●アイギ, ゲンナジイ Aigi, Gennadii
「沈黙--としての--詩」1994 Poeziia-kak-molchanie. Moskow, Gileia, 1994.
解説 宇佐見森吉
1.作家について
ゲンナジイ・アイギ:1934年、チュヴァシ共和国シャイムルジノ村生まれの詩人。父はロシア語教師、母方の祖父は村最後のシャーマンだったとされる。ロシア語は4歳の時から父に習う。幼年期にはチュヴァシのフォークロア、プーシキンやレールモントフ、セルヴァンテスやディケンズを読み聞かされ、村の外に広がる世界に憧れた。ゴーリキイ文学大学入学後、パステルナークに詩才を認められ、ロシア語で詩を書くことをすすめられる。処女詩集はチュヴァシ語による《父たちの名のもとに》(58)。ロシア語詩はその翻訳から始まった。58年、学内コムソモール委員会の糾弾を受け大学を除籍。以後、マヤコフスキイ博物館に学芸員として勤務するという経歴をへて、詩を書きつづけている。
60年代後半になると東欧諸国、ドイツ、フランス等でアイギの詩の紹介がはじまった。最初のロシア語版《詩集1954−1971》は75年にミュンヘンで出た。82年にはパリで詩集《印をつけられた冬》が刊行され、ピーター・フランスが《現代ロシアの詩人たち》の一章にアイギ小論を捧げた。アイギの作品がロシアの文芸誌に登場するのは88年以降、詩集《ここ》(91)、《いまやいつも雪》(92)はモスクワで出た。
チュヴァシ語詩人でもあるアイギには母語による詩集もあり、アイギの編んだチュヴァシ語訳《フランスの詩人たち》(68)はフランスでも注目された。アイギ編によるチュヴァシ詩人アンソロジーはヨーロッパの各国語に翻訳されている。アイギにはアヴァンギャルド、地下文学、非公式芸術に精通する詩人としての顔もある。79年にはテレージンの名でゲオルギイ・オボルドゥーエフ詩集《安定のある不均衡》の編者となり、《ゲオルギイ・オボルドゥーエフの非合法詩の運命》を序文に捧げた。89年に〈本の世界〉誌に連載された《黒の方形──ロシア詩のアヴァンギャルド》も、アイギ編によるアヴァンギャルド詩人のアンソロジーとして連載の行方が注目された(連載は編集部の交替によって4号で打ち切りとなる)。
アイギのエッセイ、メムアールの大半は詩集同様、フランス語に翻訳され、詩論集としてまとめられている。93年にはアンドレ・マルコヴィチ編訳《非売品アイギ》が、94年にはレオン・ロベール編訳《距離をへだてた対話》が刊行されている。
主要作品および参考文献は以下の通り。
Stichi 1954-1971. Munchen, Verlag Otto Sagner in Kommission, 1975.
Otmechennaia zima. Paris, Sintaxis, 1982.
Le cahier de Veronique. Paris, Le Nouveau Commerce, 1984.
Sommeil-Poesie Poemes. Paris, Seghers, 1984.
Le Temps des Ravins. Paris, Le Nouveau Commerce, 1990.
Zdes'. Moscow, Sovremennik, 1991.
Teper' vsegda snega. Moscow, Sovetskii pisatel', 1992.
L'enfant-la rose. Paris. Le Nouveau Commerce. 1992.
Hors-Commerce Aigui. Paris, Le Nouveau Commerce, 1993.
Conversations a distance. Paris, Circe, 1994.
Poeziia-kak-molchanie. Moscow, Gileia, 1994.
アイギ詩集(たなかあきみつ訳)書肆山田. 1997.
*
P.France. Poets of modern Russia. Cambridge, 1982. pp. 210-219.
L.Robel. Aigui par Leon Robel. Poetes d'aujourd'hui. Paris, Seghers, 1993.
2.作品について
<Poeziia-kak-molchanie: Rozroznennye zapiski k teme>. Druzhba narodov, No.3,1996.
