●アカデミヤ・ザーウミ Akademiia Zaumi
アカデミヤ・ザーウミの詩人たち
──あるいはロシア・アヴァンギャルドのもうひとつの系譜──
武田昭文
1. アカデミヤ・ザーウミ──問題の設定
1990年、タンボフの詩人セルゲイ・ビリュコーフの呼びかけのもとに発足した私設アカデミー。ロシア・アヴァンギャルドの「詩的伝統」の<研究>と<発展>を活動目標に掲げ、ロシア国内外の前衛詩人を中心に、アヴァンギャルド研究者をも幅広く会員に加えて現在に至る。この<研究>と<発展>とは、それぞれ具体的に言うと、ロシア・アヴァンギャルド詩史の復元作業(各種アルヒーフの出版)、および会員の詩人たち各自の創作におけるその創造的展開が目されている。
このような、詩人たちによるロシア・アヴァンギャルド詩史の復元の試みは、これまでに、例えば50年代のモスクワにおける「チェルトコーフ・グループ」の活動があったが、このときの活動は、ロシア・アヴァンギャルド関連の詩集や雑誌の収集にとどまり、またチェルトコーフがまもなく強制収容所に送られることにより、活動そのものが途絶してしまった。「チェルトコーフ・グループ」の挫折に見られるように、ソ連体制下の1930年代から80年代までの50年余り、ロシア・アヴァンギャルドは徹底的に弾圧され、隠蔽された(この意味で、ビリュコーフたちの唱えるロシア・アヴァンギャルドの「詩的伝統」とは、決して連続的なものではなく、大きな断絶を胎んでおり、まさに復元作業にほかならないことを指摘しておきたい)。ペレストロイカ以後、ロシアには、今まで禁制だった様々な現代詩の潮流が現れてきたが、そうしたなかでロシア・アヴァンギャルドを「継承」する立場をはっきりと打ち出したのは、事実上、アカデミヤ・ザーウミの詩人たちがはじめてである。
しかし、ソ連時代におけるロシア・アヴァンギャルド弾圧の歴史が示すように、「伝統」と言い、「継承」と言っても、それはオリジンとの断絶から出発した「再発見」の道程としてしかありえない。今日アカデミヤ・ザーウミを構成する詩人たちも、主に70−80年代のいわゆる停滞の時代に、モスクワ、レニングラード、タンボフ、エイスクなど、ロシア各地で、それぞれ自らの創作を進める過程でロシア・アヴァンギャルドの詩的実験を独自に「発見」していった、かつての非公式詩人たちである。
ここでは、アカデミヤ・ザーウミの詩人たちの作品から、ある何かの共通項を引き出すことによって、現代ロシア詩における「ロシア・アヴァンギャルドの変容」といったものを考察してみたいと思うが、この課題は二重に困難である。まず第一に、それぞれの詩人におけるロシア・アヴァンギャルドの「発見」は、彼らの来歴が異なるように、それぞれ独自であり、容易な一般化を許さないこと。そして第二に、アカデミヤ・ザーウミの構成が、特定の都市を中心にしたグルーピング(例えば、モスクワ・コンセプチュアリズムやレニングラード派)とは異なり、ロシア各地のみならず、ヨーロッパ、アメリカ(そして日本)に点在する会員を単位とするネットワークとして存在していることである。実際、アカデミヤ・ザーウミの会員の相当数が亡命詩人であり、この事実は、彼らの創作に西側の現代芸術からの多大な影響を及ぼし、ネットワークの全体像をいっそう複雑なものにしている。
だが、ともあれ、考察の糸口を探してみよう。
アカデミヤ・ザーウミの主な会員は次の通りである(アルファベット順)。
G・アイギ、D・アヴァリアーニ、V・バールスキイ、S・ビリュコーフ、ボニファーツィイ(ルコムニコフ)、A・ゴルノン、E・カチューバ、K・ケドロフ、B・コンストリクトル、B・クドリャーコフ、S・クドリャーフツェフ、K・クジミーンスキイ、I・ロシーロフ、T・ミハイロフスカヤ、E・ムナツァカノワ、R・ニーコノワ、A・オチェレチャンスキイ、S・シゲイ(シーゴフ)、V・シェルスチャノーイ、V・エルリ……
また研究者として、A・ブブノフ、T・ニコーリスカヤ、V・スホパーロフ、J・ヤネチェク……
