「人間の安全保障」は最近10年間に急速に普及した概念です。背景 には、冷戦後いよいよ激化する世界各地の内戦や地域紛争、政治的暴力の横溢に対する人々の危機感・焦燥感があります。そして、これまでのように国家暴力装 置を強化してフル稼働させるだけでは、何ら解決にならないことへの直感的理解があります。また環境問題や人口問題の急速な進行に対する人々の漠とした不安 も指摘できるでしょう。地球社会の安定的持続可能性、人間が人間らしく生きていけることに対する根本的な疑念が生じているのです。
こうしたなかで「人間の安全保障」に関する学的な取り組みは様々に展開されてきました。国際政治学は国家間の安全保障に代わる新たな概念を創り出そうと 努力してきましたし、NGOの活動を「人間の安全保障」に関わる市民社会の営みとして位置づけ、理論化する努力もなされてきました。しかし、人間の安全が脅かされる諸要因や紛争の現実の様態などを、世界各地の現地の社会的・文化的文脈の上に位置づけ、総合的に考究する営みは、 これまで組織的には展開されてこなかった、と言わざるをえません。私たちは今、この「地域研究」を通じて、「人間の安全保障」を新たな学として構築する一 歩を踏み出そうとしています。個人の生活レベルからグローバルな政治レベルまで、無限の多様性と広がりのなかで「人間の安全保障」をとらえ直す必要がある のです。
今回のシンポジウムは、地域研究は「人間の安全保障」にいかに取り組むべきか、地域研究を通じて「人間の安全保障」のなかにどのような新しい問題 が発見できるのか、それはどのように解決できるのか、という見通しを得るために企画されました。
まず第1部では、地域研究の最前線に立つ研究者たちが4つの切り口からこの課題に迫ります。
[1]地域研究が拠って立つところのフィールドにおいて「人間の安全保障」はどのように立ち現れるのか
[2]地域研究が必然的に生み出すインター・ディシプリナリーな研究手法は「人間の安全保障」をどのようにとらえるのか
[3]地域研究が常に問題とする伸縮・重層する地域概念のなかで「人間の安全保障」はどのように映し出されるのか
[4]「人間の安全保障」を実現する過程で生じる「介入」と、地域研究はどう関わるのか
続いて第2部では、9.11とイラク戦争を通じて深刻な局面を迎えた地球社会をいかにとらえるか、そしてそのなかで「人間の安全保障」はどのように構想
されるべきか、という問題について、透徹した視点から優れた文明論を展開する平和学者ヨハン・ガルトゥングさんと、世界各地の人々のまなざしに鋭敏に感応
した発言を続ける作家の池澤夏樹さんが、縦横に論じます。それを受けて最後に総合討論を行ないます。