日本の起伏
スタニスラフ・ラコバ(アブハズ国立大学/
センターCOE外国人研究員として滞在中)
Stanislav Lakoba |
日本に来て、私は再び夢を見るようになった。とても叙事詩的で、絵画的で、予言的な……。もしかしたら変に聞こえるかもしれないが、夢は私の人生の伴侶である。まるで夢が銃撃に驚かされて鳥のように飛び去ったかのように、私は十年ほど夢を見ていなかった。私は、自分の夢が太平洋の静かな一地方である北海道という島に、札幌に巣を作っていたことを知らなかった。静かなというのは、ここでは銃撃も爆破もないし、人々は大声で話すことさえしないからだ。そしてまた、夜空に発射されて巨大な花を開かせるのは、ただ祭りの花火だけだからだ。
夢は、人生の塩のようなものだ。私はいつも、われわれの潜在意識のこの薄暗い側面に心を騒がせ、耳を傾けていた。そして突然、カフカスの戦争、アブハジアの戦争の時に、夢は消えて溶けてしまった。まさか私の中で何かが引き裂かれてしまったのだろうか? とても大切な、重要なものが。以前私は、夢を書き取っていたことさえあった。そして夢は、消え去ったときと同じく突然、戻ってきた。北海道での最初の夜に戻ってきた。日本にはこのことをも感謝したい。空と海の間の夢のことを。
札幌に約200万もの人が住んでいると、想像することもむずかしい。車がたくさん走り、サイレンが鳴り、「自転車乗り」と呼ばれるとても奇妙な人々がいるにもかかわらず、この町は静かで落ち着いて見える。ここはなんだか広々としていて、環境が良く空気は透明である。もしかしたらこれは、多くの人々が白い手袋をしていることから来る感覚だろうか?……日本人は思慮深く、無駄口をきかない。文明の果実は伝統文化の穀粒を駆逐したわけではなく、西洋は新しい東洋的特徴を身につけたにすぎない。日本であいさつする時に互いの手に触れないこと、自転車道で遠くから道を譲ることが私には気に入っている。それに、女性が見知らぬ男性の目をまともに見ないこと。こっそりと、ようやく気づかれるだけの横目で、ほとんどとらえがたい優雅なしぐさで頭を動かし、まるでどこか脇を向くように見るだけ。ここに美人が多いとは言えないが、はるかに重要なことは、ここの非常に多くの女性が、何か独自の魅力を持っていることだ。ようやくとらえることができるほどの、全く幻想的で貴族的な顔、驚くべき目を見かけることがある。言い換えれば、女の子というよりも、中世の日本画で見かけたことがあるように思われる、空中の小さな彫像なのだ。そしてみな銀輪に、自転車に乗っているのだ!
高齢の老人・老婆やほんの小さな子どもでさえ、自転車に乗っている。私の目の前を6歳くらいの男の子が通り過ぎて、ガラスのビンを落としたことがあった。ビンは車道に落ちて粉々に割れてしまった。男の子は脇に自転車を止めて、ガラスを集め始めた。彼はとても動揺して、突然車が現れないかずっと見ていた。何か小声で独り言を言って、破片を全部片づけるまで安心しなかった。まさにこの男の子から日本の文化が、そして何かそれ以上のものが始まるのだ。
一般に日本人について驚かされるのは、最大限の緊張度と、猛烈な生活のテンポである。この国では動員をかける必要がないように私には思われる。一人一人の日本人が、とっくに動員されているのだ。みなどこかに向かって急ぎ、走っている。この本質的にきわめて複雑な生活の中で、それぞれがきわめて具体的な、正しい目標を持っている。多分、そうでこそあらねばならないのだろう。みな仕事に、勉強に忙しい。24時間忙しいような印象がある。誰も家の周りでベンチや腰かけに座ったりはしていない。中庭には誰もいない。奇妙なほどだ。脇には巨大なマンションがあるのに、何の音も聞こえない。幽霊屋敷なのか? いや、夜にはすべての窓に明かりが灯っている。この高層住宅の中庭には人の姿がない。ただ車、車、車だけ。まるで車がこの建物の住人であるかのようだ。もしそうだったら……。時々、庭で子どもが静かに遊んでいる。ほとんど音を立てずに。
私は日本で、声を荒げてしゃべるのを聞いたことがない。人づきあいの洗練度は驚くべきものに思われる。もちろん、日本社会の深層で何が起きているかを判断するのは難しい。学校や親子関係には深刻な問題があるといわれる。しかしこれらの問題はどこにでも存在する、全人類的なものだ。なぜって? なぜ、クジラやイルカは突然岸に上がる自殺行為をするのだろうか?