なお、ここには含まれないが、ウラジーミル・カザコーフ(1938−1988)が、ロシア・アヴァンギャルドと現代を繋ぐ重要な作家として、アカデミヤ・ザーウミの関心を集めていることを書き加えておく。
これらの詩人たちの顔ぶれに表れた、アカデミヤ・ザーウミのきわめて複合的な性格を確認した上で、このネットワークにおける求心的原理を割り出すために、まずアカデミヤ・ザーウミによる<研究>活動に焦点を絞ってアプローチしてみたい。アカデミヤ・ザーウミの見出したロシア・アヴァンギャルドの「詩的伝統」がどのようなものであるかは、そこに「詩的コンテクスト」の復元という形で現れてくるはずである。主催者のビリュコーフをはじめ、アカデミヤ・ザーウミの会員の多くが自ら詩人と研究者をかねていることも、このアプローチの有効性を根拠づけると思われる。
この準備作業を通して、アカデミヤ・ザーウミが、なぜ、「ザーウミのアカデミー」と名付けられているのか、という理由も明らかになるだろう。
2. アカデミヤ・ザーウミのロシア・アヴァンギャルド研究
アカデミヤ・ザーウミの組織としての活動は、主に次の三つの分野からなる。
(1)文集『チェルノヴィーク』(1989年創刊)の刊行
オチェレチャンスキイを編集長として、ニューヨーク─ペテルブルクの「チェルノヴィーク」出版局から、現在、第11号まで刊行されている。A4版の大型詩画集で、今日の詩と絵画の実験を取り込んだユニークな編集方針は、次のような同誌の目次──詩、散文、混合ジャンル、批評、ヴィジュアル・ポエトリー、グラフィック・アート、自由ページ、翻訳、アルヒーフ──を紹介するだけで、十分に理解されるだろう。この雑誌は、完全な投稿制によって運営されており、アカデミヤ・ザーウミの詩人たちの作品ばかりでなく、コンセプチュアリズムや亡命詩人の作品も積極的に掲載し、また同時に、モスクワやペテルブルクなどの「中央」に出られない「地方」の才能の登龍門として重要な役割を演じている。現代ロシア詩のシーンを追うには欠かせない雑誌である。
(2)ロシア・アヴァンギャルド詩人の著作集と研究書の出版
アカデミヤ・ザーウミによるロシア・アヴァンギャルド詩史の復元作業の成果として、まず挙げられるのは、オチェレチャンスキイとヤネチェクを中心に編纂された「ロシア・アヴァンギャルド資料集1・2」と「アンソロジー」の刊行である。
1. Zabytyi abangard. Rossiia. Pervaia tret' XX stoletiia. Sbornik spravochnykh i teoreticheskikh materialov. Wien: Wiener Slawistischer Almanach 21, 1989.
2. Zabyityi avangard. Rossiia. Pervaia tret' XX stoletiia(kniga 2). Novyi sornik spravochnykh i teoreticheskikh materialov. -New York- CPb., Chenovik, 1993.
3. Antologiia avangardnoi epokhi. Rossiia. Pervaia tret' XX stoletiia(poeziia)--New York-S.-Peterburg: Glagol'(Biblioteka Chernovika), 1995.
また昨年末から刊行が開始されたクルサーノフのロシア・アヴァンギャルド史研究も、「チェルノヴィーク叢書」として出ており、アカデミヤ・ザーウミの活動と繋がりがあると見られる。
A. V. Kursanov. Russkii avangard: 1907-1932 (Istoricheskii obzor) v trekh tomakh. Tom 1. Boevoe deciatiletie.--SPb.: Novoe literaturnoe obozrenie(Biblioteka Chernovika), 1996.
