもステッキで殴られた。美貌、家庭にも恵まれ、何の不自由もなさそうだったが、陰気な人間嫌いだった。「ひょっとしたら、祖父はこの世界のしくみそれじたいが気に入らなかったのかもしれない」。最後に祖父はもう一度、「神との決闘」を行い、谷に身を投げて死ぬ。
第3章 ロマン・ステパノヴィチおじさん
チフリスの「キント」だったロマンおじさん。「キント」というのは「フリガン」でも「のんだくれ」でも「ごくつぶし」でもない、独特の概念で説明が難しい。確かに彼は若い頃から大きなナイフを持ち、酒を飲み、太ったブロンド女たちをおいかけまわしていたけれども。本物の「キント」の肝心な長所は「機知(洒落っ気)ostroumie 」。
ステパンおじさんも、その「機知」のせいで、グルジア・ソヴィエト共和国の晴れがましい記念式典を目茶苦茶にしてしまった。大学に入学しようとするが。文学に関しては恐るべき無知で入学できず。戦争では活躍し(こういった人物は戦時にこそ評価されるものだから)、戦争後は工場でスポーツ活動に力を入れる。
妻が自宅で暴漢に襲われてひどく悲しみ、護衛のために犬を飼う。「健康な体にはそれに相応しい心が宿る!」というのが口癖だったが、晩年は精神に変調をきたし、精神病院に入れられる。「私」が彼を見舞ったときの様子。
第4章 レオポルドおじさん
ユダヤ系の祖父にはレオポルド、ドナート、ミハイルの3人の息子たちがいた。みなそれぞれの名前に相応しい人生を送る。ミハイルは未来派ばりの詩を書く。レオポルドおじの生涯は、マイン・リードやフェニモア・クーパーのヒーローたちを思わせるようなエキゾチックな雰囲気に包まれていた。彼は詐欺師で14歳のときから港で煙草やら化粧品などの商売をする。18歳のときにはくだらないヴァイオリンをストラディヴァリと偽って多額の金をせしめる。そして家出し、最後にはベルギーにたどりつく。「鉄のカーテン」のせいで、音信不通に。ある時彼のところからモーニャという男が祖父をたずねてやってきて、その直後、祖父は「ベルギーのスパイ」として逮捕・処刑された。
1961年に父(「私」の父ドナート)がブリュッセルに国際電話をかけるとレオポルドに通じ、それ以来、文通や贈り物の送りあいがしばらく続く。
「私」が母とともにソ連から亡命し、ウィーンに出てきたとき、レオポルドおじ夫妻とあう。「私」をレストランなどに引回し、陽気に気のいいおじさんとして振る舞う。しかし、同時にソ連の現実に関してひどく無知であることがわかる。ウィーンのホテルの主、レインハルトという男との交流もこの章には入り込んでくる。
第5章 マーラおばさん
様々な職業を転々とした後で編集者となったおばさんについて。アルメニア系の美人。作家たちのエピソードをよく記憶していた。ゾシチェンコ、ゲルマン、ボリス・コルニーロフ、アレクセイ・トルストイ、オリガ・フォルシュなどについてのアネクドートが披露される。しかし、面白い話ばかり。「私」は後で、こういった作家たちに裏の汚い面、裏切り者としての面があったことを知るが、だからといっておばさんを責めようとは思わない。またおばさんは共産党員だったが、その点も責めようとは思わない。
編集者という職業について。編集者などはたして必要なのだろうかという懐疑について、「私」の逸脱。間違いというものはそれ自体、貴重なものであって、直さないほうがいいのかも知れない(ドストエフスキー、ゴーゴリ、ローザノフなどの例)。しかしおばさんは作家たちに愛され、多くの作家たちから心のこもった献辞のついた本をもらった。
第6章 アロンおじさん(おばさんの夫)
アロンおじさんの生涯は、わがソヴィエト国家の歴史を完全に反映している。ギムナジスト、革命的学生、赤軍兵士、それから「白系ポーランド人」、それから再び赤軍兵士。その後「ラブファク」に入り、ネップマンとして金をかせぎ、富農撲滅に参加し、党の粛清に加わるが、最後には自分が党から追い出される(ネップマンだった過去ゆえに)。
その後、このおじは何かの管理職につく。スターリンやレーニンを崇拝する思想的に頑固な人間であると同時に、ソルジェニーツィンやサハロフも尊敬するという、奇妙な2面性を持っていた。晩年にはほとんど「反体制派」に近い立場になり、ブレジネフに匿名の手紙を送ったほど。病気で死にかけると「私」を呼び、自分の思想は間違っていた、お前の言うことの方が正しかったと懺悔するのだが、やがて回復しては、また「私」と口論ばかりするようになる。そんなことが何回も繰り返された。
第7章 母
トビリシのアルメニア人居住区に育った母。スターリンを心底から軽蔑していた(「グルジア人がまともな人間であるわけがない!」)。それと対照的に父はスターリンを憎む理由があったにもかかわらず、尊敬していた。「私」の一家が暮らしていたぞっとするような「コムナルカ」。その同居人たち。