《沈黙−としての−詩》(主題への断片的ノート)のロシア語版は1994年、モスクワの《ギレヤ》より部数150部の限定版として刊行された。同年パリで出た詩論集《距離をへだてた対話》にもフランス語訳が収録されたが、ロシア語版のテキストが普及版として公になるのは96年の《諸民族の友好》誌3月号においてである。
《沈黙−としての−詩》には「主題への断片的ノート」という副題がある。「断片的ノート」という形式は《眠り−と−詩》(1975)にならうもので、フランス語版《距離をへだてた対話》でも両者は姉妹作として扱われている。テキストは一種の詩的冥想録ともよぶべきもので、ロベールのいうように、アイギの思索に拭いがたい痕跡を残してきたニーチェやパスカルに(さらにはカフカに)由来するものとも考えられよう。
ところで、詩を「聖なる行為」とみなすアイギの詩は、頻出する書記記号によって切断・統合されるフレーズの連なり、チュヴァシアの野や森、雪原、光の舞踏、静寂の音楽、偲ばれる顔、等々を原風景とする一群のモチーフを特徴とし、痛みと癒し、受苦という主題を好む。《沈黙−としての−詩》は、そうしたアイギの詩の音楽の源への遡行を通じて、この空無の時代に詩的発語はいかにして可能かと問いかける詩論である。アイギの冥想は54の小節(あるいは断章)からなる。その詩想の展開はアイギの詩に固有の文体、アイギの詩に頻出する詩的イメージに依拠しているために、詩と散文の境界は定かではない。
詩論にはアイギがベルリンですごした夏の日付が記されている。夏のベルリンから冬のロシアへの帰還。その時を告げ知らせる秋の到来。(「この忍び寄る涼気は──おまえとの別れのためではないのか」「しきりと脳裏に浮かぶのはギュンター・アイヒの一行《この赤い釘は冬越せぬだろう》」)。夏に記す冬の印象を通じて、アイギはこのふたつの場所を往還する。《沈黙−としての−詩》は帰還への情熱に貫かれた詩論である。ロシアへの、故郷の村への、幼年時代への、あるいは自分自身への帰還、「帰還−睡夢」(睡夢はたなかあきみつ氏の訳語)。沈黙はそのために冒頭から要請されている。
語る代わりに聞くということ。どのようにであれ、見ること以上に重要ですらあること(想像のなかでさえも)。/そして:そよぎ−と−そよめき。さやさやとそよめいている──ひどく遠いところで──もう──はじまりが。《わたしのもの》《わたし自身》が。
命名行為と沈黙。この主題は詩論のなかで以下の四つの場所を往還しつつ展開されている。
1.「あそこ」と呼ばれる場所。幼年期をすごした村。「終止符を打たれた空間」。村はいまや廃墟と化し死者たちの沈黙におおいつくされている。終末の光景。
あそこでは《すべて》が沈黙だ。だれもが──遠い昔に──永久の別れを告げている。空っぽの建物。寒気。遠い昔の風、──それは死滅した風だ。空っぽの物置。風は、──死滅した粉の──死滅した散乱だ。
2.「ここ」と呼ばれる場所。近代の言語空間。そこでは命名行為は増殖する物のカタログでしかない。世界は理性による際限のない細分化にさらされている。饒舌。人と物の豊かな関係の失われた時代の空虚。この空虚な空間を詩人もまた放浪する。(「現代の饒舌。物が数を増すほど、そのカタログ化は進む。《現代の叙事詩》。/そして:そのとき、──あのポルーシカはもはやない、(《民衆の間で》)それこそ、《魂》の持ち物にほかならぬと、そう勘定されていたあの銅貨は」「野蛮な現代の戦闘機はどうだろう... ──それらはイナゴのように細かなディテールに彩られていないか」「すべてはますますこと細かな物になろうとしている。そしてすべてはますます──こと細かな言葉に。/物のお喋り。詩のお喋り」)。
3.詩人の沈黙する場所。詩のなかの沈黙をめぐって。近代詩における沈黙。晩年のプーシキンの詩に頻繁に現れる連続点や多重点の存在。アイギ自身の詩における沈黙の符号。(「わたしの詩行は連続点からなるにすぎない。《空虚》でも《無》でもない、──これら連続点が──そよめいている(それは《世界──それ自体》)」「わたしにはコロンのみからなる詩行もある。それは──《わたしのもの−ならぬ》沈黙だ」)。あるいは、詩人には「沈黙を守り続ける場所」があることを熟知していたヘルダーリン。放浪するネルヴァルの沈黙による《長編詩》、自殺するマヤコフスキイが書き残す「沈黙の大パノラマ」──詩人の伝記的生涯を覆う沈黙。そして沈黙と受苦の音楽をめぐって。ドストエフスキイの小説における美しい饒舌、無言の苦痛の音楽。苦痛と寡黙さ、沈黙の切実さ。