もうひとつ、注目されるのは、アカデミヤ・ザーウミとモスクワのギレヤ書店との連帯関係である。ギレヤは、ロシア・アヴァンギャルド関係書の出版に最も熱心な書店であり、これまでにクルチョーヌィフ、マレーヴィチ、ヴヴェデンスキイ、カザコーフなどの著作を刊行してきたが、そこにはつねに編集委員としてのアカデミヤ・ザーウミの会員のイニシアチヴがあった。ここで特に名前が挙げられるのは、クドリャーフツェフとニコーリスカヤである。クドリャーフツェフとニコーリスカヤは今、ズダネーヴィチ著作集とテレンチエフ論集の刊行を進めており、さらにギレヤの今後の出版計画には、トゥファーノフの著作の刊行が目論まれている。
アカデミヤ・ザーウミの詩人たち各自の研究領域をざっと見ておこう。
アイギ──80年代末から90年代にかけて、『本の世界』誌に、エレーナ・グロー、クルチョーヌィフ、フィローノフ、グネードフ、ボジダールについてのエッセイを連載。この貴重な連載は編集部の方針転換により中断してしまった。今後、いずれかの雑誌において再開されることを望みたい。
ビリュコーフ──フレーブニコフを中心とするロシア・アヴァンギャルドの詩的実験の全域をカヴァーする詩史の書き換えを進める。彼の著書『ゼウグマ──ロシア詩の禁域に架ける橋』(1994)については、4で紹介する。妻で音楽学者のスヴェトラーナは、トゥファーノフ、ヴヴェデンスキイの音響詩の演奏法に関する論文を発表している。
コンストリクトル──テレンチエフ、およびオベリウの研究。
クジミーンスキイ──余りにも有名な現代ロシア詩アンソロジー『ブルー・ラグーン』の編纂者。1930ー80年代のロシアのサミズダート詩を集成した全7巻13冊のシリーズは、文字通り、20世紀ロシア地下文学の「百科事典」と呼ぶに適応しい。
ロシーロフ──ザボローツキイ研究。この詩人の代表作『ストルプツィ』に関する博士論文がヘルシンキから刊行予定中。
シゲイ(シーゴフ)──『ロシアにおけるヴィジュアル・ポエトリーの歴史』の著者。また、イタリアで刊行されたグネードフ著作集(トレント、1992)の責任編集者としても知られる。ビリュコーフと相並ぶアカデミヤ・ザーウミの理論的支柱であり、フレーブニコフ、クルチョーヌィフ、ズダネーヴィチ、テレンチエフ、チチェーリンに関する多数の論文がある。
エルリ──オベリウの研究。1993年にギレヤから刊行されたヴヴェデンスキイ著作集の編集に加わる。
ブブノフ──『パリンドローム(回文詩)のタイポロジー』の著者。クルスクから回文情報紙『Amfirifma』を独力で刊行し、その号数は、現在までに25号を数える。
スホパーロフ──クルチョーヌィフ研究。著書に『クルチョーヌィフ──未来派詩人の運命』(1994)があり、またこの詩人に関する回想録を編纂している。いずれもドイツから刊行。
ヤネチェク──『The look of Russian Literature : Avant-Garde Visual Experiments, 1900-1930』(1984)の著者。欧米における「ザーウミ」研究の第一人者であり、昨年末、この十年来の論考をまとめた大著『Zaum : The Transrational Poetry of Russian Futurism』(1996)が刊行された。
クドリャーフツェフとニコーリスカヤについては既述。
なお、ミハイロフスカヤは『新文学展望』誌の編集委員であり、同誌にて、これまでに何度かアカデミヤ・ザーウミの詩人たちの作品の特集を組んでいる。
(3)ロシア・アヴァンギャルドをめぐる国際学会の開催、および協力活動
現在ではロシアの各地で、ロシア・アヴァンギャルドにちなむ様々な国際学会が開かれているので、それをいちいち追うことはせず、筆者の直接に知り得た範囲内で報告する。アカデミヤ・ザーウミが主催する国際学会は、これまでに二度、タンボフで開かれている──「ロシア・アヴァンギャルドの詩学」(1993)、「言語とことばのエコロジー」(1996)。1993年の学会は、著名なフレーブニコフ研究者のグリゴーリエフをはじめ、オチェレチャンスキイ、ヤネチェク、ニコーリスカヤほか、会員以外からも、ベレゾフチューク、リョーフシンなどが参加し、大変な盛会で、また充実した論文集が編まれた。それに対して、1996年の学会は、参加予定者のキャンセルが相次ぎ、今のロシアの経済事情下にタンボフのような僻地で学会を開催し続けることの困難を示す結果になった(ロシアの学会によくある論文参加という形での優れた論文集が出ることを期待したい)。
このような事情のため、今後、協力活動の方が主体になると思われるが、そうした協力の例として──1995年11月、モスクワの世界文学研究所で、フレーブニコフの生誕百十年を記念する国際学会「フレーブニコフと世界文化」が開かれたが、このときアカデミヤ・ザーウミの詩人たちは、学会の報告者として参加するばかりでなく、いわば二部会として、芸術サロン「ドーム・シドゥーラ」で、フレーブニコフの作品を題材にした、詩の実験的朗読と音楽によるパフォーマンスと、ヴィジュアル・ポエトリーの問題についての討論会を催した。この参加形態は、創作家の集まりとしてのアカデミヤ・ザーウミの性格によく合致すると言えよう。
このようなアカデミヤ・ザーウミの<研究>活動を通して見えてくるのは、「マヤコフスキイ」「レフ」「プロレトクリト」を中心にした従来のロシア・アヴァンギャルド観を塗り替える、もうひとつのロシア・アヴァンギャルドの系譜である。
フレーブニコフとクルチョーヌィフの詩的実験から展開したもうひとつの未来派運動、トゥファーノフ、テレンチエフ、ズダネーヴィチ、チチェーリン、オベリウなどの名前が形づくる星座を、仮に「ロシアのザウームヌイ・アヴァンギャルド」と呼ぶことで、この「見出された詩的コンテクスト」の性質を大掴みに取り出してみよう。
3. ロシアのザウームヌイ・アヴァンギャルド
最初に、ロシアのザウームヌイ・アヴァンギャルドの主要人物をクロノロジカルに書き出してみる(本来なら、年表と関係図を作成するべきであるが、ひとまず省略する)。
1. ザーウミ詩人・理論家の第一世代
<立体未来派>とその周辺
ヴェリミール・フレーブニコフ(1885−1922)
アレクセイ・クルチョーヌィフ(1886−1968)
カジミール・マレーヴィチ(1878−1935)
エレーナ・グロー(1877−1913)
<自我未来派>
ヴァシリスク・グネードフ(1890−1978)
<ツェントリフーガ>
ボジダール(ボグダン・ゴルデーエフ)(1894−1914)
コンスタンチン・ボリシャコーフ(1895−1938)
2. ザーウミ詩人・理論家の第二世代
<ザウームニキ>
アレクサンドル・トゥファーノフ(1877−1941[?])
