2009年はスラヴ語学研究にとって悲しみの多い年になった。1月7日にスラヴ語通時研究で大きな功績を残したMaria Brodowska-Honowska(享年85)、2月7日にはポラブ語研究の大家Kazimierz Polański(享年80)、2月22日にはスロヴィンツ方言研究の大家Ewa Rzetelska-Feleszko(享年77)、そして6月5日にはスラヴィストでありロマニスト、また言語理論家としても著名なStanisław Karolak(享年78)の訃報を相次いで聞くことになったのである。
そして4月7日、セルビア科学芸術アカデミー正会員Irena Grickat-Radulovićが他界した。Grickatは第2次世界大戦後のセルビア語研究を牽引してきた代表的な学者の1人であり、特にセルビ ア語の歴史的研究において数多くの業績を残した。私もセルビア語研究に携わり始めてから今日に至るまで、さまざまな場面でGrickatの著作を参照する 機会があり、Grickatは私にとって憧れの存在であったとも言える。本稿では追悼の念をこめて、この偉大なセルビア語学者の足跡を簡潔に振り返ってみ たい。
Grickatの著作(追悼文)
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1922年、Irena Grickatはセルビアに亡命した白系ロシア人の家庭に生まれた。その苗字は非スラヴ系を思わせるが、実際Grickatの曽祖父はリトアニア人で、彼 がペテルブルグに移住したときにGrickaitisからGrickatに簡略化したのだという。
1940年にベオグラード大学哲学部セルビア・クロアチア語・南スラヴ文学専修課程に進学し、第2次大戦をはさんだ後1949年に卒業、1953年に博士 号を取得した。著名な言語学者Aleksandar Belić (1876-1960)の指導の下で書かれた博士論文「セルビア・クロアチア語における助動詞を伴わない完了形式及び類似の現象について(O perfektu bez pomoćnog glagola u srpskohrvatskom jeziku i srodnim sintaksickim pojavama)」(1954、ベオグラード)は名著として知られる。この著作ではbiti動詞が省略される完了形式を統語および意味に分析し、その類 型を試みたものである。文語と方言の豊富な用例を通時的および共時的側面から分析し、さらに他のスラヴ諸語との比較にも焦点を当てたこの著作は、現在も一 定の価値を保っている。
1949年にセルビア科学芸術アカデミー付属セルビア語研究所にてBelićの助手として採用され、1969年まで研究活動に従事した。同期にはIvan Popović (1922-1960)、Pavle Ivić (1924-1999)、Milka Ivić (1923-)といった所謂Belić学派に属する優れた研究者がおり、彼らはGrickatとともに戦後のセルビア・クロアチア語研究の黄金期を担うこ とになる。代表的な成果として挙げられるのは、現在も刊行され続けている「セルビア・クロアチア文語・民衆語辞典(Rečnik srpskohrvatskog književnog i narodnog jezika)」であり、Grickatは第1巻から編纂作業に参加し、編纂委員会の主要メンバーとして活動し続けてきた。セルビア語研究所を退職した後 もJužnoslovenski filologやNaš jezikといったセルビア語研究所が刊行する主要な学術誌の編集委員を務め、また同誌に多くの研究論文を発表した。
1969年から1977年までGrickatはセルビア国立図書館にて主にセルビア語の古文書研究を行った。1977年に定年退職した後にセルビア科学芸 術アカデミー準会員、続いて1985年には正会員に選出され、アカデミーの学士院辞典編纂部会、古代教会スラヴ語研究部会、語源研究部会その他多くの研究 部会で指導力を発揮した。尚、1983年にはスロヴァニア科学芸術アカデミーの外国人会員にも選出されている。
Grickatは4冊の単著を筆頭におよそ250の学術研究を残した。中でもセルビア語の通時研究への貢献が際立っており、その関心の幅は音声学・音韻論 から統語論までと極めて幅広い。研究テーマとして第3次口蓋化(例えば、Još o trećoj palatalizaciji // Južnoslovenski filolog 19, 1951)や動詞のアスペクト(例えば、O nekim vidskim osobenostima srpskohrvatskog glagola // Južnoslovenski filolog 22, 1957) といった、スラヴ語研究において長年議論されている諸問題を選び、それに正面から取り組んでいることも注目に値する。博士論文につぐ2冊目の単著「古期セ ルビアのキリル文字文書における現下の言語及びテクストの諸問題(Aktuelni jezički i tekstološki problemi u starim srpskim ćirilskim spomenicima)」(1972、ベオグラード)はセルビアの古文書研究の課題と方法論を論じたもので、以後のセルビア語史研究の指針として、とく に統語論の歴史研究の発展に大きな影響を与えた。3冊目の単著「セルビア・クロアチア語史の研究(Studije iz istorije srpskohrvatskog jezika)」(1975、ベオグラード)は歴史的統語論研究の傑作であり、接続詞daとštoの用法の通時的分析は特に興味深い。 本書の価値は現在でも失われておらず、2004年には復刊された。尚、いずれの単著も本邦では唯一、当センターの図書館が所蔵している。
Grickatには文献学研究の業績も多い。「ドゥシャン法典(Dušanov zakonik)」(1975-1997、全3巻、ベオグラード)において展開されるGrickatの精密なテクストの分析と注釈は、多くのセルビア語お よびその他のスラヴ語の古文書に通じていた彼女ならではの研究成果であり、セルビア言語・精神文化史において重要な意味を持っている。
この他Grickatの関心は、さらに詩作法や翻訳論に及び、自身も傑出した翻訳者であった。プーシキン、レールモントフ、バラティンスキー、チュッチェ フ、ブロークといったロシア詩の古典作品の翻訳は、例えば「19世紀の詩作品より(Iz poezije XIX veka)」(1998、ベオグラード)で読むことが出来るが、これは韻律も原文に忠実であるなど、セルビア語とロシア語を母語とし、かつ双方の言語文化 に精通していたGrickat以外には達成しがたい仕事であろう。
Irena Grickatは学閥を作らず、「弟子」と呼べる人間は1人も残さなかった。多くの言語学者と異なり、大学で教鞭をとることに関心はなく、また名誉を求め ず、ただ与えられた場所で心に決めた研究に邁進した、孤高の研究者であった。国際的に活躍し「ノヴィ・サド学派」と呼ばれる構造言語学の学派を率いた同世 代のPavle及びMilka Ivić夫妻に比べると幾分地味という印象があることは否定できず、またGrickatの研究の多くは主としてセルビアの学術誌に発表されたため、その名 前は世界に広く知られているとは言い難い。しかしGrickatの著作を読んだ者は、世界的なIvić夫妻の研究に決して劣らぬ価値を見出すはずである。
Grickatの業績一覧(但し2002年まで)は、Lidija Jelićが編纂したBibliografija radova akademika Irene Grickat-Radulović u čast osamdeset godina života(2002、ベオグラード)としてまとめられている。また、次号のJužnoslovenski filologはIrena Grickat記念号になるということなので、2002年以降の業績はそこに掲載されることになるだろう。
残念なことに、Grickatはもはや手に入らない論集などに多くの研究成果を発表したため、その研究の全容を把握することは難しい。したがって、セルビ ア科学芸術アカデミーにはGrickat全集の刊行が期待される。