4.野。村の周囲にひろがる聖なる空間、神の命名行為の場所をめぐって。 神や死者や野の沈黙する場所の想起、そこでの人や物や言葉との失われた関係に捧げられる哀悼の言葉の探求。この幼年期の記憶をたどる過程で、沈黙をめぐるさまざまなテーマが展開される。(「潤いのなかへ──夕暮れを路を右に曲がって。そこにはひとつの時代があった──「輪舞の死」が。まるでなにかを音もなくかじり続けているような──森の沈黙」「それは村の左手にある。最初、路は──少し丘を登り、二キロほど行くと──もはや《村の》でもなければ《誰のものでもない》──野:《それ自体》に出る」)。
このように、《沈黙-としての-詩》は、「あそこ」と呼ばれる場所の終末の光景に帰還し、沈黙の歌声に導かれながら、野に通ずる道筋の記憶をたどる行為として書かれていく。
絆を蘇らせよ、野や「太陽」との(おお、「早朝の」−汗さながらの──露に濡れた!)、叢や林との(おお、雨滴よ──ごつごつした樹皮の間の!──背筋を走るかすかな戦慄よ)。取るに足りない、語り口がいかにあろうとも。いまに生じよう──口述さながらのことばの──正確さも。
野にただずむ詩人の祈り。「口述さながらの」「ことば」の出現。この恩寵の瞬間に立ち会うために、詩人は「語るかわりに」沈黙の音楽に耳を澄ます。それはアイギにとって物や人との失われた関係に追悼を捧げる行為にほかならない。言葉を「むきだしの赤貧」となるまで振り払い「陋屋」の静寂を生きる詩人。そのアイギの「野の詩学」は、沈黙の絶対主義への言及で終っている。それは沈黙としての詩の究極の姿であり、いかなる対象をも指向しない。純白の画布さながらの真冬の雪野原。「《だれのものでも−ない》」沈黙。純粋創造。ここに至って詩人は今世紀の芸術の起点に還ろうとしているかのように見える。
3.作品訳
ゲンナジイ・アイギ《沈黙−としての−詩 主題への断片的ノート》
1
語る代わりに聞くということ。どのようにであれ、見ること以上に重要でさえあること(想像のなかでさえも)。
そして: そよぎ−と−そよめき。さやさやとそよめいている──ひどく遠いところで──もう──はじまりが。《わたしのもの》、《わたし自身》が。
あそこでは《すべて》は沈黙だ。だれもが──遠い昔に──永久の別れを告げている。空っぽの建物。寒気。遠い昔の風、──それは死滅した風だ。空っぽの物置。風は、──死滅した粉の──死滅した散乱だ。
ノスタルジーに身をまかせてはならない。わたしは──なにも──決して… ──どうしてそんなことが。あまりに──あの終止符を打たれた空間の──遠い昔に破棄された、《力》のために。
すべては沈黙するために──存在していた。しかも──あそこに。あそこにあるもの──すべての名において。
《魂たち》の──気息もなしに。出会い──もなしに。
帰還−睡夢。だが誰のところへでもなく。寒気への。無名への。不在への。
2
休止は──膝まづく場所: 「歌」への──敬意のために。
3
あたかも現実に──風に舞っているかのような──詩行の孤独な木の葉たち。
《詩における真理は灼熱》、──それは虚空に──宙吊りになった──一行。
4
《神の座》(至高の「創造力」の場所)さながらの──沈黙。
《神》?──それは引用なのだ: 神からの》。(これは──わたしの未発表の詩の一節。)
それは──かつて灼熱が存在したとき、──存在したのだ。
5
潤いのなかへ──夕暮れの路を右に曲がって。そこにはひとつの時代があった──「輪舞の死」が。まるでなにかを音もなくかじり続けているような、──森の沈黙。誘いながら。溶けて──しまうこと。
6
現代の饒舌。物が数を増すほど、そのカタログ化はすすむ。《現代の叙事詩》。
そして: そのとき、──あのポルーシカはもはやない、(《民衆の間で》)それこそ、《魂》の持ち物にほかならぬと、そう勘定されていたあの銅貨は。
7