イーゴリ・テレンチエフ(1892−1937)
イリヤ・ズダネーヴィチ(1894−1975)*1920年、パリに亡命
<構成主義者>
アレクセイ・チチェーリン(1889−1960)
<オベリウ>
ダニイル・ハルムス(1905−1942)
アレクサンドル・ヴヴェデンスキイ(1904−1941)
ニコライ・ザボローツキイ(1903−1958)
3. 1930−1980年代:断絶の時代
<チェルトコーフ・グループ>*
<リアノゾヴォ>*
<その他>として、次の三人の詩人を挙げておく。
ゲンナージイ・アイギ(b.1934)
ウラジーミル・カザコーフ(1938−1988)
レオニード・アロンゾン(1939−1970)
4. 1990年代:アカデミヤ・ザーウミの活動開始
では、このロシア・アヴァンギャルドのもうひとつの系譜を束ねるキー・ワードである「ザーウミ」とは、いったい何か。それは、この異貌のアヴァンギャルド群像において、どのように捉えられているのか。
まず、「ザーウミ」の辞書的定義を見ておこう。
ザーウミ──「論理的理解の範囲を超えたもの、何かザウームヌイなもの。」同意語に、「ベススムィースリッツァ」、つまり「でたらめ」「たわごと」「ナンセンス」が挙げられている(したがって、アカデミヤ・ザーウミは、ザ・ナンセンス・アカデミーとも言い換えられるわけである)。また、ザウームヌイを見ると──「わけのわからない」「ニパニャートヌイ」という説明があり、用例に、ザウームヌイ・ヤズィーク──「ロシア未来派の創り出した不可解な言葉」とある。
このように、日常の語感では、「ザーウミ」はむしろ軽蔑の対象を差すと言える。
だが一方で、「ザーウミ」は、これとはまったく相反する意味を持っている。例えば、宗教的エクスタシーにおける舌がかり(グロソラリア)は、聖なる「ザーウミ」として、ロシアの民衆に畏れ敬われてきた。新約聖書のパウロの言葉、「異言を語る者は人に語るにあらずして、神に語るなり。そは魂にて奥義を語るとも、誰も悟る者なければなり。」(コリント前書12章2. 3節)は、この事実に正確に照応する。つまり、「ザーウミ」は畏怖の対象をも差してきたのである。
かくして、「ザーウミ」は相反する価値をもろともにつつみ込む。それは、たわごとであり、聖なる言葉である。優しく愛撫するような至福の言葉であり、同時にまた、言葉にならないことを叫んだり、つぶやいたりする祈りの言葉である。あるいは、そうしたいっさいの理由を超えたところにある何かに触れるための言葉である。それは、言葉であって、言葉でない、言葉なのだ。このような「ザーウミ」の両面価値性がもつ詩的エネルギーにはじめて注目したのが、フレーブニコフとクルチョーヌィフであった。この二人の詩人の間には、「ザーウミ」の理解をめぐって、フレーブニコフは、人知を超えた「絶対知」の探求として「ザーウミ」を捉え、クルチョーヌィフは極私的な「情動言語」の爆発として「ザーウミ」を捉えるという、まったく相反する態度がとられたが、いずれにおいても、言葉が言葉になる瞬間(do slova)と、また言葉が言葉でなくなる瞬間(za slovo)に、遡り、また突き抜けることにより、意味の生成と消滅をひとつひとつ確かめながら、詩の新しい道が辿られ始めたことは間違いない。つまり、フレーブニコフとクルチョーヌィフにおいて、「ザーウミ」は、詩の存在理由そのものを問う「境界現象」として発見されたと言ってよいだろう。
なお、ここでは詳述を避けるが、従来、「ザーウミ」を自己完結した言語ユートピアの極限形態として見る研究がしばしば行われてきた。この議論で面白いのは、「ザーウミ」が、確かに、そう見られても妥当な側面を持ち、それと同時に、そもそも文学という言語ユートピア自体の存立に揺さぶりを掛ける「境界」に位置していることである。またもや、「ザーウミのアンチノミー」であるが、今後、このヤヌスの双貌を視野におさめた研究が必要とされるだろう。
フレーブニコフとクルチョーヌィフの発見は、まもなく、マレーヴィチとグネードフによってさらに徹底的な問題意識に深められた。
芸術の否定である。
