●ダトノーヴァ, エヴァ Datnova, Eva
「ディシデートチキ」 Dissidetochki. Literaturnaia ucheba, No.6, 1994.
解説 望月哲男
1. 作家について
Eva Datnova : 1975年モスクワ生まれ。モスクワ第379学校在学中に看護婦資格をとり、病院に勤める。94年時点でゴーリキー文学大学に在学、同時に新聞社に勤務。本作はデビュー作(93〜94年に執筆)。
2. 作品について
・主人公とその遍歴
主人公は作者と同じ75年生まれの少女、通称マルィシカ(子供)。父方からユダヤの血を受け継ぎ、祖母に教わったイーディシュが話せる。映画人の父とクレムリンの観光ガイドの母は、ともに60年代の反体制派で、主人公はもの心ついたときから反国家的な会話、アネクドート、歌を聞いて成長し、映画雑誌で読み書きを覚える。喫煙、飲酒、生意気な言動や放浪癖などによって、学校では目をつけられているが、現代史とくに反体制・人権擁護運動の歴史には、深い関心と知識を示す。
ペレストロイカ初期の87年、11歳の彼女は10人の年上の仲間とエストニアの町ピャルヌに行き、当地で地下出版に携わるサモイロフの示唆で、数ヶ月間非合法活動(発禁書の販売)に参加する。
モスクワに帰った彼女は自分たちをディシデートチキ(反体制派ヤング世代)と意識して、様々な集会、デモ、民主派の出版所などに出入りし、同時にバルトや中央アジアを遍歴するといった生活をすることになる。90年の夏、人権・平和運動の中心人物サハロフの死を知り、葬儀に参列、サハロフの妻ボンネルの姿に、崇高な要素と悪魔的な要素の二重性を感じる。この間学校を追放され、問題児ばかりを集めた特殊学校に移ることになる。
91年8月のクーデター事件の際、16歳の彼女は民主派のバリケードに参加、勝利の歓喜を味わう。彼女たちはそのまま弾圧されたソ連人の名誉回復と人権擁護を目的とした団体「メモリアル」の活動に深入りしてゆくことになるが、やがて政治生活の表面に出た元反体制派たちの活動に内的分裂、自壊の要素を感じとるようになる。
91年12月10日(人権宣言調印の記念日)彼女を含む11人の若者は、ロシア人亡命者の町の名をとって「シャンハイ」と名付けられたディシデートチキのサークルを発足、雑誌出版や資料収集の活動をはじめる。彼らの活動はそれなりに市民権を得て、彼女は旧反体制派、民主派の間に広い知己を得る。
しかし92年に入り、民主派や議会への不信が世間に広まり、旧反体制派の分裂・政治的無力が表明化すると同時に、彼女たちも自らの行動が自慰的なものであることを実感しはじめる。マルィシカ自身、自らの将来(反体制派的禁欲を守って生きてゆくか、結婚して子供に夢を託すか……)の選択を考えたりするようになる。
93年10月のルツコイの反乱(ホワイトハウス事件)とその結末が最終的に、一連の活動(「遊び」)への失望、目的の喪失感を彼女に与える。メモリアルと民主派の運動が解体し細分化してゆくのを横目に、彼女は自らの徒党からも離れ、ひとりになってゆく。
・ディシデートチキとは
a. 一般的定義
ディシデント(反体制派)という語から派生したディシデートチキという語は、とても若い反体制派という概念と、反体制派の親を持つ子供たちという概念とを含んでいる。ここに描かれるのは大半が10代の、非常に早熟な「不良」たちであり、その運命は、学校や警察との対立、偏った知識、流浪、徒党の生活、逮捕や偶然の死といったものでできている。そして彼らの多くが、主人公と同様、ソ連時代の反体制派を親に持ち、しかもほとんどがソ連の民族的マイノリティ(ユダヤ系、ドイツ系、バルト系、タタール系……)の姓を持っている。
