スラブ研究センターニュース 季刊 2007年秋号 No.111 index
島田元太郎は、1870 年に長崎県南高来郡土黒村(現南島原市)に生まれた。1885 年にウラ ジオストクに渡航、翌年にはアムール河口近くの都市ニコラエフスク・ナ・アムーレに移り、 その後1896 年には同地に島田商会を設立して、これを市内随一の商社に発展させる。ロシア 革命による経済混乱期においては、自らの肖像入り商品券を流通させるほどの信用があった。 尼港事件(1920 年)に際して、元太郎自身は帰国中にて難を逃れたが、店舗等、現地の設 備の大方と店員の全てを失うこととなった。被災当初、元太郎は、店舗を再建するなど、ニ コラエフスクでの事業の復活を目指すが、ソヴェト政権が確立し、事業の成立が困難となって、 結局撤退を余儀なくされる。
これと並行して元太郎は、日本人居留民の代表として、尼港事件による損害補償を政府に 求める運動の先頭に立ち、3度にわたってこれを実現させた。 この他、元太郎は、サハリンおよびカムチャッカの油田開発にも関係するが、いずれも事 業として軌道に乗せることはできず、晩年は次男のいる平壌に渡り、1945 年の敗戦直後、同 地で没した。
本文書は、約850 点の書簡、文書類、新聞切り抜き、写真、図面等から成る。内容的には、 帰国中に尼港事件の報に接して以後、その対応、とりわけ補償運動に関係するものが多い。 本文書は、ここ暫くの間、本センター関係者が元太郎の遺族より預かっていたものであるが、 昨年3月より目録の作成およびデジタル・カメラによる簡易的撮影を開始し、この6月までに、 一応、仮目録と文書内容のデジタル画像を、全点をカバーするところまで整えることができた。 また、島田家からは、本文書を寄託・公開することについての了解を得ることができたので、 お知らせしたい。また、このことに関する、島田家のご理解とご厚意に対して謝意を申し上 げたい。
なお、この作業は、現在最終年度である21 世紀COE プログラム「スラブ・ユーラシア学 の構築」の一環としておこなわれたことを付記する。