マレーヴィチの『黒の正方形』(1913[?]1915[?])と、グネードフの『芸術に死を』(1913)は、「ザーウミ」における「境界」を、文字通りの意味で、文学・芸術の「零度」にまで推し進めた。マレーヴィチの黒い画布(黒い無)とグネードフの白いページ(白い無)は、絵画という「行為」そのもの、文学という「行為」そのものの「場所」=「境界面」を差し示した。「ここから/これから、どう動く?」という最後で最初の問いかけを、時代のアヴァンギャルドにぶつけたのだ。グネードフの『芸術に死を』は、14篇の一行詩と1篇の白紙からなる全15篇のポエマであるが、この作品を朗読するとき、グネードフは、最後の「終わりの詩」と題された白紙箇所でいつもある「身振り」を示すことで朗読を終えたというエピソードがあって、大変興味深い。ちなみに、アカデミヤ・ザーウミでは、グネードフが、フレーブニコフやクルチョーヌィフに相並ぶ高い評価を受けている。この詩人は、日本ではまったく研究されていない。
このように、フレーブニコフ、クルチョーヌィフ、グネードフの「ザーウミ」実験は、「文学」の「零度」を問い、そこから「境界」の符号である括弧をはずした。そして事実、彼らのあとに続いた、トゥファーノフ、テレンチエフ、ズダネーヴィチ、チチェーリンは、いずれも「文学」から出て行くことによって、文学の表現範囲を広げる役割を演じたのだ(オベリウの問題は、少し複雑であり、コメントに後述することにしたい)。
トゥファーノフは、フレーブニコフにおける「絶対知」の探求としての「ザーウミ」論を展開し、なにか鳥の歌を思わせる音響詩の創作に到った。トゥファーノフの論文『ザーウミへ』(1924)は、今では「ロシア・アヴァンギャルド資料集1」で簡単に読めるようになったが、その異常に精緻な音意味論と、美しい「鳥の囀り」としか言いようのない詩をどう結びつけたらよいのか、トゥファーノフの「ザーウミ」は、最も「たわごと」に近く、最も「難解」である。だが、それはひとつの楽譜として理解されるべきなのだろう。トゥファーノフにおける純粋抽象の詩音楽の追求は、現代音楽と舞踏におけるオリヴィエ・メシアンやメレディス・モンクの仕事を思わせる。
テレンチエフは、ズダネーヴィチとともに、クルチョーヌィフとの出会い(チフリスの<グループ41゜>運動)から出発し、演出家への道を歩んだ。テレンチエフは、フレーブニコフ、トゥファーノフ、ハルムスの「ザーウミ」演劇の魅力的な「演出計画者」として、メイエルホリドなどの注目を集めていたが、活動開始と同時に弾圧に会い、計画はすべて未完に終わったという、謎の人物である。残された仕事はきわめて少なく、アルヒーフの類もほとんど散逸してしまっている。逆に言えば、アカデミヤ・ザーウミによる復元作業が最も問われるところだ。テレンチエフの復権は、ロシア・アヴァンギャルドの演劇実験において、メイエルホリドの「身体言語演劇」に対する、もうひとつの「言語身体演劇」の可能性が存在したことを証明するだろう。
ズダネーヴィチは、亡命先のパリで、トゥファーノフとは別途に音響詩の問題を追求し、そうした音読のための詩の楽譜としてヴィジュアル・ポエトリーの新ジャンル「ドラー」を創り出した。「ドラー」の演奏は、詩人の自作朗読テープが残されており、今でも聞くことができる(複数の朗読者の声のエコーを重ねて、無時間的な音響の場を出現させる、現代音楽的にも面白い音声実験である)。そのヴィジュアル・ポエトリーにおける演奏については、先に挙げたヤネチェクの『The Look of Russian Literature』が詳しい。パリの芸術家たちと幅広い交際のあったズダネーヴィチの存在は、ロシア・アヴァンギャルドのフランス前衛芸術への影響という観点からも興味深い。なお、ズダネーヴィチは、20−30年代に「ロシアのザウームヌイ・アヴァンギャルド」の「感性」を窺わせる長編小説を書いており、特に『歓喜』(1930)は、同時代の例えばヴァーギノフの小説との比較などを含めて、今後、紹介されていく価値があるだろう。
詩における構成主義を代表するチチェーリンは、セリヴィンスキイ、キルサーノフなどとともに、詩の新しい書記法を発明し、ヴィジュアル・ポエトリーの領域に数々の先鞭をつけた。分析的構成主義と言うべきチチェーリンの詩テクストは、やはり音読的観点から出発しているが、それがやがて発声法を転記する記号自体の独立を促し、抽象絵画的表現にまで展開していった。それが、「詩」であるのか、「絵画」であるのか、もはや詩人のコンセプトによってしかはかれない。エル・リシツキイの構成主義デザインを思わせ、また時にカンディンスキイの抽象絵画をも思わせる、チチェーリンの「構成詩」は、ロシア・アヴァンギャルドにおける詩と絵画の緊密な関係がどのような共通言語によって結ばれていたのか、という問題を考察する大きなヒントであり、また同時に、「音」と「言葉」を結びつけ、「言葉」と「絵画」を結びつける「記号」(「文字そのもの」)に対するこの時代の深い関心を差し示している。
