●アクショーノフ, ワシーリー Aksenov, Vasilii
「肯定的主人公の陰画」Negativ polozhitel'nogo geroia. Vagrius, 1996.
解説 望月哲男
1.作家について
ワシーリー・アクショーノフ:1932年カザン生まれ。作家エヴゲーニヤ・ギンズブルグの息子。40年代末に母の追放されていたマガダンに一時期暮らす。カザンの医大を放校になった後、56年にレニングラード医大を卒業。60年まで病院に勤める。
『同僚』(60)『星の切符』(61)『月への道なかば』(62)などの小説で注目されるが、都市の若い世代の思考やふるまいを、彼らの言葉で描こうとする手法は、大きな議論を巻き起こした。60年代後半からその作風は非リアリズム的なグロテスク、ナンセンス、文体模写の要素を強め、ソ連文学の規範から大きく逸脱していった。79年、非合法の文集『メトローポリ』の編集に加わったかどで批判され、80年に国外に出た。現在アメリカで創作と大学教育にたずさわっている。
主な作品
Zvezdnyi bilet. Iunost', No. 6-7, 1961.
Apel'siny iz Marokko. Iunost', No. 1, 1963.
Zatovarennaia bochkotara. Iunost', No. 3, 1968.
Kruglye sutki non-stop. Novyi mir, No. 8, 1976
Stal'naia ptitsa. Glagol, Ann Arbor, No. 1
Poiski zhanra. Novyi mir, No. 1, 1978.
Zolotaia nasha zhelezka. Ann Arbor, 1981; Iunost', No. 6-7, 1989.
Ostrov Krym. Ann Arbor, 1981; Iunost', No. 1-5, 1990.
Bumazhnyi peizazh. Ann Arbor, 1983.
Skazhi izium. Ann Arbor, 1985.
V poiskakh grustnogo bebi. New York, 1987.
Zheltok iaitsa. Roman. Znamia, No. 7,8, 1991.
Moskovskaia saga. Roman. Kniga I. Iunost', No. 5,6, 1991.
Moskovskaia saga. Roman. Kniga II. Iunost', No. 9, 1992.
Moskovskaia saga. Roman. Iunost', No. 3, 1993
Moskovskaia saga. Kniga III. Roman. Iunost', No. 7, 1994.
2.作品について
1)構成ほか
『肯定的主人公の陰画』はアクショーノフの最近の作品を集めた短編集。独立した(しかしいくらかつながっている部分もある)12の短編と、散文詩に近い12の掌編を交互に並べた形になっている。
作品の性格は様々で、90年代のロシアの風俗スケッチ風のもの、作者の青春時代の経験を描いたもの、海外のロシア人を書いたもの、作者の現代ロシアへの帰還体験に取材したものなどがある。いずれにしても語り手は現代の眼から叙述している。
いくつかの作品では語り手が全面に出ていて、主人公や話題を探したり、小説の進路について自問したり、後日談を書いたりする。短編の間に間奏曲のような掌編が挟まれる構成も、枠物語的雰囲気を作っている。読者への語りかけが多いこともこの連作の特徴であろう。「三つの外套と鼻」など、ゴーゴリやドストエフスキーへの連想を促す部分も多い。
文章はアクショーノフの多くの作品に通ずる口語体に、ジャーゴンや外国語なまり、もしくは外国語(主として英語)そのものが混じった現代風説話体。掌編には詩も混じっている。架空の人物と現実の事件や人間とが混在し、半ばだけリアルな世界を作っていることもアクショーノフ的である。
例えば次のような部分が全体の特徴を代表している。
「スヴィャトスラフ・ニコラエヴィチ・コルブトは亡命した後でさえ筋金入りの西欧派であった。あまりの西欧派ぶり故に、アメリカでさえ外国人と見なされているほどだ。ただし外国人といっても何人なのかは誰にも分からない。明らかにフランス人ではないし、イタリア人でもなく、もちろんロシア人らしくはない。ひょっとしてイギリス人のスノッブあたりか? だがそれもスヴィャトスラフ・ニコラエヴィチがひとこと口をきいただけで覆されてしまう。なまりが違うのだ。だが本当は答えはごく簡単である。半世紀もの間スヴェトキ・スヴァズ(ポーランド語だ)で筋金入りの西欧派として暮らしているうちに、我らの主人公は自らのうちに、本人の意見によれば、理想的な『大西洋の紳士』のイメージを育んだのであり、そして今や亡命者となった身でも、そのイメージを失うまいと努めているのである。だから、よろしいかな、われわれの前にいるのは『大西洋の紳士』なのである」