ロシア詩における言い残しがもっとも多いのは、それがいかに奇異に思われようとも、その生涯最後の二、三年におけるプーシキンをおいてほかにない。頻繁に現れる連続点、多重点で途切れたフレーズ。《いやこのうえ言うまでもなかろう》とか、《無駄なことだ》といった類の。
8
そうだ、ノスタルジーにひたる必要はない。だが亡き人を──悼まないわけにはいかない。
9
ああ、なおいくらかでも心に触れるものがあるとすればどれも、──なにかしら《気高き》ものゆえ。どうして言えよう、《呪いあれ》などと。(多くの言葉が死んでいるから、それがどうだというのだ。とりわけ──《最も意味深長な》言葉が。)
そしてここにも──《その類の》もの。
10
平明さ──それは「力」を越えるもの: それは「力」よりも強力な無力: それは「奇跡」。
11
わたしの詩行は連続点からなるにすぎない。《空虚》でも、《無》でもない、──これら連続点が──そよめいている(それは《世界──それ自体》)。
12
短刀と剣の世紀には、シェイクスピアの悲劇が金字塔となった。
ナイフや斧は──造形美ゆえに──意味深長なのだ。壮大でさえあるのだ。
野蛮な現代の戦闘機はどうだろう… ──それらはイナゴのように細かなディテールに彩られていないか。(わたしの言いたいのは、それが目に見える姿だ、その数学的に詳細な内実は、理性の納得を得るにすぎない。)
13
わたしにはコロンのみからなる詩行もある。
それは──《わたしのもの−ならぬ》沈黙。
《世界それ自身の静けさ》だ(可能なかぎり、《絶対的な》)。
14
荒屋、陋屋は──摩天楼よりも雄大だ。
ここで──声があがる: 《文化に対する文明の対置》なのかと。
わたしは──ただ確認しようとしているにすぎない。
(まあよい… 文明の:《報復攻撃》もまた──結局は同一「文化」の個々の周期にすぎぬ… そうなのだ、《「天地創造」以来》。)
15
そして──ネルヴァルは休みなくさまよう。足音の──
語る声、人影の去来、──影、ぼろぼろの服の語る声──風の渦に巻かれて。
《自分自身》からなる──最後の《長編詩》。
16
すべてはますますこと細かな物になろうとしている。そしてすべてはますます──こと細かな言葉に。
物のお喋り。詩のお喋り。
17
出口はない。
18
ある著名な老人のもとを、それに劣らず著名な老人が訪ねた。
ふたりは──初対面。話が始まる。不意に中庭で鶏の鳴き声。
「ところでご主人、お宅には鶏はいますか」客が興味を示す。
「いますよ。しかしそれがどうかしましたか」主人が答えると、それで話は終ってしまう。
19
うまく話が出来ないのはどんな人なのか?──待っていてくれる人のいない人。(聴衆と詩人)。
20
なりそこないの修道士。あらゆる《プレ−パッション》(沈黙に至る以前に──結局は静まりようもない)は──《世界に見られている》、これもまた──《創造》である。待望の《浄化》には──いまだ至らないから、すべては無意識的だ。
21
動きまわる鏡。詩のベデカー。
22
一方、ワーグナーの場合。《詩人の偉大さが明らかになるのは詩人の沈黙の時をおいてほかにない。彼が沈黙するのは、語り得ぬものそのものを沈黙を通して語ろうとするからだ》。
23
それは村の左手にある。最初、路は──少し丘を登り、二キロほど行くと──もはや《村の》でもなければ、《誰のものでもない》──野:《それ自体》に出る。轍、窪、しっかりと根を張った叢。だが… ──わたしには出来ない──ここで──それに触れることなど(《散文的気ままさ》によってでは、わたしはこの場所を自分のために《汚す》ばかりだ、もはやそれを──《詩》として──捉えることは出来ない)、そのままでいいのだ…………(さやさやとそよめくそこに身を置くことで)。
24
力づよく沈黙する──ベートーベン。
25
美しき饒舌には、ここでは触れない(そうしたものは確かに存在する… 偉大な作品の《魔術的なお喋り》すらあるのだ)。それは──まったく別の芸術だ(専門的研究もなされていない──レトリックともちがう)。
26
野の−顔たち、顔の−野たち。
27
美しき《饒舌》の一例のみ挙げておこう。ドストエフスキイの長編小説は、もしそれらを《抽象的に》想起するなら、無言の痛みの音楽さながらに聞こえるのだ(しかもどれもが──それなりに、きわめて《明確に》)。
ここに──「沈黙」の音楽があっても不思議はない。
