●アカデミヤ・ザーウミ Akademiia Zaumi
アカデミヤ・ザーウミの詩(1)── セルゲイ・ビリュコーフ Biriukov, Sergei──
解説 武田昭文
1.作家について
セルゲイ・ビリュコーフ:1950年、タンボフ州のトルベエフカ村に生まれる。タンボフ教育大学を卒業後、同地のコムソモリスコエ・ズナーミャ紙でジャーナリズムに従事。1970年代から詩を発表し始め、1972年にベルリン国際文学コンクール賞を受賞している。処女詩集は『長い行程』(1980)。1990年に「アカデミヤ・ザーウミ」を発足し、ロシア・アヴァンギャルドの「詩的伝統」の<研究>と<発展>を活動目標に掲げ、ロシア国内外の前衛詩人、芸術家、およびアヴァンギャルド研究者を幅広く会員に集める。代表作は『ザーウミの詩神』(1991)で、この小詩集は「アカデミヤ・ザーウミ」の活動と相俟ってビリュコーフを一躍有名にした。1995年には、これまでの詩作の集大成的性格をもつ『無限記号』と、詩人の新たな境地を示す『GLORIA TIBI』(汝に誉れを)が刊行された。現在はタンボフ大学文学部助教授。近年、17世紀以来のロシア詩における「変則的詩形式」の歴史を概観した『ゼウグマ──ロシア詩の禁域に架ける橋』(1994)を著している。
主要な作品および参考資料は以下のとおり。
Dolgii perekhod.Voronezh. Biblioteka molodoi poezii, 1980.
Pishu s natury.(...), 1989.
Muza zaumi. Tambov, (Za schet sredstv avtora), 1991.
Znak beskonechnosti. Stikhi i kompozitsii. Tambov, Dobr. ob-vo liubitelei knig Rosii, 1995.
GLORIA TIBI. Moscow, Muzei Vadima Sidura, 1995.
ZEVGMA: Russkaia poeziia ot man'erizma do postmodernizma. Posobie dlia uchashchikhsia. Moscow, Nauka, 1994.
*
Bek T. Predshestvie--i shesvie vpered. Novyi mir, No. 10, 1996. pp. 221-224.
Oplitskii Iu.[Retsenziia na] Znak beskonechnosti. Novoe literaturnoe obozrenie, No. 21. pp. 441-443.
Akademiia Zaumi(Interv'iu s Predsedatelem Akademii Zaumi Sergeem Biriukovym). Volga, No. 7, 1995. pp. 71-92.
2.作品について
はじめに、長く地方に隠れた才能であったビリュコーフを、モスクワ・ペテルブルクの詩人たちに知らしめた詩集『ザーウミの詩神』(1991)について。筆者は、残念ながら、本書の書評を見ていないのだが、中央誌の情報とは関わりなく、この本は現代詩に携わる多くの人々にたいへん清新な印象をあたえたようである。この清新な印象とは、ロシアで批評家のオルリツキイや詩人のロシーロフから聞いた話を要約すると── ビリュコーフが「アヴァンギャルドの名のもとに、ほかならぬフレーブニコフやエレーナ・グローの言語感覚を生き生きと甦らせた」ということにあるらしい。── それは何を意味するかを問うことが、この考察のモチーフになる。
『ザーウミの詩神』は30ページ余りの瀟洒なポケット本である。白、黒、グレーの三色刷りでコンピュータ製本された中身には、様々な活字を組み、図版を交えながら、おもに現代の創作家やロシア・アヴァンギャルドの詩人たちに捧げたオマージュ詩が集められている。その挨拶の多くは、タイトルどおり、「ザーウミ」に踏み込んだナンセンス詩で、翻訳しても意味がない。だが同時に収録された何篇かの抒情詩は、平明な中に、思わず、ハッとするような煌めきを持っており、単に言語実験というのとは異なるビリュコーフの「ザーウミ」のありようを明らかにしている。
たとえば、この詩集の始まりと終りの詩を読んでみよう。
「きつつきすいかしましまよ」
というエリザヴェータの定義
年寄り白樺のむくんだ脚
松の硬皮質の顔
葉っぱになった赤いちご
ヤマナラシは血だらけの涙
胸の木を伐るような懐かしさ
ほっ─ほっ─ほう!
