● ミハイル・ブートフ Butov,Mikhail
『自由』
岩本和久
1. 1999 年の「退屈な」ブッカー賞
1999 年のブッカー賞は長編小説『自由』Свобода
に与えられた。
ブッカー賞受賞作家としては例外的に若い作家であるブートフによるこの小説は、受賞後に
ジャーナリズムから酷評されることになった。たとえば、「自己愛を『12500
ドルと新聞の顔写
真で慰めた』幸運児」1。あるいは、「あなたはこの小説を最後まで読むことはできないだろう。
退屈きわまりないのだ」2といった調子だ。昨年のブッカー賞は最終候補作品選定の時点ですで
にかなりの不満を呼んでいたのだが、そうした不満を受賞作が一身に浴びてしまった感もある3。
2. ブートフとは誰か?
ミハイル・ヴラジーミロヴィチ・ブートフは1964
年生まれの若い作家だが、これまで全くの無名であったという訳ではない。モスクワ電気通信大学Московский
электротехнический институт связи
を卒業した彼は、1992 年にはすでにНовый мир
に作品を掲載している。1994年に短編集、1997
年に中編のドイツ語訳が刊行された。現在はモスクワのマトヴェーエフスコエに暮らし、Новый
мир で働いている。子供が一人いるという4。
『自由』よりも以前に発表された彼の作品には、以下のものがある。
Изваяние пана, М., "Книжный сад", 1994.
"К изваянию пана, играющего свирели",
Новый мир, 1992, №8, с.49-54.
"ИзмаилⅡ" , Новый мир, 1992, №8, с.54-66.
"Известь", Новый мир, 1994, №1, с.132-155.
"Музыка для посвященных", Знамя, 1995, №3,
с.80-101.
"Астрономия насекомых", Новый мир, 1995,
№4, с.60-68.
7
年間の創作活動の結果として決して多いとはいえない量だが、ブートフ自身、遅筆である
ことを告白している。『自由』の執筆には3
年半を要したという5。
『自由』と同様、作者の母校である電気通信大学出身の若者を語り手とした"К
изваянию пана, играющего свирели"、あるいは現代の文化人の集いを描いた"Астрономия
насекомых"など、ブートフの作品には「私小説」的なものが目立つが、彼の全ての作品がそのようなものである訳ではない。"ИзмаилⅡ"の源泉はメルヴィルの『白鯨』である。また、"Известь"は革命後の国内戦を舞台としている。
3. 『自由』の内容
『自由』は昨年のНоый мир1-2号に掲載された。主人公の一人称の語りによる、全部で24
の断片から構成されている。中心となるのは1992
年頃の冬の物語だが、それ以前の、あるいはそれ以後の出来事もそこに挿入される。
小説の冒頭は主人公の出自を説明している。彼の曾祖父は「人民の意志」の活動家、祖父は自殺した作家、父は普通の人だったという。
主人公は演劇同盟の編集部を解雇され、様々な職業を転々とした後、教会の書籍出版部門で働くようになる。だが、ある年の10
月に教会からも追い出されてしまう。教会に住んでいた彼は住処も失い、知人の留守宅で暮らすようになる。彼はそこで奇妙な隣人と出会い、鍵を直したお礼に外貨を貰う。
主人公が住むようになった部屋の所有者は劇の演出家だったが、自分の劇団を失ってしまう。
意気消沈した彼は主人公に家の管理を頼み、南極の氷河探検に出かける。その後、主人公は教
会から追い出される。
主人公がこの部屋に入るとすぐ、演出家の親戚の若者がニコラエフから訪ねてくる。二人は共同生活をするが、やがて若者はスモレンスクに旅立つ。彼が去った朝、主人公は二日酔いの中で初雪に気づき、涙を流す。
こうして主人公の一人暮らしが始まる。彼は具合の悪い水道に悩み、フロイト選集を読んで時間を潰す。不倫相手の人妻がやってくることもある。
鼠やゴキブリが彼の孤独な世界を構成するようになる。彼は蜘蛛をウルススと名づけ蝿で餌付けをし、芸を仕込む。蝿の数が減った時、彼はゴキブリを与えてみる。すると蜘蛛は死んでしまう。悲しみにくれた主人公はゴキブリ退治を始め、その結果、部屋中の壁面がゴキブリの死体で埋まる。それを見た彼はいっそう動転し、自殺を試みる。その時、友人のアンドリューハが登場し、新年の宴会が始まる。翌朝、見知らぬ娘がやってきて、雪の中でもがいている亀について問いただす。こうして主人公は希望を取り戻す。