主人公の定義によれば、反体制たることは遺伝する。ディシデントの親は生活の全体をもって、ひとりでにその精神を子供に伝えてしまう。そして一般的にディシデントたちは、若き世代に経験と知識を伝えることに熱心である。したがって自分のような人間は常に存在した──これが主人公の基本認識である。
b. 特殊性
しかしペレストロイカ以降のディシデートチキは、少なくとも二つの点で特殊性を持っている。
まずそれは従来の反体制派が社会に市民権を得ることにより、反体制の定義が曖昧化してゆく時代であった。例えば非合法の出版物は実質的になくなってしまった。若き世代は心の内に、全体主義との闘いに遅れてきた者のコンプレックスを持っている。
ピャルヌではじめて具体的活動を行う少年たちの心理は、次のように描かれる。
「……ピャルヌでは、まだ反体制活動がやり尽くされてはいなかった。一行はここでいわばパイの分け前にありつくことを期待した。運良く反体制活動の最終列車のタラップに飛び乗れたわけだ。……悪名高きペレストロイカの黎明期、すでに反体制的意見を持つのみでは英雄たりえず、ムショに行くことも月並みと見なされていた。そこでこの愚かな少年たち、11人のろくでなしは、不良老年サモイロフの無言の支持をよいことに、いっぱしのディシデントたろうとつとめたのであった。」
91年の8月クーデターへの参加も、このぎりぎりの世代のコンプレックスの解消という意味を持っている。
「これはひとつのチャンスであった。ついにパイの分け前にあずかり、人権擁護の運動に加わり、そしてディシデートチキとしての永遠のコンプレックス──生き恥をさらす者としてのコンプレックス──を解消するチャンスだった。」
現代ディシデートチキのもうひとつの特殊性は、そのアナーキーな非定型性にある。主人公によれば、この点で彼らは従来のディシデントと根本的に異なる。すなわち従来の反体制というものが、人権擁護運動、非合法出版、ラーゲリといった一定の生活の型と将来への目的を持っていたのに対して、若き世代はそれを持たない。彼らの目的は、例えば人権擁護にあるのではなく、反抗することそれ自体にあるのであり、反抗の対象は何でもよい。「ディシデートチキとは心のあり方でしかない」したがってディシデートチキの活動は、旧来の反体制の悲劇をファルスにしてしまう可能性を持つ。
c. 組織・活動
ディシデートチキの具体的風俗の一端は、「グループ『シャンハイ』のアルヒーフから」というタイトルで断片的に紹介されている。彼等の「憲章」によれば、彼等の「国家」の構成員は10歳から30歳まで、「国境」は旧社会主義諸国、「禁制」は民族や宗教の問題で互いを批判すること、密告すること、「亡命」希望者を邪魔すること。他は全て自由。活動は関心のある者のイニシアチブで自由に決定される。
ディシデートチキは次の7つに類別される。権力側へのカモフラージュに利用されるマイルドな「天使」、実際の活動をオーガナイズするやり手「モンスター」、ただの「下働き」、尻ぬぐいにまわる「フント」、天使やモンスターをとりまく「ごますり」、何もせずただ観念に酔う「気違い」、全く特殊なカテゴリー「ロイ・メドヴェーデフ」。
ディシデートチキの「心得」から
・仲間に入るな、入ったら泣くな・官憲の手先を愛せ、彼等も上官に報告するギムがあるのだから・密告は音より速く伝わる・死刑より上の刑はない・死を恐れるな──死ぬまで生きよ・時がくればお前の記録は石の上の碑銘にも残らない──それが不死のもうひとつの証明である、等々。
d. 政治への疑惑と自己否定
ディシデートチキの本性は、結局は人間的なものがシステム化され、政治化してゆくことへの拒否として現れる。彼らにとって、例えば市民権を得た旧反体制派は、穴から出たネズミのようなものであり、光に目をやられて死んでゆくか、あるいは互いに食い合うかしかない。この突き放した観察は、そのまま現実への説明ともなっている。ボンネルら旧反体制派は、社会革新の主人公を自認しながら結局自らの運動を組織化できず(あるいは組織化しようとしすぎて)、自壊してしまった。
