●アゾーリスキー, アナトーリー Azol'skii, Anatorii
「クレートカ」 Kletka. Novyi mir, No. 5-6, 1996.
解説 久保久子
1.作家について
Anatolii Azol'skii:1930年スモレンスク州ビャージマ市生まれ。レニングラードのフルンゼ海軍大学校卒。1955年まで黒海艦隊勤務。予備役となり各地の企業を転々とする。ソビエト地下文学の活動家。
Stepan Sergeevich. Roman. 1969. (Novyi mir, No. 7-9, 1987)
Nora. Povest'. Druzhba narodov, No. 10, 1994.
Kto ubil Kirova. Opyt domashnego rassledovaniia. Kontinent, No. 82, 1994.
Voina na more. Povest'. Znamia, No. 9, 1996.
Zhenit'ba po-baltiiski: Morskaia liricheskaia povest'. Druzhba narodov, No. 2, 1997.
Obldramteatr. Povest'. Novyi mir, No. 11, 1997.
書評 Valerii Mil'don. Vse zhivoe-iz kletki. Nezavisimaia gazeta, 21-X,1997.
2.作品について
1)作品のあらすじ Kletka. Novyi mir, No. 5-6, 1996.(97年ロシア・ブッカー賞受賞作)
主人公イワンは1920年のレニングラードで、外科医バーリノフの長男として生まれた。幼い頃から記号による置き換えや類似と相似の問題に興味を持っている。ある日いとこにあたるクリムと出会い、二人は初対面で互いの興味が一致していることを悟るが、クリムの両親が人民の敵として銃殺されたため、イワンはクリムに近づくことを禁じられる。やがて数学科の学生となったイワンは、偶然クリムと再会する。クリムは既に遺伝学の分野で注目を浴びていた。二人は研究のためにお互いを必要としていることを感じる。戦争が始まり、NKVDで働いていたイワンは同僚の策略にはまり、逮捕される。その際、クリムが生きており、官憲に追われていることを知る。イワンは脱走し、逃亡生活を続けながらクリムを探し出し、彼の研究のためにあらゆる犠牲を払う。二人は、DNAの二重螺旋構造を解明する。クリムは水道工として働く百貨店で出会った娘に恋し、イワンはその娘、エレーナを探し出す。エレーナはかたぎの娘ではなかった。彼女の行動を追ううちイワンもエレーナにひかれていく。イワンはエレーナを窃盗団から連れ出すが、自分がエレーナと結婚してしまう。それでもエレーナをクリムに渡し、彼の生業、不法埋葬業で家をあけた時、エレーナとクリムは窃盗団に殺されてしまう。イワンはクリムの研究を世に出そうと手を尽くすが、密告され、シベリアへ去る。干し草の山の中で凍死しようとして、その時持っていたパスポート上の弟、ニコライに助け出される。やがてスターリンの死後外科医となり、レニングラードの彼の生家にバーリノフ家のあと入っていた一家の娘と結婚する。
2)細胞と檻
頁を開くとまず、文字で埋めつくされた紙面が目に入る。会話は一つもなく、書き出しの段落は四頁目まで続いている。文章も長い。一文が十行以上続くこともまれではない。だが冗長な面は全くなく、むしろ非常に圧縮された密度の濃い作品である。文体自体は凝ったところもなく、読みやすい。ストーリーを見ると、まったく大衆小説の筋書きと言えるかもしれない。主人公は数々の危機をくぐりぬけ、謎を解き、悲恋もある。彼の行動にともなう倫理的な問題は、遺伝学のためという大義名分で解決される。文学作品には、発表直後はかばかしい反応がなく、その後じわじわと評価が上がってくるタイプもあるが、この作品は発表後すぐ話題になり、ロシア・ブッカー賞の一番候補となった。それには読みやすさや面白さというもっとも基本的な(そして実は重要な)要素の力が大きかったであろう。
主人公の人生は作品の冒頭部で次のように総括されている。
