M.アルトシューラー
(ヘブライ大学/センター外国人研究員)
日本の同業者たちと身近につき合いたいという私の願いは、スラブ研の方々がホームパーティに招待してくださったことで、部分的に満たされました。最初の招待は田畑先生のバーベキューで、とても楽しかったです。まず第一に、これは単なるバーベキューではなく、立派な 宴会でした。私たちはここで、豊かな日本の料理を味わう機会を得、大変おいしく思いました。 このパーティではまた、新しい知り合いを作るとともに、以前からの知り合いとのつき合いを 深めることができました。私たちは、私が日本に来る前に考えていたよりも、日本人がオープ ンで話好きであることを知りました。また、ポトゥルニツキー先生が故郷のウクライナの古い 歌を歌ってくれたので、彼に歌の才能があることも発見しました。私たちはフレンドリーな雰 囲気を楽しんで、とてもよい気分でパーティをあとにしました。
いちばん最近に受けた招待は、家田先生のお宅でのホームコンサートと誕生パーティでした。 これはほんの数週間前で、私の記憶に新しいことですので、この夕べのことを詳しく書くこと にします。まず述べたいのは、日本人のお客たちは畳に座っていたのに、私達には椅子を用意 するという配慮を家田先生が見せてくださったことです。私達の何人かもまた、畳に座るとい う経験を楽しみました。このような座り方は、家田先生宅でのこの会の特徴であった、日本の 伝統的な生活様式と西洋的な生活様式の混合を象徴しているように、私には思われました。こ の夕べの西洋的な側面とは、とても高い水準にあるロシアの音楽家による、すばらしいクラ シック音楽コンサートでした。コンサートの間、日本の人々のクラシック音楽に対する深い憧 憬の念が空間に漂うのが感じられました。
しかし本当の楽しみは、コンサートの後に始まりました。発案者はゲストの音楽家たち自身でした。彼らはコンサートの終わりに、ロシア民謡の「カチューシャ」を演奏することを提案し、観客は外国人も日本人も、熱意をもって応えたのです。ロシアの音楽家たちに2人の日本 人の女の子が加わり、歌をヴァイオリンで弾きました。この時から雰囲気は次第に、打ち解け て暖かな、フレンドリーなものになりました。外国人も日本人も、年長者も年少者も、子供も 大人も、全ての客たちが混じり合いました。言葉の壁にもかかわらず、私達はお互いを、目の 輝きで理解し合いました。
食事が出されて、夕べが日本的な部分に入ると、楽しみは頂点に達しました。寿司などの純粋な日本食があり、私たちは日本料理に慣れていないにもかかわらず、楽しく味わいました。 私達の何人かは初めて寿司を食べ、とてもおいしいことを知りました。日本式と西洋式の混合 という特徴は、ここではワインや、ろうそくを立てたバースデー・ケーキに現れていました。 それに、誕生日そのものが統合を示していました。この日は、日本人の女の子と、ハンガリー 人の学生と、ロシア人のピアニストの誕生日を一度に祝ったのですが、お祝いの言葉を書いた 貼紙には、日本人の名前はひらがなで、ハンガリー人の名前はローマ字で、ロシア人の名前は ロシア文字で書かれていたのです。このことは、善意ある人々がお互いを理解できる、私たち の小さな世界を、いくぶんか反映しています。
宴会の間、雰囲気はだんだん熱くなってきて、モスクワからの音楽家が有名なロシアの歌「カリンカ」を演奏しました。すると、サンクト=ペテルブルグからスラブ研究センターに来ている学者のミロノフ先生がコサック・ダンスを踊り始め、彼の奥さんも加わり、観客はみな拍手 しました。それだけでなく、ミロノフ先生は日本人の女の子とワルツを踊り、楽しみは完璧に なりました。私たちは次々と歌を歌い、しばらくの間、故郷と友人と家族から離れていること を忘れ、私たちを囲む日本の人々を非常に身近に感じました。
私は、このさまざまな文化の混在が、私たちのよい気分に貢献したのだと思います。これは この成功したパーティに限ったものではなく、日本人の生き方の特徴なのだと考えます。今年 度スラブ研究センターにイスラエルから来ている私は、この、伝統と現代、民族的な特徴と世 界的な普遍との統合の傾向の中に、日本とイスラエルとの類似性を見出します。
(英語から宇山智彦訳)