スラブ研究センターニュース 季刊 2008 年冬号 No.112 index
冒頭の21 世紀COEプログラム総括シンポジウムの記事の中でも触れていますが、2008 年1 月26 日、東京大学本郷キャンパスにおいて国際シンポジウムThe Caucasus and Its Inhabitants between Russia and Middle East: Reactions and Reflections for the Sake of Religion and State(21 世紀COE プログラム「スラブ・ユーラシア学の構築」及び、NIHU プログラム「イスラーム地域研究」東京大学拠点との共催)が開催されました。21 世紀COE 総括シンポジウムが前々日、前日に開催され、また、土曜日ということで、企画当初より参 加者数について若干の不安を主催者は抱いていました。しかし、事前参加申し込みが70 名を 越え、当日はスタッフを合わせて100 人規模の大掛かりなシンポジウムになりました。
塩川氏のコメントに聞き入るスーニー氏
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午前中最初のセッションでは世 界のコーカサス研究において先駆 的な業績を数多く残し、また、ア メリカを代表するソビエト史研究 者でもあるスーニー氏が「文明と してのコーカサス」の題目で基調 講演をおこない、ソ連の民族政策 研究で知られる東京大学教授の塩 川伸明氏がコメントしました。スー ニー氏は、コーカサス近代におけ るネイション形成過程と、偏狭な ナショナリズムがユニバーサルな 理論を名目的にせよ支柱としたソ 連体制下でむしろ強化されていった矛盾について、明快な説明を加えました。そして、こう したナショナリズムの歴史的使命は終わったとして歴史の問い直しに期待を表明しました。 塩川氏はこれに全面的に賛意を表明しつつ、ナショナリズムの強力さを確認し、その乗り越 えに対してより慎重な評価を提示しました。
続いて、18・19 世紀のロシアのコーカサス進出とその影響についてコロンビア大学のポラッ ク氏とセンターの前田がそれぞれ報告しました。帝国の辺境への進出を単線的に捉えるので はなく、徐々に構築されていったシステムに焦点をあてたポラック氏に対し、前田は、中東 やロシアという「外界」との人の往復を繰り返してきた現地民の活動を紹介しました。
午後はロシア・イスラーム研究の第一人者であるモスクワ東洋学研究所のボブロヴニコフ 氏とアムステルダム大学のケンペル氏が、それぞれ帝国の政策とスーフィー教団について、 先入観を大きく覆す魅力的な報告を続けておこないました。また、上智大学の宮澤栄司氏の トルコにおけるチェルケス・ディアスポラについての報告は、討論者を務めたフォン・キュー ゲルゲン氏からも高い評価を受けました。最後のセッションは、気鋭の研究者3名(東京大 学の吉村貴之氏、プリンストン大学のレイノルズ氏、フランス・アナトリア研究所のゴルダ ゼ氏)が20 世紀における「ナショナリズム幻想」の虚実に迫る報告をおこない、2名の討論 者とフロアも交えて熱い議論が展開されました。
通訳なしの英語シンポジウムがこれだけの人々の関心を引いた背景には、21 世紀COE プ ログラムで強調されてきた境界領域研究の面白さが学会だけではなく地域研究に関心を寄せ る人々一般にまで浸透しつつあることがあげられます。また、特筆すべきことは、北海道、 京都、宮城など全国各地から、多数の大学院生が参加申し込みをおこなってきた点です。
一方、予想を上回る大きな反響 に企画者が適切な対応を取りきれ ず、反省点も多く残りました。報 告者の滞在や会場等について様々 な便宜を供与してくださった東京 大学の小松久男氏、濱本真実氏、 ならびに2日間の疲れをものとも せず、粉骨砕身で助力くださった 青島陽子をはじめとするセンター スタッフ各位に心より厚く御礼申 し上げます。
会場は朝早くからほとんど埋まった
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また、その後、関連企画として 1月28 日にセンターにおいてRethinking the Caucasian Frontier: Local Resistances against or Interactions with the Imperial Authority?(助成:21 世紀COE プログラム「スラブ・ユー ラシア学の構築」)が、1月30 日には京都大学吉田キャンパスでIn Search of the Caucasian as Culture: Seeking the New Perspectives from the Dialogue between Philologists and Historians(助成:科学研究費「スラブ・ユーラシアにおける東西文化の対話と対抗のパラダ イム」ほか)が開催されました。いずれも報告と円卓会議を組み合わせた形式でおこないま したが、1月28 日は、ポラック氏が「アメリカでも一度も見たことがない」という数度にわ たる激しい議論の応酬をスーニー氏とレイノルズ氏が繰り広げるなど、白熱した議論が随所 に展開されました。司会のウルフ氏の「通常1年で何回思いつくかというアイデアがいくつ も湧いてきた」というコメントにも、文明の境としてのコーカサス地域の持つユニークさと 複雑性が反映されていると思います。
1月30 日は、ロシア文学研究のベテラン・中堅研究者によるレールモントフ論を皮切りに、 改めて他者からの視線を内在化しつつ、複雑な「自己形成」を果たしてきた地域の歴史とそ の「語られ方」について議論が繰り広げられました。前日に合流したグルジア写本センター 所長クダヴァ(科学研究費「16-18 世紀コーカサスにおけるイランの強制移住政策に関する研 究」による招聘)も、トルコ共和国東部の教会遺跡などの研究史に関する興味深い報告をお こないました。地域を越えた研究のクロスオーバーの面白さと難しさは総括シンポ等でも十 分感じられましたが、こちらも若手研究者の積極的な貢献が目立ちました。京都大学でのホ スト教員木村崇氏や、司会を務めてくださった楯岡求美氏、交通機関のアクシデントにも関 わらず懇親会に駆けつけてくださった大阪市立大学の浅岡宣彦氏らの熱意に心から感謝申し 上げあげます。
なお、クダヴァ氏は2月1日に早稲田大学イスラーム地域研究所でグルジアにおけるイス ラームとキリスト教の関係史に関する講演をおこないました。スーニー氏が討論者として改 めて登場し、喧伝されるような「宗教対立の最前線」とは全く異なるコーカサス史の内実に ついて改めて補足がなされました。フロアからは、イスラームの他の辺境との比較やグルジ ア内部の民族意識と宗教事情に関する詳細な質問のほか、スターリンに関する質問も出まし たが、現在スターリンの青年期に関する二巻本を執筆中のスーニー氏が詳細なコメントをつ けるなど盛り上がりました。講演者らの滞在及び研究会組織に関して、イスラーム地域研究 所の湯川武氏、佐藤健太郎氏には特にお世話になりました。深く御礼申し上げます。コーカ サスに関する連続セミナーは、2月5日北海道スラブ研究会におけるクダヴァ氏の講演で無 事に終了しました。
一連の行事を経て感じたことは、想像以上に境界領域への関心が高まりつつあること、そ して、その関心に応えるだけの複雑かつ興味深い研究対象としてのコーカサスとその周辺地 域研究の可能性です。なお、今回の一連の行事で招聘した外国人は皆、研究者として初来日 であり、日本における当該分野の研究に大きな感銘を受けて帰国しました。若手の積極的な 参加が目立った今回の企画が一過性のものとなることがないよう、交流の更なる促進と成果 の集約を今後も目指していきたいと考えます。