スラブ研究センターニュース 季刊2006年冬号 No.104 index

ヒズブッタフリール(解放党)メンバーとの出会い

宇山智彦(センター)

 

「ヒズブッタフリールのメンバーの電話番号を教えてあげようか。」2005年秋、クルグズスタン(キルギス)南部の町で地元ジャーナリストと話をし ていた時にこう言われた私は、耳を疑った。ヒズブッタフリール(アラビア語で「解放党」という意味。「イスラーム解放党」と呼ばれることもあるが、原語に 「イスラーム」は入っていない)は、1949年頃にパレスチナで生まれ、ムスリム地域のどこかにカリフ国家を樹立して全世界のムスリムをカリフに従わせる という構想を持つ、国際的なイスラーム運動である。近年中央アジアで非暴力的な宣伝活動を盛んに行っているが、各国政府に敵視され、多くの逮捕者を出して いる。5人程度の細胞単位で活動し、それぞれのリーダー以外は他の細胞のメンバーを知らないという秘密組織的な性格を持ち、活動の実態には謎が多い。だか ら、メンバーの連絡先が簡単に分かるとは、思いもよらなかった。

ヒズブッタフリールの教義書
A氏の家にあったヒズブッタフリールの教義書

数日後、私はウズベキスタンとの国境の町に向かった。町の住民の大半はウズベク人である。中心部の大きなバザールに着き、屋台の売り子から携帯電話 を借りて(このあたりでは公衆電話代わりに携帯を貸す商売が盛んである)、メンバーのA氏に到着を知らせる。彼も携帯を持っているのである。しばらく待つ と、本人が現れた。私は中央アジアの人の年齢を判断するのが苦手だけれども、30代前半ぐらいだろうか。通俗的にイメージされるであろう、髭を伸ばした 「イスラーム原理主義者」の姿とは違い、髭をきれいに剃っている。服装も、短髪の上に白い編み目の帽子をかぶっているのがやや目立つ以外は、ごく普通であ る。ただ、眼光が非常に鋭い。

タクシーで彼の家に向かう。運転手はもちろんほかの客も乗り合わせているのに、彼は流暢なロシア語で堂々と「わが党」についての話をする。一瞬、実 は秘密警察の関係者か何かが私を騙しているのではないかと疑ったほどである。

自宅は典型的なウズベク風の平屋建てであった。彼はバザールと自宅で卸売りをしているらしく、家に着いてからも商売が片づくまで待たされてから、ようやく 話が始まった。中央アジア、特にウズベキスタンでのヒズブッタフリール弾圧について意見を聞いた時の彼の答は驚くべきものだった。カリモフ(ウズベキスタ ン大統領)は弱い人間だから政治力よりも暴力に頼る取り締まりをするが、これは党への注目を高め、宣伝になるから好都合だというのであった。(弾圧され る)個人ではなくイデオロギーが大事なのだ、とも彼は言った。この、非人間的とも言える論理をどう解き明かせるのかという思いを抱きながら、私はインタ ビューを続けた。


「われわれはカリモフら中央アジア諸国の指導者に反対なのではなく、彼らの背後にいるアメリカが進めているグローバル化の原則に反対なのだ」、とA氏は語 る。ただしグローバル化そのものにはむしろ賛成で、イスラームの原則によってグローバル化を実現することを求めているようだ。日本とは隣人関係を結びたい し、アメリカにはイスラームを壊すことではなく隣人として生きることを考えてほしい、と言う。このあたりは穏健な言葉遣いである。
しかし、彼がグローバル化の核として考えるイスラーム国家の姿はどのようなものだろうか。ターリバーンは自分たちの兄弟だが、今は宇宙時代であって中世的 な国家を作るのは間違いであり、テクノロジーを基盤に国家を建設しなければならない。高水準のテクノロジーを自前で開発するには、軍需産業が必要だ、と言 う。私がそれは非現実的なのではないかという反応を示すと、「かつてレーニンが短期間で多くのことを達成したのと同じように、十年間であらゆることができ る。知恵を使って、国(将来のイスラーム国家)のために働くことが必要だ」という答であった。

イスラーム国家を作る革命が近い将来に起きる理由については、「マルクスは貧民が増えることによって周期的に革命が起きると言った。今、貧民がどれほど多 いことか。必要なのは、民主主義の原則ではなく、新しい文明、新しい原則としてのイスラームだ」と述べた。クルグズスタンのような民主主義の汚れた沼は壊 さなければならない、と言う。たびたびレーニンやマルクスの名前を引き合いに出すので、レーニンについてどう思うのかを改めて聞いてみると、「彼の存在自 体は歴史の過ちだが、人々が飢えていてもまず政治変革に着手した点は評価できる。今も、経済ではなく政治を考えるべき時だ」と答える。