成長したワーニャ・バーリノフは八月にも十一月にも誕生日を祝わず、そのことを言わないようにしていたが、その後何度も死んだり生き返ったり復活したりしたので、まったくわからなくなってしまい、数多くの偽名を使わなければならず、予備のパスポートを常に持っていて、いつの生まれか、という質問にイワン・バーリノフはいつも神経質な笑いで答えた『二十世紀に!』(No.5, p.6)
遺伝という生と死に直結するテーマのためもあろうか、主人公は何度も死と再生を繰り返す。まず主人公を身ごもった際、母親は中絶をしたかったのだが、外科医である夫が内戦にとられていてできなかった(その結果主人公が誕生したのが八月なのだと思われる)。その後バーリノフ家に泥棒が入り、赤ん坊のイワンは絞殺されたが、母親の胸の中で息をふきかえした(寒い時期だったことが書かれているのでこれが十一月なのであろう)。戦争中ドイツ軍の捕虜となったイワンは銃殺されたが、捨てられた死体の山から助け出された(1943年のことと思われる)。終戦後 NKVD の同僚にはめられて逮捕され、自殺を試みるが失敗する。ここで彼は精神的再生を遂げ、件の同僚を殺して脱走する(1945年)。それからは地下生活に入り、引用にもあるように何度もパスポートを替える。パスポートの人物に合わせて必要な知識を詰め込みしゃべり方まで変える主人公は、そのたびに生まれ変わっているのだと言える。クリムの死後、厳寒期に干し草の中で凍死しようとするが、その時持っていたパスポート上の弟に助けられる(1948年)。更に遍歴を続けるたのち、(どうやら本名で)軍事医学アカデミーに入学しているのでスターリンの死後名誉回復されたのであろう。45年の時点で社会的には抹殺された彼が、ここで最後の復活を遂げたことになる。
しかし『クレートカ』は単なる波瀾万丈の娯楽作品ではない。イワンとクリムがまさに命を賭している遺伝学の理論は、ソビエト政権に迫害された科学の一分野としてではなく、ソビエトという国家、ひいては人類や自然界全体を透徹する哲学として立ち現れる。そのことは作品の題名であるKletkaが、「細胞」と「檻」の意味を併せ持つことに象徴されている。スターリン時代や遺伝学の受難を描いた作品は数多く存在するが、細胞がソビエト国家、ひいては人類そのもののメタファーとなることで、この作品は暴露小説に終わらない思想的な深みを獲得している。
3)DNA――反対方向にねじれた二本の螺旋
イワンとクリムは、互いを補い合う関係にある。イワンは体力と強烈な意志を持ち、数々の困難を自らの力で切り抜けてきた。また彼は数学的才能を持っていること、にもかかわらず自分の使命は数学ではないと感じていることが、作品の前半にたびたび書かれている。これは重要な点で、遺伝を対立遺伝子の組み合わせによって考えるメンデルの遺伝学では、確率の計算が重要な役割を果たすのである。一方クリムは五歳になるまで松葉杖なしでは歩けず、それ以降も身体は貧弱で、イワンから見れば男になりきっていない。また実生活にはうとく、厳しい境遇を生き残ってきたのもまったくの運による。だが彼は既に学生の頃から、遺伝学で外国の学者からも注目を浴びるような成果を上げていた。
二人は初対面で互いの才能を認め、その後運命に引き離されながらも互いを探し続け、再会を遂げる。生活能力のないクリムがイワンなしで生きていけないのは明らかであるが、実はイワンの方こそ、クリムなしでは生きられないのである。逃亡生活中イワンはクリムにうんざりしながら、彼を見捨てて身軽に生きることなど思いもよらない。それも、ただ当局の追跡を逃れなければならないのではなく、クリムに研究を続けさせなければならないということは、イワンの中では疑問を挟む余地もない絶対的な命題である。そのためイワンは自ら進んで何度も危険を冒すことになる。
正反対でありながら、一枚の紙の表と裏のように切り離せない関係―― 作者はこの二人を、DNAになぞらえているように思われる。現実世界で1952年にジェイムズ・ワトソンとフランシス・クリックによって解明されたDNAの構造は、お互いが相補鎖であり、反対方向にねじれている二本の螺旋である。二人が同じ娘に恋しながら、娘に対しまったく反対のイメージを持っていることも、彼らの二人の関係をよく表しているだろう。
4)作品の二重螺旋構造