このように、言語と非言語、芸術と非芸術の危うい「境界」線上で活動を行ったのが、「ロシアのザウームヌイ・アヴァンギャルド」であるが、そこでつねに問題になっていたのは、言語・芸術作品のオルガニックな「演奏」による別次元の現実(言語身体のヴァーチャル・リアリティー)の獲得であったように思われる。そしてアカデミヤ・ザーウミは、まさに、この「境界感覚」と「演奏実験」を自らの「詩的伝統」として受け継ごうとしていると言ってよいだろう。
ここから、必然的に、アカデミヤ・ザーウミの関心は「言葉の振舞い」の諸相に向けられていくが、それは大きく分けて二つの方向性をとっている。ひとつは、ポエティック・アクションとしてのパフォーマンスであり、もうひとつは、詩テクストそのものにおける形式実験である。
だが、今日、いったいどのような詩の形式実験がありえると言うのか。
おそらく、こうした問いに答えようとするのが、ビリュコーフの著したまったく新しいタイプの「大学教科書」──『ゼウグマ──ロシア詩の禁域に架ける橋』(1994)である。このビリュコーフにおけるロシア・アヴァンギャルド詩史の復元方法を、最後に概観しておきたい。
4. 『ゼウグマ──ロシア詩の禁域に架ける橋』
ビリュコーフの『ゼウグマ』は、ソロス基金の援助にもとづく「ロシア人文教育改革」プログラムの一環である新教科書コンクールの受賞作として、1994年、ナウカ社から刊行された。「マニエリスムからポストモデルニズムまでのロシア詩」という副題が暗示するように、この大学教科書は、17世紀から20世紀末までのロシア詩における「変則的詩形式」のみを取り上げて概説した、我が国で言うと、ちょうど歌人の塚本邦雄氏の名著『ことば遊び悦覧記』(河出書房新社)を思わせる異色の書であり、これが「教科書」として出たこと自体、にわかに信じがたいほどである。
何よりもまず、目次を見てもらうのがはやい。
『ゼウグマ:マニエリスムからポストモデルニズムまでのロシア詩』
探求のX──探求の訴訟(序に代えて)
第1部 目のための詩
第1章 アヴェ リハーサルのA(アクロスティック、メゾスティック、ラビリントについて)
第2章 一行詩
第3章 不平[ropot]を逆から読んでみよ(アナグラムと語の再分解について)
第4章 薔薇と信仰の検察官[Revizor roz i ver](パリンドロームについて)
第5章 視覚の決壊(グラフィック詩からヴィジュアル・システムへ)
第2部 声と聴覚のための詩
第6章 わたしは詩を書き上げた(セント形式について)
第7章 紅いM、あるいは拍車の音?(トートグラム、ブラキコロン、遊戯詩形式一般について)
第8章 長い聖歌を夢に聞き(音響詩の実験について)
第9章 ホ・ボ・ロ!(ザーウミ詩について)
あとがき
索引と典拠
これらの各章は、それぞれ問題のジャンルについての「解説」と「詩のセクション」との二部構成からなり、また解説には、ビリュコーフと、グリゴーリエフ、シゲイ、ルィクリン、ヤネチェクの対談が含まれている。
このように、『ゼウグマ』は、註釈つきのアンソロジーとして読めるようになっているわけだが、そこでの「実験詩」一般の捉え方は、副題にある時代設定をはじめ、まことに戦略的である。
ビリュコーフは、序文で、本書の課題として次の三つのモメントを挙げている。
1. ロシア詩における「非伝統的」「非規範的」な詩形式の参考書を書くこと
2. それを同時に、アンソロジーとして編纂すること
3. その参考書的アンソロジーを、アヴァンギャルドの詩学への叙説とすること
このいわゆる「伝統」「規範」という用語が、実は大変にポレミカルである。つまり、現在、常識的に言われる詩の「伝統」「規範」とは、主に19世紀に形成された抒情詩観に拠っているが、それに対して『ゼウグマ』は、17世紀以来の様々な詩形式を渉猟することを通して、実際には、「非伝統的な<伝統>」「非規範的な<規範>」と言えるものが、ロシア詩のなかにつねに存在していたことを主張するのだ。
『ゼウグマ』は、文学史に対して異議申し立て(訴訟)を行う。