主人公はアンドリューハと通信大学で知り合った。アンドリューハは破滅的な人間で、冒険旅行を繰り返していた。彼は大学の旅行クラブで相手にされなくなると、調査隊に参加するようになる。アンドリューハは後に貿易で成功し、新アルバートに屋台を出す。美しい婚約者も見つける。だが他人のための「飲み物とケーキ」のせいで莫大な借金を築き、行方知れずになってしまう。
主人公はアンドリューハに連れられて、冬の北極圏を旅したことがある。二人は道に迷って遭難しかけたものの、なんとか目的地の小屋にたどり着き、そこで10
日間を過ごす。
突然、現われたアンドリューハは、そのまま主人公の部屋に住み付いてしまう。アンドリューハの『ロングマン英語新語辞典』が、主人公の愛読書になる。アンドリューハは銃の入った箱を、部屋に持ち込む。ある時、人妻が訪ねてくることになり、主人公はアンドリューハを追い返す。渋るアンドリューハは、借金を抱えていること、実家に知人の麻薬と宝石を隠していることを告白する。主人公はアンドリューハに金を貸し、実家に帰ってもらう。
やってきた恋人と気まずく別れた後、主人公は気力を取り戻し、掃除を始める。アンドリューハは電話で、事態の好転を教える。南極の演出家から手紙が届く。そこには、南極で知り合った恋人と5
月に戻ると記されている。5
月に部屋を出なければならなくなった主人公は、引越しの費用を確保するためアンドリューハから金を取り戻そうとする。
アンドリューハが戻ってきて、狩りを依頼されたと言う。二人は苦心して銃を偽装し、約束の場所に出かける。すると、仕事は狩りではなく、映画撮影所の財政難から飼育できなくなった動物の処分だと判明する。二人は仕事を断り、帰路につく。帰りの電車の中で二人は、ワシミミズクを連れた密猟者と知り合う。密猟者はとある駅で、つながれていたワシミミズクを空に放す。
続いて主人公の過去の思い出が導入される。主人公は幼少期に4つの発見をした。水溜まりに落ちていた5ルーブリ(寝台車の模型を買った)、工場から転がり出た地球儀や月球儀、溺死体、そして草原にいる鳥の雛を見つけたのだ。
「狩り」から戻ると、アンドリューハは失踪してしまう。生活費が尽きた主人公はフロイト選集を売り、さらに母親とも会う。だが、母親は彼の父違いの弟の話ばかりを繰り返し、金を渡すそぶりも見せない。家に戻ると、そこにはアンドリューハがいる。アンドリューハはかつての職場で未払いの給与を受け取ったことを告げ、さらにアルメニアに埋めてある原爆を掘りに行こうと提案する。
アンドリューハは再び姿を消す。知人の家を訪ねた主人公は、一緒に働こうと誘われる。即答せずに帰宅した主人公は、出発の列車を指定したメモと放射線測定器を見出す。旅支度を始めると、人妻から電話が来る。アンドリューハの祖母も電話をよこし、借金と麻薬の問題で家が混乱しているという。主人公はそんな中にやってきた人妻を追い返し、旅に出る。だがアンドリューハは、待ち合わせ場所の駅に現れない。主人公は仕方なく帰宅するが、そこにはアンドリューハが待っている。続いて怪しい二人組が現れ、アンドリューハから銃を買っていく。こうして全ての問題が解決する。主人公とアンドリューハは戸外に出て酒を飲む。
主人公には現在、子供がいるらしい。彼はコンピューター技術を習得し、友人の会社で働いている。モスクワ郊外に新しい住まいも見つかる。
引越しを控えた主人公のところに、演出家の従姉妹がリガからやってくる。彼女は主人公の同級生と親しくなるが、この二人の関係はそれ以上に進展しない。業を煮やした主人公は宴会を開くと、深夜に二人を部屋に残して外出する。頃合いを見て帰宅した主人公は奇妙な隣人に招かれ、彼がパレスチナに移住することを知る。翌朝、主人公が部屋に戻ると、そこでは恋人たちがワルツを踊っている。
4. 面白い出来事のつらなり
この小説の構成のことを、小説の語り手は「面白い出来事のつらなり」(цепочка
забавных историй)と表現している6。事実、小説は小話に似ている。様々な変人が登場し、奇妙な想像に冴えない落ちがつく。
主人公が教会で親しくなった補祭は、なぜかスペインの古語で話す。教会で暮らす前に主人公が間借りした家の住人は、周期律を否定する奇人科学者、遅く帰ると銃を突き付けるKGB将校、情事の声で主人公を悩ませる若夫婦というものだ。主人公の知人の演出家は、10
人以上の観客を認めない奇妙な演劇を主宰したかと思えば、不意に南極へ旅立ってしまう。教会では魔法の本を使って鼠退治を行う。蜘蛛を可愛がる主人公は、ベッドの上の寝る場所を変えて、蜘蛛を情事の相手から守ろうとする。動転した主人公が思い付いた自殺の方法とは、息を過度に吸うというものだ。アンドリューハの提案する冒険は、自殺と同様、華々しい結末とは無縁である。モスクワ郊外の狩りもアルメニアの原爆発掘も、実現されはしない。