その詳細を語るつもりはないが、偉大な作家の作品には《聞こえない》作品もある(非音楽的な… おそらくは、同時に──非詩的でもあるような)。
28
《頭だけの》社会参加、空論による──誘惑も存在する。かくて沈黙の切実性が問われる。
29
もしか
すると
修道士のそれのように──見せかけなのか
空虚よ──おまえは? 洗われたおまえは
まるで──器さながら… わたしは信じ待ちうける
いまや従順に──いまにも
神の恩寵さながら、祈る者の内部に
(久しく言葉なしに)
一篇の詩が
そっと入り込むのを
── …アーメン
30
作曲家は、語るときでも、両手を宙に舞わせて描写する(聴くということが──見ることなのだ)。《仲間内》では音楽家は詩人以上に機知に富む。(後者はまるでなにか無定形な言葉のマグマの中から浮かび上がってきたみたいで、気の利いた冗談が言えない)。 口達者の−画家は危険だ(詩人とちがって、画家はただでさえ──《お喋り》なのだから)。
31
ヘルダーリンは晩年の詩に書いている、《わたしはまだ多くを語りえたのだが》と。だがこのままでよいのだ。黙りつづける場所(さながら──古典悲劇におけるような)があるなら。
32
奇妙なことに、われわれは若いうちほど簡潔だ。まるでその兆候が現わたばかりの、なまなましく重味のある苦痛が語っているように──自らの口によって、《解剖学的計算》によって(《原因》の詮索は除外したまま)。
33
これらの壁や丸天井が──歌われていた、それらが──空の高みに──うっすらと広がっていた(《数学》にも浸透しながら)──精霊の歌声によって、──その不思議な《響き》を道連れに──われわれは《現代に》さまよい歩く、──さながらレインコートで(群集の──こんな人間たちの)、──それを包み隠すかのようにして、なんと《非凡な》ことだろう、──われわれは、この悲しみ、この夕べ、この都市は。
34
聖歌隊で歌い手のひとりが興奮状態に陥った。T神父は彼の前髪をつかんで揺さぶっている。《ごらん、こんなにさえずって! さあ黙りなさい、──きみのせいじゃないんだから!》
たぶん、われわれもまた──ときおり──あまりにも《さえずり》すぎるきらいがあるのではないか、《われわれの》としか言いようのない讃歌のおかげで。
35
一本の柱──野の──道端の。その中に──《全世界》がある。天−と−地、いくつもの冬、秋、春が。風の──泣き声、話し声のすべてが。《長編詩》はそこにある、真夜中に、──野の間に。
36
芸術においてはどんな《POST》も──饒舌だ。
37
詩人V・Mのラーゲリ詩。そこにあるのは──身近な者への(そして、さらには、──縁もゆかりもないただの人々への)配慮ばかり──圧政者への《糾弾》はない。もしかすると、本当はこの方がよいのだろうか? 《泣き》すぎてはいけない、それよりも──ペチカを焚きつけて、子供たちに食事を与えたほうがよい:これが《農民流儀の》不幸への反応なのだ。
38
この世界や人々を呪うくらいなら、沈黙を守った方がよい。
39
だからわたしの母はいつも黙っているのだ(わたしが──四歳のころ): わたしを──罰しながら。もはや──有無を言わせず(そして無意識に)──築き上げながら──自分の未来を: その欠落を?──そうではないのか?… ──(わたしは──恐ろしい、叢の中が、彼女の不在が。以前から。)
40
ふたたび──そよぎ−と−そよめき。これは──わたしの兄だ。
(夢の中ではいつも同じ男がやってきて、彼、わたしの兄は、死んではいない、と告げる。)
彼の毛皮の外套には──製粉所の埃。そして──窓の外、木々には、霜。
乱暴に傾けたテーブル。パン、ビール。そして──言葉は思い出せない。
ただ──至福の温もり、──《光輪》さながらの。
それゆえ書くなら──《顔の輝きを──偲んで》とだけ。
41
《バクダッドの空たちよ、ぼくはきみらに借りがある》(そう、──マヤコフスキイだ)。やがて後に続く──一発の銃声。そのときはじめてわかるのだ──この空は描かれたものだったと: 「沈黙」の──大パノラマとして。
42
そして──それにもかかわらず… ──偉大なものは始まっていた──内庭に通じるドアのすぐ背後で: 「天」−までの−「吹雪」となって、「全」−「世界」として−世界−内に−入り込む−「太陽」となって。