作品を読み進めていくと、長い文章でびっちりと埋まった紙面には、一つの無駄な言葉もないことに気づく。どこかで見た光景、どこかで聞いた言葉に遭遇し、はっとすることが何度もあるだろう。イワンの遍歴は常に過去へと回帰する形で行なわれている。ストーリー上大きな位置を占める現在と過去との対応を挙げてみよう。
1. カール・マルクス通りの少年時代
2. 母の愛人であるニキーチンは、少年イワンに「何も見なかった、何も聞かなかった、何も知らない」の三原則を叩き込み、大粛正を予言する
3. ドイツ軍に捕らえられた小屋でただ一人背を向けていた男(カシュパリャヴィチュス)
4. ジヴァニョフの裏切り
5. 白ロシアから逃亡中、干し草の山の中で見つけた死体からパスポートを得る(セルゲイ・キリーロヴィチ・オゴロドニコフ)
6. ミンスクのNKVDに捕らえられていたイワンを部下にしようとするサドフィエフ
7. クリムを探し出し彼のためだけに生きるイワン
1. バーリノフ一家が去った後、その部屋に入居した母娘。イワンは最後にこの娘と結婚して外科医になり、息子を一人もうける
2. 戦争中に死んだと思われていたニキーチンが生きており、イワンに遺伝学の終焉を予言する
3. リトアニア人グループと決別した際、ただ一人イワンと抱き合ったカシュパリャヴィチュス
4. ベストゥージェフの裏切り
5. イワンはカシュパリャヴィチュスと決別する際、パスポートを渡される(セルゲイ・オゴロドニコフ)イワンは干し草の山で凍死しようとする
6. ペトロパヴロフスク要塞でイワンを発見し、再び部下にしようとするサドフィエフ
7. イワンを探し出し彼のためだけに生きるニコライ(イワンが取ったパスポートの主の弟)
しかしもちろん、イワンはただ過去へ戻っているわけではない。一周してもとの位置に戻ってきた彼は、前回そこに立っていたときから成長し、経験を積み、大きくなっている。ここでイワンとクリムが解明したDNAの構造、螺旋が、前進と自己回帰という一見矛盾する運動を併せ持ち、それを繰り返すことによって成り立っていることを思い起こそう。螺旋は上から見れば同じ軌道で円を描いているだけだが、一周する間に上昇し、決して同じ点には戻らない。回帰しながら前進している。イワンの遍歴もそのような螺旋を描いていると言える。
この作品には、もう一つの螺旋がある。それはkletkaの螺旋、細胞と檻の螺旋である。この作品では細胞が国家や自然界そのものに置き換えられる。イワンとクリムは子供の頃から遺伝学への興味を持っていた。またその人生では辛酸を舐め、自分たちの祖国について、自分たちの存在について深く考えずにはいられなかった。前者を細胞、後者を檻とすれば、二人の思考の軌跡は細胞から檻へ、檻から細胞へと常に回帰している。そして片方の思考が深まるにつれもう片方も発展していき、少年のあどけない夢想から独自の哲学的思想とDNAの構造の解明まで続いていく。
人々がどんなに似ていなくとも、彼らは人間、まぎれもなく人間であり、犬と間違えることはなく、すべての人間には二本の手、二本の足、鼻は一つ、目は二つ、平均身長は1メートル68センチ、もっと奇妙なのは、道で見る障害者たち、彼自身もそうだが、手や足が一本だったりびっこだったりつんぼだったり目が一つだったりする者たち、彼らは皆、人間が二本の足、二本の手、二つの鼻の穴、などを必ず持っていることを証明している、この一セットを彼らは両親から貰い受けたんだ、何か違うところはあっても、ほらあのおさげの尻尾を噛んだ女の子の兄弟は妹にちっとも似ていないけど、家族全員に何か共通の、彼らだけが有するものがあって、しかも人間は、血のつながりがありながら、外面または内面の指標で何とかしてお互い離れようとする。
(No. 5, p.11)
これは初めてイワンに出会った際にクリムが語った話である。クリムは既に、グレゴール・メンデルなる人物がこの「同じである違い」について研究したことを知り、興味を持っている。両親から貰い受ける資質、という遺伝学的な興味は、同じでありながら何とかして離れようとする人間心理の観察へと発展している。
やがて時は流れ、同じく当局に追われる身となったイワンとクリムは再会する。二人は互いの遍歴についてほとばしるように話し続けるが、これからのことは一言も口にしない。研究を続けることは、二人にとって言うまでもないことなのだ。