アンドリューハと主人公が交わす会話も、おかしなものだ。主人公は北極圏の小屋で毛沢東の死を記述したノートを見つけ感激するが、アンドリューハは実利的な喜びの中でこのノートを焚き付けにしてしまう。原爆を掘ろうと提案するアンドリューハと、それに疑念を示す主人公の会話もとんちんかんなものである。
この作品は90
年代の孤独な若者を描いた青春小説でもある。語り手はこの小説を「私の青春との別れ」(мое
прощание с молодостью)7と呼んでいる。
小説の主題の一つは不毛な愛だ。主人公は情事の相手をもってはいるが、その愛は彼の孤独を癒すものではない。このような不毛な愛は、この小説のいたるところに存在する。恋人に二股をかけられた学生時代のアンドリューハも、年に2度しかソ連に来ないフランス人と交際する演出家も、嫉妬とすら無縁な物悲しい状況下にある。
主人公は「親」の愛も失くしている。彼は教会から追い出され、母親にも拒まれる。「捨て子」のような主人公は、自殺を試みた時に、喉から流れる血と共に「空虚」を見出す("Теперь
тем же путем хлынула в меня . пустота"8
)。彼が子供をもち「別の愛し方」を知る、というこの小説の結末は悪い冗談にも思えるが、主人公が「捨て子」の状態にあったことを考慮するならば、論理的に正しい解決ともいえる。
1974 年生まれの歴史研究者アントネンコはНовый мир
に掲載された論文の中で、『自由』をクープランドの『ジェネレーションX』と比較している。この論文でアントネンコは、ブートフの主人公と同じような意識で室内の動物と暮らしていた、ある若者のエピソードを紹介している。この若者は前の住民が置き去りにしていった亀のために、室内の決まった場所に餌を置いていたが、亀が室内のどこでどのように暮らしているのかには、まったく関心をもっていなかった。アントネンコがペットに対する責任を口にすると、若者はこう答えたという。「君は分かってないね。僕は自分が、他人の部屋にいて忘れられたこの亀みたいな動物に思えるんだ。
僕たちは同じ場所に投げ込まれてしまった。そして、亀が僕に害を及ぼさない限り、僕は亀を少し助けてやれるだろう。でも亀の生命に対する責任を引き受けることはできないよ。自分の生命だって、最後まで責任をもてないんだから。」9
小説が描くのは、社会とのつながりを絶ってしまった孤独な若者である。だが、作者は現代という時代をも強く意識している。小説には8
月クーデター、ソ連崩壊後の汚れたモスクワ、マフィアの暗躍といった近年の記憶が、断片的に挿入されている。ソ連崩壊後の政治意識や世界観の変化についても言及されている。
口語を志向しながら、凡庸な通俗性と芸術的な完成との間を揺れ動く、この小説の微妙な文体にも、現代に対する作者の関心を読み取ることができるかもしれない。小説の中で主人公がフロイトや新語辞典を楽しむのは、そこに現代的な奇異な単語が存在しているからである。
5. 社会主義リアリズム、あるいはポストモダンの克服
現代を意識した『自由』は風俗小説のようにも思えるし、若者の成長を描く自己愛的な教養小説らしくもある。一見、凡庸なものにも見えるこの小説は、しかし、より芸術的なテキストを志向している。
小説には複数の世界が存在している。行方不明のアンドリューハは、過去の世界の住人である。主人公は北極圏の旅を、自分が参加した現実の思い出として考えることができない。二つの時間を共存させる行為である回想によって、またモスクワ郊外の狩りやアルメニアの原爆発掘といった実現されない物語(現実の結果とは異なる虚構の世界)の導入によって、小説の世界は複数のものにされている。
この作品の構成は、時間の感覚を狂わせるものだ。そこでは時間的に前後するエピソードが交錯した形で提示され、時代の異なる複数の世界を隣接させる。時計やカレンダーをもたない主人公の世界は社会的時間とは無縁であり、そこでは時間の動きが感じられない。
このように時間の動きが淀んでいる世界で、主人公は死に取り巻かれている。彼は北極圏で遭難しかけ、モスクワで自殺を図る。彼が活躍していた教会は、死者が運ばれる場だ。アンドリューハは獣の殺害を依頼される。主人公の母は弟の兵役を心配する。アンドリューハは危険な世界に足を踏み入れており、主人公の部屋に銃を持ち込む。すべてが解決した時、アンドリューハは死について主人公に語る。
「僕たちも死ぬんだって思うかい?」
「今すぐに?」僕は驚いた。
暖かい風、真夜中でも町の中心部では珍しい緊張した静けさ、手すりで眠っている一羽の鳥。
その舞台の大部分はきっと、僕がそれらしく創作したものなのだろう。時間が経つと何が記憶で何が幻想なのか、もう見分けることはできない。
「今でなければ明日。明日でなければ、年老いてから…」彼ははっきり話そうと努め、コメディーの異星人のように発音した。「でも、いつだっていいじゃないか…いつであれ俺はその意味を理解できない…」
. По-твоему, и мы умрем?