木 霊 す る 呼 び 声
***
……ぼくはおまえにコトバを運び
おまえの掌にくちづけした、
そのとき悪のあいだに
水の上の乾いた炎が昇った。
おまえは ── 剥き出しのぬくもり
海の塩からい波にぬれた、
波はたくらみゆえに明るく
計らいにより捕われがない。
神のひかりのたまごが昇り
ひよこのひとが熟すところ、
バラでふくらんだ一月、
光の中 ── ライラック色の鳥影
この二つの詩は、ビリュコーフの「ザーウミ」の<起源>を語り、また<未来>を差し示すように感じられる。幼児がはじめて世界を見る言葉に立ち返り、そうした言葉が開く世界の「理知を超えた」情景をあらわしていくこと。この<起源>と<未来>の振幅の中で、ロシア未来派における「言葉の遊び」と「幼性の発見」(それを最も体現したのが、フレーブニコフとエレーナ・グローであった)が、再び/新たに見出される。
このようなビリュコーフの詩的世界を、つぎに詩集『無限記号』(1995)から具体的に特徴づけてみたい。この詩集には、これまで発表できなかったものを含めて、1970年代末から1990年までの詩が150余篇集められており、『ザーウミの詩神』によって現代ロシア詩のシーンにデビューするまでのビリュコーフの創作の歩みがたどれるようになっている。以下、この詩集の雰囲気を作る重要なモメントと思われるものを、いくつか箇条書き的に抜き出してみる。
・フォークロアとアヴァンギャルド
ビリュコーフの初期詩篇は、何よりもまず、その横溢するフォークロア的詩法によって印象づけられる。詩人の関心は、もっぱら「言葉あそび」としてのフォークロアの小さいジャンルに向けられている。取り上げられる詩形式は──「ほら話」(nebylitsa)「数え歌」(schitalka)「早口言葉」(skorogovorka)「謎かけ」(zagadka)といったもの。とりわけ「ほら話」は、ビリュコーフが自家薬籠中にする形式で、「そんな馬鹿な!」と半畳を入れて鋭く場面を切り替えていくテンポは、元来、小詩型を得意とするこの詩人の方法的出発点を窺わせて興味ぶかい。
未確認飛行鳩
あそこを鳩が飛んでった
で 釣り穴に落っこった
そこで魚が釣れたとさ
だけど 氷がまっぷたつ
水がどぶんと波うった
で
百姓ふたり
水の泡
どこへやら
──こいつはただの作り話
で 嘘っぱち
いったいどんな鳩が
いったいどんな水が百姓を
水の泡ってことなら呑百姓さ
鳩は未確認
百姓は行方不明
だから いまごろ海の底
あわれだね
(1979)
こうして時にアイロニーやグロテスクを巻きこみながら、詩集は軽快なリズムで展開し、そこに違和感なくアヴァンギャルドの詩的技法が合流していく。その際に注目されるのは、この技法の習得が、アヴァンギャルド詩のレミニッセンスとして、やはり小詩型において行われることである。
・詩的技法のレミニッセンスとしてのミニチュア詩
オマージュは、ビリュコーフの詩における基本的姿勢であり、技法のレミニッセンスといっても単なる模倣やパロディをねらうものではない。それは、むしろ「まねび」という古語を思いおこさせる詩の捧げものであり、技法の習得をとおして精神を獲得しようとするものである。この詩集には、フレーブニコフ、プラトーノフ、フィローノフその他、また多くの現代の創作家に捧げた詩があり、ほとんどひとつのテーマ・ジャンルをなしている。このようにオマージュに動機づけられたレミニッセンス=ミニチュア詩の方法について、詩人のタチヤーナ・ベークは、たとえばつぎのような詩にフレーブニコフの精神の甦りを感じている──
「ビリュコーフの詩におけるレミニッセンス性は、模倣というには、あまりにも精彩にとみ、情熱にみちている。彼の感覚のヒエラルヒーにとって、生と文芸、草と文字、雷と押韻のあいだに概念的区別はない(「鉄橋と『イーゴリ軍記』のどちらが今に近いか区別できない白痴のアインシュタイン」と、フレーブニコフについて語ったのはマンデリシュタームであった)。」
なんて広く果てしなく
ぼくの中に開いたもの、
引用の燃え差しが
遠くで光っている。
ほら、あそこを
着想が走り抜けた
赤毛のリスそっくり?