「PhD, QE2 and H2O」
2)いくつかの作品について
a)「パーマーの第一の離陸」
ソ連時代の終わりの1991年12月、モスクワ中心部キタイ・ゴロトの古アパートに住むアンダーグラウンド画家モデスト・オルロヴィチのもとに、突然外国人女性が連れてこられる。
女性はキンベリー・パーマーという29歳のアメリカ人で、ヴァージニア州ストラスブルグという人口千人の町から、ロシアに救援物資を届けにきたのだった。子供時代からロシアのもの全てに不思議な共感を覚えていた彼女は、大学でロシア語を学び、家庭の事情で地元の銀行に勤めてからも、ロシア文学や音楽を愛好し続けてきた。彼女はやがて町の婦人たちと語らって、困窮するロシアへのクリスマス用食糧支援の募金活動を始め、その成果たる30包みの物資を携えてモスクワを訪れることになる。そしてそのひとつを抱いて町を歩くうちに、この貧民窟のようなアパートに迷い込んだのである。
画家オルロヴィチの家では折しも友人たちを招いて、時代の区切りを祝うドンチャン騒ぎが行われようとしていた。英語・ロシア語混じりのあやしげな会話を通じて、赤ん坊を抱えたスウェーデン女性と間違えられたパーマーは、そのまま酒宴の客となる。
やがて彼女が本当の来意を告げ、赤ん坊ならぬ救援物資の包みを開くと、そこからタウンハウスのスパゲッティ、アンディ・ウオーホール名称キャンベル・スープ、リプトン・ティーバッグといった何十もの品が出てくる。
一同は大騒ぎでプレゼントに飛びつくが、一人取り残されたオルロヴィチは、善意の主パーマーこそ自分への贈り物だと考え、彼女を無理矢理ヌードモデルとして描き始める。
最後のシーンでパーマーは、客に混じっていた美男子の元KGBスパイ、グルビアノフに抱えあげられて、深夜の町をあこがれのロシアのトロイカで疾走する。
*状況設定の突飛さともっともらしさ、誤解まみれの相互理解、ドン・キホーテ的主題が最後にゴーゴリ風の展開をとげる様などが面白い。
b)続編「パーマーの第二の離陸」では、結局10ヵ月にわたったロシア滞在で、恋愛や堕胎を含めた様々な経験をしてアメリカに戻ったパーマーの姿が描かれる。
彼女は副保安官のアイザック・アイザックソンと婚約するが、93年秋に突然、モスクワで関係のあった美男子グルビアノフが、ロシア連邦文化交流大臣という肩書きで、多数の契約やら協定やらを結びにアメリカを訪れる。彼女はこの賓客とともに富裕な亡命ロシア人映画監督コルブト(「PhD, QE2 and H2O」の主人公の兄でアルコール依存症)の邸宅に招かれるが、この日はモスクワの10月事件の当日にあたっていたようだ。コミュニストと政府軍のホワイトハウス攻防をテレビで見ていた大臣グルビアノフは、やがてすっかり自分のアイデンティティを見失ってしまい、翌朝「優しい」パーマーに対して、自分をどこかへ連れていってくれと懇願する。
ロシア体験を通じて自分の善良さが単なる仮面に過ぎないという意識を深めていたパーマーも、結局この願いを受け入れ、やがて自分を見失った二人が自動車でどこかを目指して疾走するシーンとなる。
C)「三つの外套と鼻」
人から60年代人だといわれ、自分でもそう思いこんでいたが、考えてみれば60年にはもう28歳になっていた。だから自分は50年代人に過ぎない ── こんな感想を抱く主人公=語り手が、ふと見かけた昔なじみの女性の娘がきっかけになって今大学で教えているゴーゴリ論に連想が飛ぶ ── そんな契機で始まる物語。青年時代に着た3つのコートがテーマである。
第一のコートはラクダ色で、金属のバックル付きのベルトとクルミのようなボタンがついたアメリカ製コート。シャンハイ帰りのジャズ・ドラマーが古物商に売ったのを、すかさず500ルーブリ(奨学金2ヵ月分)で手に入れたものだ。目立ちたがりで、元のコートをスターリン以上に憎んでいたカザンの医学生にとって、これは運命的な買い物(ヴォルガの若者とアメリカのラクダという求め合う二人の予定された出会い)であった。このコートとともに彼は大学を除籍になり、モスクワからさらにレニングラードへと移っていく(この古コートを見た叔母がマガダンの母親に連絡し、送金でスタハーノフ風コートを買って「社会主義リアリズムの肯定的主人公」の様な写真をとって送るというエピソードが続いている)。
レニングラードの医学生時代、いつの間にか「蒸発した」ラクダのコートに替わったのは、当時流行のイヴ・モンタン風のコートであった。しかしこのコートは、ゴーゴリの小説のように失われてしまう。56年のハンガリー事件の頃、反政府の街頭デモを計画していた主人公は、深夜の街路で3人の追い剥ぎにこれを強奪されてしまうのである。