. Прямо сейчас? . удивился я.
Теплый ветер, настороженная тишина,
необычная для сердцевины города даже
посреди ночи,
уснувшая на перилах птица. Большей частью я,
должно быть, досочинил подходящий антураж .
но за давностью уже не развести: вот . память,
вот . фантазия.
. Не сейчас, так завтра. Не завтра, так в
старости… . Он делал усилие, чтобы говорить
разборчиво, артикулировал, как комедийный
инопланетянин. . А какая разница… Все равно
не
понимаю, что это значит…10
アントネンコはこの部分を取り上げ、この不死の感覚こそが「主人公の出発の結果」を構成
しているのだとする11。
こうした小説は今や、古いという印象をもたらすかもしれない。インタヴューでブートフが
好きな作家として挙げるのは、ブーニンとベケットだ。同じインタヴューで彼は、ナボコフや
パヴィチの名も挙げている。一方、そこで質問をする記者はドヴラートフに言及する12。
実のところ、批評がブートフを「退屈」とするのは、そこにこうした古い小説への志向が存
在しているためである。ブッカー賞は「読まれている小説」を無視している、という批判があ
る。そこで「読まれている小説」と考えられているのは、実は大衆文学ではなくペレーヴィン
やソローキンのことだ。しかし若者の無為の生活から不死の感覚に至る『自由』のような小説
こそ、かつて世界文学で「ポストモダン」と呼ばれたのではなかったろうか?ステパニャンは、
ポストモダンの意識を共有しながら「ロシアのポストモダン小説」を乗り越える「新しい」作
品として、マカーニンやドミートリエフらと共にブートフの名前を挙げている13。
文献
Михаил Бутов, "Свобода", Новый мир, 1999,
№1, с.11-76; №2, с.14-59.
Сергей Антоненко, "Поколение,
застигнутое сумерками", Новый мир, 1999, №4,
с.176-185.
Карен Степанян, "Кризис слова на пороге
свободы", Знамя, 1999, №8, с.204-214.
1 Наталья Филатова, "Букер дан .
Букер принят", Сегодня, 26.11.1999, с.2.
2 Ксения Рождественская, "Полемические
заметки о премии Букер", Вечерний клуб
(http://wwwkoi.infoart.nsk.su/magazine/novyi_mir/redkol/butov/material.htm).
3
『自由』以外で最終候補作に選ばれたのは、以下の5作品である。Юрий
Буйда "Прусская невеста",
Александра Васильева "Моя Марусечка",
Леоинд Гиршович "Прайс", Владимир
Маканин "Андеграунд, или
Герой нашего времени", Виктория Платова
"Берег".
4 "Крупный человек превратился в
большого писателя", Коммерсантъ, 27.11.1999, с.9.
5 Там же.
6 Михаил Бутов, "Свобода",
Новый мир, 1999, №2, с.56.
7 Там же.
8 Михаил Бутов, "Свобода",
Новый мир, 1999, №1, с.35.
9 Сергей Антоненко, "Поколение,
застегнутое сумерками", Новый мир, 1999, №4,
с.183.
10 Михаил Бутов, "Свобода",
Новый мир, 1999, №2, с.55.
11 Антоненко, указ.соч., с.185.
12 "Писателям свойственно
повторяться", Сегодня, 09.12.1999, с.6.
13 Карен Степанян, "Кризис слова
на пороге свободы", Знамя, 1999, №8, с.213-14.