43
きみなのか?… ──ゆっくりと-遠ざかる犬たちにまじっているのは。(きみの持ち前の冗談だった──《詩人というのは話す犬のこと、それ以外は他の犬となにひとつ変わらない》というのは。)
44
だがその前に──もっと先へ──雪原の中へ。むきだしの赤貧の中へ。必要なのはなんとわずかな物だったろう。心もち大きな──両手。詩… ──それはすべてささいなもの、ますます──われわれのいない──世界。
45
《言葉たちの歌声》がわたしを導き始めた。しきりと浮かんでくるのはギュンター・アイヒの一行。《この赤い釘は冬を越せないだろう》。願わくば神よ、──わたしは自分に向かって言う、──鉄錆さながらに、きしみはじめますように、願わくば与えたまえ──《厳格なる》老年を、──正確さを──もっとも必要とされる言葉を。
46
悲しみで──いっぱいの、
顔。
悲しみが──あそこで──顔の《底という底で》──
野を取り囲む。丘が、道が、消えてゆく。
斑点となって
ぼやけていく柵。村。
まるで霧のなかのように一筋の光線が燃え上がる。
悲しみで
いっぱいの、
顔
(それは《極楽の》──《わが》──アルメニヤ)。
沈黙。
47
語り残すことは──沈黙よりもおそろしい。《汝その方なるか?》──ヨハネが問う。直答に代わる──暗示。
48
そして──絆を蘇らせよ、野や「太陽」との(おお、「早朝の」──汗さながらの──露に濡れた!)、叢や林との(おお、雨滴よ──ごつごつした樹皮の間の!──背筋を走るかすかな戦慄よ)。取るに足りぬ、語り口がどうあろうとも。いまに生じるだろう──正確さが──口述さながらの──「言葉」の。
49
だがそれでも、汝は… ──われわれのだれもに──沈黙しつづけた。われわれに──われわれの言葉を──投げつけた──《自律性》さながら。
50
静寂と沈黙は(詩においては)──同一でない。
沈黙は──静寂でありながら──われわれのものである──《内容》をともなう。
《他の》沈黙があるだろうか?
《無は存在しない、神がそんな戯言にかかずりあうはずがあろうか》──とロシアの神学者ウラジーミル・ロースキイは語る。
これは──《われわれのもの−ならぬ》「沈黙」だ。この世を去った者たちの──沈黙をともなった──静寂もまた──《その数に含まれる》。万物は──現 在 す る。
それゆえ──推測は控えよう──《まったく別の》なにかについては。
51
それゆえ──ベルリンの
小さな辻公園の
哀れにも醜い痩木の
蘇生の様を眼にすると
不意に
心の働きが活発になる
ロシアへと
馳せる思いさながらに
52
不意に思われた、八月だというのに、この忍び寄る涼気は──きみとの別れのためではないか、と。(この涼気は、漂い−語っているようだった──心を静めた−きみとなって。)
53
すると人は訊ねる──それについてさえ──言葉によって? と。
そうとも、──沈黙も、静寂も創り出すことが可能なのだ: ひたすら──「言葉」によって。
かくして《「沈黙」の──「奥義」》なる概念が生じる。
54
そして──まるで「沈黙」は自ら、紙束に潜り込んだかのように、「自己」をめぐる議論を抹消していく、──わたしとひとつに溶け合って──「唯一」、そしてますます、 ──「絶対」:ならんと欲して。
1992年7月──9月
ベルリン
アイギ, ゲンナジイ Aigi, Gennadii
草へ吹く風
ディアナ・オビニエのデッサンに寄せる23の詩篇 1993-1994
訳 たなかあきみつ
エピグラフ
……おお線形のスキタイの風よ……
1960年の詩篇より
国‐プロローグ
小径の純粋さ
水のいちずさ――
そしてこの空を――夢みるかのよう
この高みは――だれも知らない
極めて――たとえ極めてもう――異質な
大地という明るい貧しさを――
われわれに言葉少なに語りかけるその地の:
《われわれがこの世にいる間は
けむりは――農家の煙突で――ゆらめいている》
1993
トヴェーリ州
デニーソヴァ・ゴールカ村
線――1
そしてますますはるかに雪は拡がっていく――
線をやがて地平線上に引こうと――しだいに夕焼
けを引き伸ばしつつ
1993
岸の出現
歌声は緑をぬってさまよう:
音楽とは――いっすん‐法師!