気をつけて
またげ、地平線。
あの向こうは、ひょっとして
底なしの
無 限 界
・言葉のフローラと鳥世界
人間と事物と生きものの「境界」を自由に横断するビリュコーフの詩的世界は、自然界のすべてのものに霊魂や精霊があると信じるアニミズムの世界感覚にかようものがある。この神話的空間をみたすのは、何よりも「植物」と「鳥」のイメージである。この二つのイメージは、さらに「言葉」のメタファーとなって詩をオルガニックに動態化していく。再び、タチヤーナ・ベークの言葉を借りれば、「植物」と「鳥」は、ビリュコーフの「無意識のレベルに刻みこまれたイメージ」なのである。
ビリュコーフにおける「植物」「鳥」そして「言葉」の用法を見てみよう。
ゲンナージイ・カラシニコフに
ライラック色の灰のあいだから
赤い屋根があらわれ
屋根からりんごの木が垂れさがる
ように見えた、
ぼくが語るのは
かつてあったこと
ではなく、ぼくが語るのは
もはやないこと。
そこには古いさくらの木があり
たくさんの瞳を輝かせていた、
そこにはやさしい鳥がおり
甘いさくらんぼをつついていた。
そしてコトバはひとりぼっちで死んだ。
そしてひとは彼を土に埋めた
そそくさと。
新しい庭が生い育った
辛抱づよく。
どこかで新しいコトバが
芽を吹いた。
だがもうイラクサは
彼らを刺さない、
もはやいない
ものたちを。
(1981)
たとえば、この詩の最初の4行は、喫煙時のタバコの火先を書いたものだといったら、驚きをおぼえるだろうか。灰の積んだ先端部から火が見え隠れし、そこから白い煙が昇っている。喫煙の場面が、「ライラック色の灰」「赤い屋根」「りんごの木」とことごとく植物のイメージで捉え返されることにより、追想の庭の場面に無理なく連繋されていく。これはほんの一例にすぎないが、このように遍在する植物の連想は、ビリュコーフの詩をいつも開かれた空間に解き放ち、また様々な時空の転位(ズドヴィーク)を自律的に動機づける。
つぎに、植物のイメージで語られる「コトバ」について。
言の愛子
言の継子
言のヒマワリ
言の種菓子
(…)
言の木
言の草……
『払暁』(1984)
ビリュコーフの詩では、あらゆるものが「無意識的に」植物にイメージ化されることを述べてきたが、このように植物が言葉のメタファーに展開するとき、そこには「世界」・「植物」・「言葉」の三項が、互いに互いを映し合って循環する無重力的ともいえる風景があらわれる。いうところのシニフィアンとシニフィエがつねに互換性を秘めている可能世界 ── それは明らかにビリュコーフがフレーブニコフから学んだものだろう。
ビリュコーフの詩の舞台装置はこのようだ。そして、この舞台の主人公となるのが「鳥」である。「鳥」の越境者としてのイメージもさることながら、ビリュコーフでは「鳥」が、何よりもまず「意味を超えた音言葉」のメタファーとして見出される。
このように超意味言語としての「ザーウミ」は、「鳥」のイメージから具体化され、再発見される。ビリュコーフの有機的/生態的な詩学にあって、それは可能世界(植物相)における可能言語(動物相)として組みこまれ、詩の風景から浮き上がることがない。
ぼくは鳥の言葉で話した
シジュウカラ語にムクドリ語、
そう、ぼくにはぼくの理由があった
冷たい風に吹かれて囀るのには。
でもどうだ、なにか違うのをやってみたら。
「ほら、なんだか、つまり、あの」
間投詞、補助詞、これがぼくらの暮らし
というもの。内気で、だからいかめしい。