印刷所の校正係として働いていた母。スターリン時代の校正にまつわる苦労話。ほんの一文字の間違いが致命的になりえた。
トビリシで生まれ育った母の楽しい幼年時代。初めは音楽をやり、後に演劇大学にはいり、しばらく女優をやり、そこそこ褒められもするが、やがてドナート(「私」の父)と結婚、子供が生まれたせいで、女優の仕事を止め、のちに校正の仕事を始める。母は文法をろくに知らなかったはずなのに、「正しい綴り」に関する感覚が鋭く、この仕事に向いていた。
「私」は学校でも成績が悪く、母に心配をかけどおしだった。「私」がソ連で作品を活字にできない文学青年になったころ、家に同類の友達をつれてくると、母は好意的に応対し、文学談義にも加わった。しかし、潔癖な性格で、例えばトイレにはいったら必ず手を洗うようにうるさかった。外国の雑誌に「私」の作品が掲載されたとき、母だけは素直に喜んでくれた。最後には母とともに亡命、ニューヨークに住むようになる。
第8章 父
人に自分の姿を見せびらかすのが好きだった父は天性の俳優。ウラジオストックは演劇的な町だった。レニングラードの演劇大学に入り、俳優として働き始める。スターリン時代に隣人たちが次々と逮捕されても、スターリンをのろったりはしなかった。しかし祖父が逮捕されるに及び、父も劇場から追放され、軽演劇のためのフェリエトンやクプレットなどを書いて生計を立てるようになる。(父と母は「私」が8歳のときに離婚)。人生をいつも演劇のように見ていた父。現実生活を最後まで本当には理解できなかった。音楽学校で友人に密告されたときの反応もそういったものだった。「私」にいっしょにアメリカに行こうと誘われたときも、ほとんど腹をたてるが、最後には「ただ歳をとっていくために」アメリカに渡ってくる。
第9章 いとこ
成績優秀で、何をやっても「私」よりもはるかによくでき、一族の誇りであった優等生のいとこが、ある程度の地位を築くと、とんでもないことをやらかして、自分の築いてきた地位を目茶苦茶にしてしまう。そんなことを繰り返し、ついに監獄いきになる。「彼は本能的で無意識な実存主義者だった。やつは極限的な状況でないと、行動できないのだ。出世できるのは、牢獄のなかだけ。生きるために戦うことができるのは、深淵の縁に立っているときだけ……」。
*この章は完成度が高いものの一つで、英訳が『ニューヨーカー』に掲載された。なお邦訳は「うちのいとこ」(拙訳)『新潮』1989年11月号所蔵。
第10章 犬のグラーシャ〔グラフィーラ〕(フォックステリア)
年々人間に似てくる。ボブロフという男が現れて、本物の犬に育ててやるといって、狩猟場に連れ去るが、なかなか返してくれないので、とりもどしに行く。そのとき、狩猟場であったKGBの男たちとのおかしな会話。
その後、グラーシャを何度か「見合い」させるが、気が強くて相手の雄犬をまったく寄せつけず、失敗に終わる。こうして12年間いっしょに暮らし、「私」とグラーシャはいまでは互いに大変似ている。
第11章 妻
妻とのなれそめ。友達が遊びにきて家で深酒をし、きがつくと、彼女(レーナ)が取り残されて寝ていた。その日以来、彼女は「私」のアパートに勝手に住むようになり、夫婦同然の共同生活が始まるが、「一線」は越えないという不思議な関係が続く。「日常性と狂気の混合」。
レーナはつねに「平然」としていて心を乱すことがほとんどない。それが「私」にはむしろ耐えがたくなるほど。しかし、あるときついに酒の力を借りて「私」は一線を越え、娘のカーチャが誕生する。
レーナは亡命を勝手に決断し、カーチャとともに先に二人だけでアメリカに行ってしまう(レーナと「私」はその以前に、法律上は離婚していた)。1年後にその後を追ってアメリカに移住した「私」と母。しかしレーナは空港に迎えにも来ないで、クールで平然とした対応をとる。「もしも愛しているんなら、残りなさいよ。反対じゃないわ」。
*不思議な男女の関係。現代的な恋愛小説として日本でも通用しそうな雰囲気がある。
第12章 娘のカーチャ
幼かった頃の娘。ヴァルネラブルな存在に対する慈しみの感情。娘が病気で死にかけたときの心配。幼い娘との会話あれこれ(「パパはブレジネフが好き?」「どうしてパパの作品は活字にならないの?」──特に後者の質問に答えて「私」がする寓話は感動的)。アメリカに渡っても、娘と父の関係は今までとそれほど変わらない。「パパの作品はやっと出版されるようになったけど、それで何が変わったの?」「いや、何も」と答える父。
*本書の中でもおそらくもっとも感動的な章。短編としても独立している。