背広で震えていた主人公は、またもや古物商で運命的なコートとの出会いを経験する。今度はまさに56年フランス風の明るいグレーの羅紗のコートで、ネフスキー通りのベストドレッサーである美男子の「鼻」(本名ノーソフ)が、仕立てたとたんにサイズが合わなくなって手放したものだ。
以降の展開もゴーゴリ風である。「鼻」のコートを着た主人公は、ネフスキーの地下酒場でハンガリー暴動支援の演説をして逮捕されそうになる。するとそこに美人連れで現れた「鼻」本人が、3つの文字が記された赤い手帖を見せながら「未来の有名作家」を警官の手から解放するのである。後にこの手帖を見ると、そこにはKGBならぬNOS(鼻)の文字が書かれていた。
最後に「われわれは皆共産党から出てきた」「いやある人々はやっばり外套から出てきた……」「いや鼻から出てきた者もいる……」というアネクドートのおまけが付いている。
d)「平和の船ワシーリー・チャパーエフ号」
オーストラリアのクリシュナ教団のひとつブハガヴァトゥイ(福音者)の一行28人が、蒸気船ワシーリー・チャパーエフ号で、サマーラを目指してヴォルガ川を行く。ソ連政権の圧迫から解放されたロシアの信徒への応援が目的だが、同時にサマーラという地名が彼らの言葉で「至福」を意味するサムワラを連想させたからである。
平安と子孫繁栄を司る彼らの神は、同時にエロスの神でもあり、教団の日課は日の出前4時間の倒立、グルであるシリーラ・プラブハシヴィヌ・スヴァミによる信徒の女性一人との性交などから出来上がっている。
物語の前半は彼らと通訳レフ・オブナクとの関係の描写。酒飲みで肉食するオブナクと菜食主義の彼らとは両極だが、やがてオブナクは信仰生活に感化され、女性信徒との「合体」の儀式に参加するようになる。
いよいよサマーラに到着した一行は、地元の信徒や(元はディシデントだった)市長をはじめとする町中の歓迎を受け、市内を見学する。そしてそこで彼らの歓喜は疑念に変わっていく。まずサマーラの旧名クイビシェフが、彼らにとっては不吉な響きと聞こえる。さらに町の広場に建てられたチャパーエフと7人の闘う者たちの像が、憎悪に充ち血に飢えた悪しき力の具現と映ったのである。
旅への絶望から「最後の洗礼」(集団入水)の儀式を行おうとする教団の態度にうろたえた通訳オブナクは、彼らを前に乾坤一擲の演説をする。それによれば内戦期の武人であり、書物や映画やブロンズで悪しき諸力の具現たる形姿を与えられてきたチャパーエフは、実は死後40年にして悪魔の力からの解放者として甦った。すなわち無数の滑稽なアネクドートの主人公として、瀕死の国民がコミュニズムの悪霊たちから逃れるのに力を貸してきたのだ。この演説に続いて、彼はシェヘラザードのようにチャパーエフ種のアネクドートを次々と開陳し始める。やがて教団は伸びやかな笑いに包まれるのである。
物語は、町の住民がチャパーエフと7人の闘士の像をもじって、サーベルの替わりにグラジオラスを振りかざした平和なチャパーエフ像を演出するという、祝祭的な雰囲気で終わっている。
以上の他にも、現代ロシアのビジネス界のあやしげな人物たちを題材にした「サン・サーンス」「グローブ・フトゥルム」「革命のチタン」、66年に友人とエストニアの小さな島を訪れた経験談「AAAA」、亡命ロシア人のクイーン・エリザヴェス号での旅を書いた「PhD, QE2 and H2O」などが作品として面白い。
3.コメント
無から無へと無限の波がたゆたう中生代の海を思わせるネフスキー通り。そこを「私」は15年を経て再び歩いている。すると遥か前方から、60年代後半の反体制派のヒーローだったユーリー・レニエが、昔と同じTシャツに半ズボン姿で歩いてくる。全てを捨ててコミュニズムと闘うためにロシアに残り、本当に肯定的な役を果たした肯定的な主人公。しかし「私」は、近づいてくるその姿に違和感を覚える。なぜかしら彼の陽画には、陰画のような印象がただよっているのだ。
「ユーラ・レニエはしかし以前どおり自分の役を果たしている。近寄ってくるそのフクロウのような顔は、若々しく輝いている。額縁に、いや後光に包まれて。純白の乱髪と灰色の顎髭。それが原因だったのだ」
作品集と同名の掌編「肯定的主人公の陰画」のモチーフである。亡命世界から90年代ロシアを訪れた作家が、様々な形でかつての肯定的主人公と出会うが、みなおしなべて陰画のような雰囲気をたたえている。それは単に年齢からかも知れないし、また互いが生き方を変えたからかも知れない。しかしもっと本質的な問題は、陽画と陰画の差異を区別するような生活の文脈が失われてしまったことだろう。
本書はそうした「中生代の海」のような90年代ロシアを小説の言葉で書こうとした作者の記録である。作者はこの混沌を見る視点として、アメリカの篤志家やオーストラリアの教団、あるいは青春時代の自分たちの姿を持ち込んでいるが、登場人物たちの物語世界におさまりきれない作者の声が随所に表面化している。
肯定的主人公の陰画とは、現代世界に主人公やストーリーを求めようとする作者自身のことなのかも知れない。