緑はみどりごを見つける――わたしの
まなうらを――浮遊中の!
川と岸!
変幻自在だよ――草むらは
1993
線描―1
尖筆によって創始される――ワレ在リ‐闇を
手はじめに。死は――語り尽す:光
1993
宵
星です:まずはじめに――彼女は:そして間もなく
――おまえは:それからひときわ長々と――私は
1993
線――2
世界の雨の前線が仕留められる
1993
宵:あれは昔日の野
そして悲しみは製粉所の翼の上で
まどろんでいる
1994
線――3
線は息もたえだえだが、途絶するわけでは
なく、相も変らず見つめているかのよう
1993
長時間のデッサン
そしてわれわれは誰かの夢にみられているも同然
ふたたび風のように飛び移るもの
この夜から白昼へと――
束の間吹き寄せられた
森と連れだって
その森に身をひそめた――光ともども
1993
罌粟
背面で
これは――黄昏どきに化合したもの
頭部で
何か重くのしかかるものと
1994
線――4
ところでここで――神が――不意に――ぴくっと身震いした
1993
出来事の生じる
しじま
1
しじまの島々
2
そして再度――暗くなる:
それは――ひとがた‐しじま
(なんとも奇妙なことに)危うくはない
3
そして――(誰もいなくとも)――光
4
また再び――うごめき
その島々の
1993
線描‐視現
ところで要は――時を経て
視力は減退していくのだが
今もって眺めていると
やおら上昇してくる――緩慢な
(夢の中さながら)
判決として
1994
線――5
そして線はおじぎをする:“ぼくは
線の国の生れ、だからぼくには無言だ
この地の礎の冷気は”(そして線は立ち
去っていく)
1993
悲しみ
これは風が
しなわせるのです
こんなにも軽い
(死を想う)
心を
1994
線描―2
そして――追憶――草へ吹く
風のような
1994
8月の終り
たったひと粒っきりの漿果です
――きいちごは:不意に――霧の
なかから:間近に
1993
また再び――長時間の
デッサン
いつも朝
風によるおのれ自身の反復
端から――隣り合った野から
だがここでは――農民の家々に
囲まれて
その跛行は
ますます森閑としてくる(“誰か”との
出会いのように……息をころせ――意識もなく)
1994
さわさわ(古いメモ、――娘とともに絵を描きながら)
猫のしじま木々のしじま茶碗のしじま
娘のおしゃべりのしじま(しじまのような
彼女のデッサンのざわめき)滞在のしじま
ここには
1993
そして再び――“鉛筆の
最初の痕跡”
そして失神したのかもしれない
この顆粒状によって(さも野から
瞳が見つめていたかのように――
ある種の奇蹟によって)――おお
秘匿したままの――常に同じ――
幼年時代。
1994
長々と――都市
夜:窓の外は雪(さながら――“あの世にて”)
1994
デッサン
そして野
だけ――言葉のない
手紙……――“声明”
(……神への……)
1993
そして――近年のひと冬
(エピローグに代えて)
なんだかくすんだ白い病院もどきが
なんども野へ滑走していった
――どうかこのしじまで癒されますように――
すると門扉の外と同じく窓の外の道は
ますますじっとりと消え去り悲しさもひとしお
“これでおしまい”は“地上の道”のように残響するばかり
1994
デニーソヴァ・ゴールカ村
■著者の注記■
詩篇“国‐プロローグ”
最後の2行(ここでは、チュヴァシ語からの逐語訳)はその日記のなかで、偉大なチュヴァシ人の詩人ヴァシレイ・ミッタ(1908−1957)が、彼の父――文盲の農民ヤグール・ミッタの歌で記憶に残ったものとして引用している。
※著者稿から訳出。
アイギ、そしてアイギ圏/たなかあきみつ