とりわけサハロフの妻ボンネルへの主人公の両義的感想は特徴的である。彼女は相手の内に、現代の聖者の同伴者としての気高さと強さをみてあこがれ、自己を同一化し、詩を捧げる。しかし一方でそこに狂信に近い幼児的イデアリズム、自己の正しさへの自信と他者への厳しさ、政治的野心家たちに祭り上げられているそのナイーブなあやうさを感じ、憎しみに似た気持ちを覚える。それは自らの可能な将来像に対する自己嫌悪である。
主人公の視線を特徴づける対象との距離、自己の相対化、疑い考える冷めた理性の自由といったものが、政治的反体制派の自足ぶりと衝突しているように見える。
彼女のこうしたクールさは、結局自分たちにも向けられる。彼女は最初から、自らの反体制運動への知識が実体験と結びついていないこと、自分たちの活動が「遊び」でしかないことを感じている。彼女によればディシデートチキとは、主体性のない歴史の一素材、時代の一現象でしかない。民主派・人権派の運動の分裂の後、彼女は自分たちの無用性をあらためて実感し、ディシデートチキは自らの無用性を知る前に、若くして死ぬべきだという感慨をもらす。
3.コメント
この小説は、反体制派に近いところにいる一人の女性「私」が、マルィシカの談話、体験を記録するという形をとっている。こうした構成が作品にドキュメンタリー・レポートの色合いを与え、実際の事件、人間、場所、時代の雰囲気といったものを、若き当事者の視点から再構成することを可能にしている。
作品自体の思想から離れても、ディシデートチキたちの振る舞い、集う場、スラングや外国語を含むその言葉などは、それ自体現代風俗資料としての面白さを持っている。ただし語り手「私」は、「シャンハイ」のメンバーの詩を紹介しながら、そうしたものが「テクスト」として分析され、言語学や文化研究の素材となってゆくとき、この運動自体も死ぬのだと予言している。つまり作者は、あくまでも風俗スケッチをしているのではなく、現代の非常に若い異端者たちの経験と思想を、マルィシカという代表名詞において描いているのである。
80年代後半のペレストロイカ運動の高揚期に、数多くの「政治的」文学が読まれた、あるいは文学が「政治的に」読まれたことが思い起こされる。『白い衣』『アルバート街の子供たち』『処刑台』『黄金色の雲は宿れり』『生と運命』……といった作品がそれである。しかし90年代に入って、ロシア読書界は政治離れの観を呈している。現実の政治への失望がインテリの政治的言説自体へのアレルギー的症状にまで結びついている。作家たちもまた、創作世界が政治状況などとは無関係な、自立した世界であることを、きわめて強く主張しはじめる。文学世界における政治の問題は、にわかに生臭さをとりはらわれて、歴史的・哲学的・文化論的な考察のテーマと化してしまったようだ。
こうしたプロセスは、もちろん自らの論理を持った当然の事柄であろう。しかしそれゆえにこそ、本作が一例となるような文学も、現在まさにインパクトを持つように思える。なぜならそこには、人間の営みが全て政治的なものと無縁ではありえないこと、人と人の関係は政治的なものであるということを、無言の前提としているからである。政治的世界では誰が絶対的に正しく誰がそうでないかという価値基準は、客観的なものとしては成立しない。ただ強固なシステムを作りあげる者と、それに対抗する内的システムを持つ者が、それぞれ自らの正しさを主張するのみである。そしてその世界は、まさに現在のロシアにおいて、巨視的にも微視的にも、目の前に展開されている現実なのである。ダトノーヴァ自身とその作品の「客観的」評価は別にして、彼女の強さは、この虚しいダイナミズムを持つ政治世界を、自らのものとして身の丈の部分で受け止めているところにあると考えられる。