もしかしたら、日本の詩に特徴的な何か全世界的な憂いと悲しみが、その印を残しているのかもしれない。私は、2人の日本人女性が、2台の自転車に乗って1本の傘をさしながら、雨に拍子を合わせてなにか悲しげな歌を歌っているのを聞いたことがある。だいたい雨の時には、何かを小声で口ずさんでいる日本人が多い。ここにも、独特で二つとない民族的な色彩が現れている。日本文学の傑作である『徒然草』や『枕草子』を見るがよい。憂いはまた20世紀全体をも貫いている。芥川の小説、啄木の詩、川端の散文、黒澤の映画、三島由紀夫の死……。
私は日本人が祭日を祝うのを見たことがある。すべてがとても色あざやかで、音楽が奏でられ、まわりじゅうに花が飾られるが、そこには活気がない。喜びがない。人の顔には何か全世界的な憂いの刻印がある。日本人は陽気に過ごすことができない。のんきに休むことができない。
そうした時でさえ、日本人は内面的にバネのように締め付けられているように見える。まるで、地震や火山の噴火といった悪だくみや不意の出来事を予期しているかのように。まあどの民族も、二滴の水のように、自分の国、土地、地形に似ているものである。
カフカスでも何度か地震を感じたことがあった。しかし8月の夜にここ札幌であった地震は、より弱いものだったにもかかわらず、何か媚びるような予測不可能性の印象を、より強く与えた。
日本人はいつもより悪い事態を予期していて、彼らの不意をつくことはできないように思われる。自然でさえ、いつでも不意をつけるとは限らない。国民は躍進の準備が出来ていて、健康で精力的だ。経済は発展しつつある。国家の安定と安全は、その成果を上げている。私はどこでも、これほど多くの老人と子どもを見たことがない。彼らは社会の平穏を示す確実な証拠である。現在のロシアだけでなく西洋の先進国にもあふれている乞食や酔っぱらいを、私はここで一人も見たことがない。野良犬や野良猫さえ見たことがない……。
札幌は典型的な日本ではないと聞いたことがある。この国を感覚として理解するには京都、東京、奈良に行かなければならない、と……。多分、その通りなのだろう。
北海道はかつて、クリル列島やサハリンにも住んだアイヌの広大な国の一部だった。彼らはほとんど残っていない。しかし彼らの呼び名「サッポロ」は保存され、わが北海道大学は、この民族の古い居住地があった場所に位置しているという。私はそばで考古学の発掘が行われているのを見たことがある……。
北海道の複雑な起伏は、日本の横顔を思い起こさせる。そしてアイヌは、私にウビフ(Ubykh)人のことを思い出させる。かつてカフカスに、アブハズ人やアディゲ人と同系のウビフ人という民族がいた。彼らは19世紀に消滅した(訳者注:オスマン帝国に移住し、北西カフカスからの他の移住者とともに「チェルケス人」と呼ばれるようになった)。しかし黒海の岸辺に、ソチというウビフの名を持った、ロシアで有名な保養都市が残った。このように、民族がいなくなったあと地名だけが残るのだ。そして私が気に入っているのは、センターに単に学者がいるというだけでなく、そうした民族の歴史や文化を研究している人々がいるということだ……。
世界の他の地域がいかに安定していないかを、みなさんに知っていただけたなら。私たちは時に、今晩や明日のことを何も計画することができない。だからセンターから、一年後の何日に札幌に到着するのがよいかという問い合わせが来た時、私の神経は切れかけてしまった。戦争や日常生活の問題や、情報封鎖を含むあらゆる種類の封鎖に苦しめられたわが国の人々は、時に今日が何曜日なのか、何時なのかも分からないでいる……。時間に対するこのような態度は、牢獄でしか見られないものだ。ある非常に有名な政治家は、わが国アブハジアを、「地政学的囚人」と名付けた。
だから、私の親愛なる日本の友人たち・同僚たちよ、自分の国の安定を大事にしてほしい。
私は、日本に来たことを運命に感謝している。落ち着いて仕事をし、図書館に通い、珍しい歴史文献を研究し、論文を書き、世界の他の地域の同僚たちと学問的な接触を保ち、必要な情報を自由に受け取ることができることを。私は、すばらしい生活条件のもとで暮らせることを感謝している。私の家族にとってここはあまりに快適なので、同胞たちの前に出たら気まずいほどだ。至高の神に尋ねてみたい。日本は夢なのか、と。
中国の寓話が思い出される。ある人が蝶になった夢を見たが、彼は目を覚ました時、どうしても理解することができなかった。彼が蝶の夢を見たのか、それとも蝶が彼になった夢を見たのか?
札幌、2000年9月11日
(ロシア語から宇山智彦訳)