イスラームの名のもとに世界各地で行われているテロや武力闘争については、ベスランや9.11、ロンドンの事件は支持しないが、パレスチナやイラクでの抵 抗運動は支持する、と言う。カリフ制ができれば世界の安全を保障することになる、なぜならカリフの命令に反する行為を行う者は他のムスリムに殺されるし、 カリフが(全ムスリムを代表して)各国と話し合えば問題が解決するからだ、という(私から見ればナイーヴな)理屈を説く。カリフ制を作るとカリフの座をめ ぐる争いが起きるのではないか、と私が聞くと、確かに起きうるが、皆がイスラームを第一に考えるから大丈夫だ、という。ここでも、ムスリムの団結を世界プ ロレタリアートの団結になぞらえる比喩が飛び出す。

5月にウズベキスタンのアンディジャンでムスリムの集会が武力鎮圧された事件の話題になると、A氏は、あれはイスラームの魂を殺すためのアメリカとロシ ア、イスラエルの計画によるもので、少なくとも1万人の住民が殺された、というかなり突拍子もない説明をする。ただ興味深かったのは、集会の核となったと される「アクラミーヤ」についての彼の見方だった。アクラミーヤはヒズブッタフリールの元メンバーであるアクラム・ヨルダシェフ(1999年から投獄中) が作った組織で、生産活動を基盤にした相互扶助的共同体だとされるが、A氏は「アクラミーヤは経済優先の考えだが、ヒズブッタフリールは船が沈む時に金を 持っていても無意味だと考える。政治が経済を作るのであって、その逆ではない」と言うのであった。

やがて2人の青年が会話に加わった。彼らはウズベキスタンのナマンガンに住んでいるが、時々クルグズスタンに来ているという。本来はヴィザが必要だが、 20ソム(約50円)で抜け道の案内人を雇うか、同じ金額の賄賂を国境警備員に払えば国境を越えられると言っていた。一人は「ワッハービー(イスラーム原 理主義者)」のレッテルを貼られて3ヵ月半投獄された経験があり、もう一人は父親が3年半投獄されていたという。2人はウズベキスタンで一般市民がいかに 迫害され、支配層(特に大統領の娘)の専横がいかに目に余るかを切々と語る。彼らはヒズブッタフリールのメンバーではないそうで、A氏が党の方針について 話す時には黙って聞いていた。個々人の悲惨な運命を語る2人と、ひたすらイデオロギーを語るA氏の話はかなり肌合いが違うように思われた。

A氏は、クルグズスタンではヒズブッタフリールが働いているから宗教紛争もテロも起きないのだ、たとえばこの町には2つのモスクがあって互いの仲はよくな いが、対立の兆候があれば党のメンバーが赴いて説得するから紛争は起きない、と主張する。ウズベキスタンでヒズブッタフリールが状況をコントロールしてい ればアンディジャン事件は起きなかっただろう、と言う。

話に一区切りついたところで、私は礼を言って家を出たが、A氏は路上で私に、イスラームに入信すべきだと言い始めた。ただし曖昧な動機で信じるのではな く、「アッラーが精神的にではなく物質的に存在すること、コーランがアッラーの書であることを証明してからイスラームを信ぜよ」と言う。どのように証明で きるのか、ムスリムとしてのあなたの意見を聞きたい、と私が言っても、「ムスリムの意見ではなくイスラームの意見を聞け」という謎かけのような返事しかし てくれない。

私は禅問答じみた会話に少し疲れてきたので、話題を変えて、国境はどちらの方向なのか、と聞いてみた。すると、歩いて5分だ、何なら一緒に行ってみよう、 という話になった。民家の庭を横切ったり小道を通ったりしながら、A氏は「この貧しい家々を見ろ。同じ人間なのになぜ、日本人やアメリカ人と同じような生 活ができないのか」とつぶやいた。理屈っぽく非情なイデオロギーを語る彼の怒りの原点が、少し分かったような気がした。

やがて、小川のほとりに出た。かつては人々が自由かつ合法的に往来できたであろう、一見何の変哲もない小川だが、対岸には鉄条網が張られている。ウズベキ スタン領なのだ。鉄条網を見ながらA氏は言った。「クルグズスタンも牢獄、ウズベキスタンも牢獄だ。党の活動のために逮捕されたとしても、今の生活と何の 変わりがあるのか。私は目標が達成できなくても悔いはないし、理念のためなら命を捧げるべきだ。」私には、返す言葉もなかった。


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