ビリュコーフは、17世紀から20世紀末までの大きな時間のなかで詩の表現性を見渡し、19世紀的抒情詩の特殊性を相対化することにより、近代以降、下層のジャンルに貶められてきた様々な「言語遊戯としての詩」を見直していこうとする。こうしたビリュコーフのジャンル観は、優劣、上下、前後などのヒエラルヒーに支配された、ジャンルの「闘争」の歴史としての「マルクス主義的」文学史に対して、多様なジャンルの「共生」の総和としての(ビリュコーフの言葉を借りれば)「エコロジー的」文学観として提唱される。
さらに『ゼウグマ』がユニークなのは、このような文脈において、アヴァンギャルドがほかならぬ「詩的テクニックの総和」として再定義されることである。この定義の当否はひとまずおき、確かに、ロシア・アヴァンギャルドの詩人たちは、近代としての「文学」から出て行くことにより、『ゼウグマ』の目次に挙げられた様々な「実験詩」形式を現代に復活させた言語遊戯者であった。
したがって、今日、どのような詩の形式実験がありえるか、という問いに対するビリュコーフの解答は、きわめて明快である。それはいくらでもありえる。はじめにまず、アクロスティックでも、アナグラムでも、パリンドロームでも、何でもいいから君自身で取り組んでみよ、というのがビリュコーフのメッセージだ。そうして、いわゆる詩(抒情詩)を書くのとは別の言語体験を重ねることを通して、何か「新しい境界」が見えてくるかも知れない。
このように、『ゼウグマ』は、言葉の魔術的体験への招待としてある。
『ゼウグマ』における「目のための詩」「声と聴覚のための詩」という特徴的な見出し語がデモンストレートするように、この「境界」の探求は、アカデミヤ・ザーウミに話を引きつければ、「詩による身体感覚の拡大」=「身体感覚による詩の拡大」という方向に展開される。もとより、言葉と身体は切り離せないものである。この当たり前とも言える前提へのこだわり、それがアカデミヤ・ザーウミの魅力となっていることは確かだ。
5. コメント
(1)ロシアのザウームヌイ・アヴァンギャルドの文化的理解のために
問題は、ロシアのザウームヌイ・アヴァンギャルドが、どこまで特異な現象と言えるかということだ。無意味な音としての詩語の発見と言うのであれば、「ザーウミ」現象は、ロシアに限らず、同時代のイタリア未来派の『Zang tumb tumb』、ダダイズムの『gadji beri bimba』をはじめ、広くヨーロッパのモダニズム芸術運動全体に現れた音響詩の実験のひとつとして捉えることができる。だが、この発見が、ある形而上的探求にまで発展し、アヴァンギャルドにおけるひとつの系譜を形成し、それがまた現代詩における詩的技法となって定着している(アカデミヤ・ザーウミのみならず、大抵のロシアの現代詩人たちが「ザーウミ」詩を書いている)という例は、ロシア以外には、余り見られない現象であるように思われる。
また、1910年代半ば以降のロシア・アヴァンギャルド詩の展開を見るには、ダダイズムとの比較が絶対に必要になるが、このロシア・アヴァンギャルドにおけるダダイズム性という問題も、単なる影響関係ではなく、クルチョーヌィフやグネードフにもともと内在していた要素(「ロシアのダダイズム」)として考察されなければならない。
ロシア詩における「ザーウミ」を問うことは、例えば英文学における「ナンセンス」との比較などを含め、比較文化論の領域に面白い視座を提供することだろう。
(2)オベリウの位置
ロシア・アヴァンギャルドとオベリウは、簡単に結びつけて論じられない。両者の間には、作品から受ける印象に何か大きな違いがある。これはおそらく、アヴァンギャルドとオベリウにおける「境界」に対するアプローチの相違に起因している。前者が「境界」を侵すことで詩の表現範囲を広げたのに対し、後者は「境界」のなかで言語遊戯(パロディ)を行うことに自覚的だった。ここでは特に「境界」を「規約性」(ウスローヴノスチ)と言い換えてもよい。芸術の「規約性」に対する鋭いセンスが、オベリウを特徴づけるものである。無論、ロシア・アヴァンギャルドにおいても「規約性」は様々に論議されていたが、それは「境界」を侵す詩的実験と矛盾することはなかった。
オベリウは、単にロシア・アヴァンギャルドから出てきた運動ではない。
「オベリウはどこから来たか?」という問題は、多分、次の二つの観点から考えてみる必要がある。ひとつは、オベリウが活動を始めた1920年代には、すでにアヴァンギャルドの詩的実験の「一般化」のプロセスが進んでおり、ブリューソフやベールイ、またクズミーンやマンデリシュタームのような詩人の作品にも取り入れられるという状況が生まれていたこと。もうひとつは、オベリウがペテルブルク(レニングラード)で起こった運動だということである。