ゲンナジイ・アイギの詩はつねに新たに始まっている詩、つねに進行中の作業である。あくまでも「しじま」と共生しつつ、書くことの根源的な発光態として、アイギの詩は読者を、言語の光の舞踏へ、それと同時に生者の心臓の鼓動へとぐいぐい引き寄せる。本来なら何冊かの個別の詩集として上梓されて当然の詩群を一冊に集成して、1991年の5月には『ここ』が、1992年の3月にはこれとは異なる編集・構成で『いまやいつも雪』がいずれもモスクワでようやく刊行された。
なぜ「ようやく」なのか。ほぼ30年間にわたって、ロシア語で書くチュヴァシ人の詩人ゲンナジイ・アイギを包囲していたぶあつい「沈黙の壁」。1987年6月11日付の「モスコフスキイ・コムソモーレツ」紙への作品掲載を皮きりに、この沈黙の壁が崩れさったのだが、それ以前には旧ソ連でアイギのロシア語の詩は一行も印刷されなかった。声高な政治的ディシデントならずとも、あらゆるコンフォルミズムに徹底的に抗して、あるいはコンフォルミズムとは無縁の創造行為に関わる人々は、スターリンの晩年期に形成された地下の、第二の文化圏に属していた。アイギはジャンルを問わずこうした人々と強い絆で結ばれる(アイギの作品にはしばしば彼らの名やイニシャルが具体的に刻まれている)一方、公的にはもっぱらチュヴァシ語の詩人として、さらに『フランスの詩人たち』『ハンガリーの詩人たち』等の、それじたい驚嘆すべきチュヴァシ語訳アンソロジーの翻訳者としてつとに知られていた。この間、国外では「ヴォルガのマラルメ」と称されるなど、既存のロシア詩には類例のない先鋭かつ高純度の詩と高く評価され、あいついでヨーロッパのほとんどの言語に翻訳され、ロシア語オリジナルの詩集もモスクワよりもはるかに早く、1975年にはミュンヘンで、1982年にはパリで刊行された。
アイギは1934年チュヴァシア(旧ソ連のチュヴァシ自治共和国)のシャイムルジノの生れ。少年時代からすでにチュヴァシ語とロシア語のバイリンガルだったとはいえ、詩を書く言語を基本的に変更することは大きな賭だったにちがいない。アイギの詩才に大いに注目したパステルナークらの再三の助言により、1958年頃から本格的にロシア語で詩を書くにいたった。1961年から10年間、上級ライブラリアン及び芸術セクションの主任としてマヤコフスキイ記念博物館に勤め、その期間中、3回にわたってマレーヴィチをはじめロシア・アヴァンギャルドの画家たちの、当時開催が困難だった展覧会を組織した。マレーヴィチは、アイギの多岐にわたる思索の光源となっており、モスクワで刊行された前述の2冊の詩集にも、「カジミール・マレーヴィチ」や「朝:マレーヴイチ:ネムチノーフカ」などの作品が収録されている。
アイギの詩ほど、黒い二つの点であるコロンをはじめとして、各種の記号が語とおなじ強度でふんだんに用いられ、シンタクスの脱臼の徹底や隔字体の積極的導入ともども、詩という形式をぎりぎり成立させている例は、すくなくともロシア語にはないだろう。リズムの界面にあっては、
その緩・急の進行上も休止も語の意味との接触上も、アイギの詩は堆積性よりもむしろ劈開性にとむ。そのクリヴァージュの鋭さと深みは痛みをたっぷりと「貯光」しているといえるかもしれない。したがってポエジーの不測の事態にあっても、アイギはたとえばシューベルトを忘れない。チュヴァシアを起点のトポスとするアイギ特有の野や森、睡り・白さ・雪……は、イメージ・スキャンの単なる素材や「急造物件」ではもちろんない。これらの作用域は広くかつ深い。人間としての生命維持装置に欠かせない詩がいまも存在しているとするならば、アイギの詩は、ツェラン以後ますます見出しがたくなっている生命維持装置そのものだろう。アイギ、1行とて書かざる日はなし。
(『アイギ詩集』1997 書肆山田刊・所収)