酸に没頭する頭脳労働にこそ意味と救いがある、地上と天上の全存在の意味だけでなく、彼らに共通する運命からの脱出口なのだ、二人にとってこの権力は喉に刺さった骨、とにかくそうなっている、この権力を打ち負かしその上に立ち高くそびえることができるのは、ただ一つの道、遺伝の神秘を解き明かすことによってのみ、人生が自ら彼らを何か偉大なものの遂行へと押しやるのだ、その偉大なものが今は、きれいに掃いた床、テーブルの上のソーセージとカニと上等のワインであっても。(No.5, p. 42)
クリムの寝顔を見ながらイワンはこのように考える。彼にとって遺伝子の構造を解明することは、権力を凌駕し打ち負かすことなのである。二人は大変な苦労を重ねながら研究を続けるが、いつまでも大人になれないクリムにうんざりしたイワンが、しばらく一人で暮らしていた時期があった。そしてその間に、イワンはDNAの構造を解明する。
対象同士がどんなに近づいても、二つの間には何か、距離と呼ばれるものがあり、そこを満たしているのは電子の軌道のからみあいではなく、何か別のものであることが確かめられ、染色体の糸においてもその配列は二本組であり、酸の鎖の輪は同じ順序であり、糸は糸に反映しており、それでこそ順序が保たれ、それでこそ秩序が維持される。彼とクリムが一月も精魂を傾けたのは、最もやさしい問題であったのだ。その解決はこれ、人生そのもの、まわりのものすべて、互いに関係する原因と結果がさまざまに配列を変えられるところの生活、例えば例の組織なども、最初に犯罪の事実を考え出し、それからそのための犯罪人とやらを選ぶ。螺旋は反対方向にねじれ、一方にあるどんな順序も他方にあるその痕跡と対応し、この原則は別々に取られた孤立した糸をも支配している。(No.5 pp. 51-52)
彼はDNAの構造と同時に、権力の、そして人生そのものの本質を、「互いに関係する原因と結果がさまざまに配列を変えられる」螺旋であると認めた。勇んでクリムのところへ飛んでいくと、彼もまた、全く同時に同じ物を―― 反対方向にねじれた二本の螺旋の図を書いていたのだった。イワンは研究を発表すべきではないかと考えるが、クリムは気が乗らない。人類のために、という言葉を発したイワンに、クリムは反論する。
人類は、と彼は言った、認識不能だ、別の人類と共存していない、自分について判断することができない、自分を指導し、制御することができない、自分の三つ編みを引っ張って自分を沼から引き上げられるのはほらふき男爵だけだ、人類は、それぞれの人間の目によって、自分の中から自分を見ることができるだけだ、だから人の数だけ人類はある、彼は、クリムは、この人類に仕える気はない、人類は彼の人生を滅ぼした。(No. 5, p.59)
対になる相手を持たない人類という存在は、DNAと違って自らを制御できない。遺伝学がこのような形而上学的な思考へと姿を変えている。そしてクリムの死後、イワンは自分たちの発見―秩序を維持する二本の螺旋―が、それ以上の意味を持つことを悟る。
こうして偏執狂のようにあらゆる可能な手段で自らを害そうとすることも、一国の墓を掘り、一国を墓にすることも、絶え間ない敵の捜索も、よくわかる、理解できる、敵がなければ命もない、敵は向かい合う螺旋のようなものだ、ここにこそ細胞分裂の意味がある、だが大佐にはわかっていない、ここでは絶対化が破滅をもたらすことを。(No. 6, p. 160)
向かい合う螺旋がなければDNAは存在できない。人民の敵を探し、正確には生み出し続ける国家は、向かい合う螺旋を形成しようとしているのだ。だからこそ、形成された螺旋、反対側にねじれた相棒を抹殺することは、自らを死に追いやることなのだ。
ここでは二本の螺旋に絞って引用部を選んだが、細胞と檻の螺旋は作品のあらゆる細部に及んでいる。イワンとクリムが「売女」エレーナを恋すると同時に、「帝国主義の売春婦」であった遺伝学に身を捧げたこと、作品中に散りばめられた二つの略語 ―― NKVD(内務人民委員部)とDNK(=DNA:デオキシリボ核酸)……小さな螺旋が巻きついて太い線になっていく。そしてもう一つの螺旋、イワンの遍歴とともに、作品の二重螺旋構造を形成している。この作品は文字通り、百分の一ミリの核の中に二メートルの螺旋を巻き込んでいる一つの細胞、kletkaなのである。