このようなオベリウの「ポスト・アヴァンギャルド」性は、やはり「ポスト」の時点に立つ、現代のアヴァンギャルド=アカデミヤ・ザーウミの詩人たちの創作方法を見るとき、非常に重要である。アカデミヤ・ザーウミの詩人たちの作品が、彼らの言及するロシア・アヴァンギャルドよりも、しばしばオベリウを想起させることも事実だ。
(3)アヴァンギャルドとポストモダン
今ロシアでは、アヴァンギャルドという言葉が、しばしばポストモダンの反対語として語られる。あたかもアヴァンギャルドとは、ポストモダンによって否定されるべきモダンそのものであるかのように。こうした論調は、B・グロイスの『ユートピアと交換』(1993)、またM・エプシュテインの一連の論文などのブームによって助長されているように思われるが、ここでは詳述を避ける。「前か」「後か」は、本質的に余り重要ではない。実際には、「現代の」アヴァンギャルドとポストモダンの関係は、遥かに複雑で、多面的であり、アヴァンギャルドのポストモダン的状況とも、ポストモダン的アヴァンギャルドとも、いくらでも言い替えが可能な混成体をなしている。
重要なのは、両者をめぐる「読者の問題」である。
単純化して言えば、コンセプチュアリズムの詩やポストモダン小説が、例えばオベリウのように、前衛を「一般化」したポジションから、「読者」との共通認識(政治トピック、アネクドート、パロディなど)を約束事にして、作品のテーマや形式をいわば「脱構築」していく途を採るのに対して、アヴァンギャルドは、むしろ前衛の「個別化」として存在し、「読者」との共通認識を踏み越えた場所で、表現者を突き動かす「未だ─ないもの」を結晶しようとする。あるいは、アヴァンギャルドが約束事にする対象が、「読者」との間で共通認識として成立していない(ビリュコーフの『ゼウグマ』は、特に、この後者の問題を打開するために書かれたと言える)。
アヴァンギャルドの危機は、つねに「読者の問題」の危機としてある。
アカデミヤ・ザーウミが、こうした危機の自覚にもとづいて活動を行っていることは、彼らのパフォーマンス志向や<研究>と<創作>の同時進行という形からも明らかである。
主要参考文献
<単行本>
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Eksperimental'naia poeziia. Izbrannye stat'i(Sostavlenie i obshchaia redaktsiia D. Bulatova). Kenigsberg, Mal'bork, Simplitsii, 1996.
Janecek G. The Look of Russian Literature : Avant-Garde Visual Experiments, 1900-1930. Princeton University Press, 1984.
Janecek G. Zaum : The Transrational Poetry of Russian Futurism. - San Diego University Press, 1996.
<雑誌>
Kritiki i liriki. Novoe literaturnoe obozrenie, No. 3, 1993. pp. 219-257.
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Biriukov S. Avangard. Summa tekhnologii. Voprosy literatury, No. 9-10, 1996. pp.21-35.
武田昭文「異言よ、語れ──セルゲイ・ビリュコーフと「超意味言語アカデミー」」『ユリイカ』(青土社)1997年2月号 246−249頁。
*「チェルトコーフ・グループ」と「リアノゾヴォ」については、宇佐見氏と鈴木氏による以下の論文があるので、それぞれ参照されたい。
宇佐見森吉「現代ロシア詩の源流──1950年代モスクワの非公式詩概観」『スラブ・ユーラシアの変動:その社会・政治的諸局面』(北海道大学スラブ研究センター)1996年、269−277頁。
鈴木正美「リアノゾヴォとロシア現代詩」前掲書、278−289頁。