ぼくはこの学校で、この格好で
きみと足を踏み鳴らした。いつも変わらず
最後のものを大事に守ったきみたちと──
詩の小道、比喩の生い茂る力を。
(1988)
この詩の最終行の原文は、《tropu stikha, glukhuiu silu tropa.》。「小道」(tropa) と「比喩」(trop) の類音をリンクにして(そして、この二つはビリュコーフにおいて、同じひとつのものにほかならない)、「詩の小道」→「比喩」→「生い茂る(生命)力」と結ばれるイメージ。こうした言葉のしなやかな連環を見つけることに、ビリュコーフの『無限記号』を読む愉しみがあるといっても過言ではない。
・息と言葉のあいだに
さて、このようなビリュコーフの詩的世界の創造的展開という意味で、最後に、新詩集『Gloria Tibi』(1995)から新たなモメントをひとつだけつけ加えておきたい。1995年冬、モスクワのドーム・シドゥーラで開かれた朗読会のパンフレットとして出た、この16ページの詩集には、これまで挙げた三つのモメントが、すべて含まれ、なおかつまったく新しい表現を見ている。それは「ザーウミ」の炸裂といえるものだ。
ことばの体操
そおれ 声の青あそび
のどちんこを押さえつけ
同時に
唇をやや引いて
「ミズモグラ!」と言ったら
トロップ・トロップ
比喩が飛び跳ねる
舌の木偶の坊を
押さえつけ 放してやる
同時にことばが
ほおら 声
ほおら 言語
このように『Gloria Tibi』に息づくリズムは、現代音楽のインプロヴィゼーションにきわめて近い。実際、ビリュコーフは今、自らの詩を「即興性」の場において鋳直す実験に入ったように思われる。最近のビリュコーフの詩からは、描写が希薄になり、かわって自由詩格の音律構成が前景化してきた。創作家にとってはたいへん危険な道をあえてとりながら、ビリュコーフは自らの詩的記憶をひとたび無意識に沈めることで、新しい詩語の「軽味」と「キレ」を追求するのだろうか。しかし、この試みにおいて、瞬発的な速度で呼び起こされる『無限記号』のイメージは、ビリュコーフの「ザーウミ」を確かに自生的言葉(samovitoe slovo)として支えている。
3 コメント
ビリュコーフは、雑誌『ヴォルガ』(1995年7月号)のインタビューに答えて、「アカデミヤ・ザーウミ」を発足した第一の理由に、「ロシアでもアヴァンギャルドが真面目な研究の対象となるべき時がとうに来ている」ことを挙げている。この発言は、自身、研究者として活動するビリュコーフのアヴァンギャルドに対するアプローチを表すと同時に、今日の文脈における「アヴァンギャルド」の必然的な変質というものをも示唆している。すなわちアヴァンギャルドが、新奇なものの追求や、過去の芸術様式の否定としてあった段階は終焉し、いまや、それは歴史的時間の中で対象化されながら、新たに「詩的伝統」として見出されようとしている。
ビリュコーフにおける「ロシア・アヴァンギャルドの変容」を「変質」として指弾することはおそらくたやすい。ロシア未来派にあった社会的アピールや宇宙的想像力、マヤコフスキイやフレーブニコフの万象をのみこんだ叙事的語りというものは、ここにはない。しかし、この「変質」は、そのまま今世紀の始まりと終りをへだてる歴史的時間の意味を照射するものだろう。ビリュコーフの歩みは、ある現代の反省的な詩人の中で「ロシア・アヴァンギャルドの何が採られ、何が退けられたか」という問題を投げかける点において、ゲンナージイ・アイギを彷彿させる。