スラブ研究センターニュース 季刊 2005 年春号 No.101


会 議(2005年2月−2005年4月)

センター協議員会

2004年度 第5回 1月28日 持ち回り
議  題 1.北 海道大学スラブ研究センターと国立カザニ・エネルギー大学経済・社会工学研究所(タタルスタン共和国、ロシア)との部局間協定について
2004年度 第6回 3月31日
議  題 1. 2005年度客員教授候補者の選考について

2.北海道大学スラブ研究センター点検評価内規の一部を改正する

3.教 員の兼業について

4.その他
報告事項 1.教 員の海外渡航について

2.その他
2005年度 第1回 4月15日
議  題 1.教 員の人事について

2.その他
報告事項 1.そ の他
2005年度 第2回 4月18日
議  題 1.教 員の人事について

2.その他
報告事項 1.そ の他
2005年度 第3回 4月21日
議  題 1.教 員の人事について

2.その他
報告事項 1.そ の他


みせらねあ

◆鳥山先生を偲んで◆

栗生澤猛夫(北海道大学)

toriyama
1996年3月、秋月さんの送別会場にて:
中央が鳥山先生、向って右が筆者の栗生澤氏

スラブ研究施設(センターの前身)の創設者の一人であられる鳥山成人先生が、去る2月14日鬱血性心不全並びに多発性脳梗塞のためご逝去されまし た。享年83歳でした。ここに生前の鳥山先生を偲び、そのご足跡をたどり、哀悼の意を表させていただきたいと思います。

鳥山先生は大正10年(1921年)札幌市に生まれ、小学校までをこの地で過ごされました。昭和9年(1934年)御父君の転勤で台湾に移られ、嘉義中学 校に入学、4年後には台北高等学校に進学されました。昭和16年(1941年)に東京帝国大学文学部西洋史学科に入学され、本格的にロシア史研究を始めら れたと伺っております。しかし折しも戦局の悪化により学問に専心することがはなはだ困難な状況となり、大学も半年繰り上げで卒業ということになります。卒 業後財団法人東亜研究所に奉職されますが、わずか2ヵ月で召集され、東京御台場の独立高射砲第一大隊に応召されます。先生は私共にもこのときのことを何度 か、戦争の無意味さとともに静かに語られたことでした。戦後先生は、財団法人20世紀研究所や歴史科学研究所を経て、昭和23年(1948年)1月には東 京歯科大学予科講師となられますが、同年7月には、堀米庸三先生に招かれまして北海道大学法文学部の助教授として札幌に赴任されます。昭和25年 (1950年)には文学部が発足するとともに、文学部勤務となられます。

先生は昭和28年(1953年)にスラブ研究室が発足するとともにスラブ研究室員となられます。スラブが法学部附置スラブ研究所として官制化された昭和 30年(1955年)には、スラブ研究室員となられ、昭和31年(1956年)2月にスラブ研究室主任事務取扱、翌年には主任となられます。そして同室が 法学部附属スラブ研究施設となった昭和37年(1962年)には施設長となられます。先生は施設長を昭和42年(1967年)3月まで務められます。その 後も昭和44年に文学部に配置替えになられるまで法学部(スラブ研究施設)の教授であられましたが、文学部に移られた後も、スラブ研究施設の研究・運営に 深く関わられ、昭和53年(1978年)にはスラブ研究センター設置準備委員、同年センター発足後は運営委員会委員、センター研究員を務められました。ま さにスラブの草創期からセンターの発足、発展の時代に最も指導的な地位にあられたといえます。

先生は文学部への配置替え後、北海道大学評議員、文学部長事務取扱、大学院文学研究科長など要職を歴任されました。昭和60年(1985年)3月北海道大 学文学部を停年退職されますが、その後は中央大学文学部西洋史学科教授となられ、平成4年(1992年)まで勤められました。

鳥山先生のご専門はロシア史学でしたが、時代的にはキエフ・ルーシ史からソヴィエト期に至るまで、対象とされる地域はロシアを越えてスラブ人地域全般にわ たり、分野も国制史を中心として、法制、経済、社会、思想、文化の多岐にわたっておりました。そのご研究は —若輩の筆者などが記すのもおこがましいのですが—広い視野に立つ、厳格厳密な手法に基づくものでした。ロシア語は言うに及ばず、英独仏ポーランド語など の諸研究に対する目配りと綿密な分析、そこから導き出される適確な結論は、他の専門家の追随を許さぬものでした。

先生が最初に公にされた著書は『ロシアとヨーロッパ:スラブ主義と汎スラブ主義』(1949年)で、19世紀の思想家ダニレフスキーの著作を分析しなが ら、ロシア史の根本問題について明快に論じられました。これは先生27才のときの著作です。先生の主著は北大を退官されるときに出された『ロシア・東欧の 国家と社会』(1985年)ですが、これは先生のロシア・東欧国制史研究を集大成したものです。『スラブの発展』(1968年)や『ビザンツと東欧世界』 (1978年)は広範な読者を対象とした著書でしたが、先生の視野の広さと判断の適確さバランスのとれた行き届いた叙述の妙がとくにみられた著作であった と思います。単独の著者による本格的通史として我が国で最も早い時期に出された『ロシア史』(1956年)も忘れることはできません。

先生のご研究についてはさらに多くのことを記さなければならないと感じますが、それはこのような小論においては出来ないことですから、最後に一つだけ付け 加えさせていただきたいと思います。先生は広く様々なテーマについて研究され論じられました。常にロシア史上の根本的な問題について思索と研究を重ねら れ、その解明に取り組まれました。そして多くの論文を発表されました。発表されたそれらの論文は、その時々の専門家に大きな影響を与えるようなものでし た。その一部を以下に記します。

「キエフ・ロシアの“封建制”と“農奴制”の問題」(1950年)、「イー・ヴェー・キレエフスキーの保守主義」(1952年)、「ラヴリズムの形成—綱 領〈前進!〉成立史」(1960年)、「ポーランドの貴族共和制」(1960年)、「ロシアの身分制議会」(1962年)、「ポーランド=リトワ連合小 史」(1966年)、「ペー・エヌ・ミリュコーフと“国家学派”」(1968年)、「16世紀末ロシアにおける農民農奴化について」(1972年)、「ロ シア農村共同体の土地割替慣行」(1979年)、「18世紀ロシアの貴族と官僚」(1979年)

先生は既に4、5年前から舌が麻痺されお話がし難い状態になっておられました。最初の頃は読み書きなどは問題がなく、私共も論文などをお送りした際には丁 重なご返事を頂戴しておりました。それがこの2年ほどは次第にお元気をなくされ、ついに昨年の7月脱水症状を起こされ、入院されました。一時は症状も安定 されましたが、舌の麻痺から来る栄養摂取困難や、誤嚥からくる肺炎・発熱を繰り返され、徐々に体力を消耗され、この度ついに帰らぬ人となられました。

ここに先生のご功績を永く記憶し、心よりご冥福をお祈り申し上げる次第です。


スラブ研究センター創立50周年記念行事

センターは、1955年7月1日北海道大学内に官制施設として「法学部附置スラブ研究所」が発足して以来、今年で創立50周年を迎えます。センターはこれ を記念して、講演会と祝賀会を下記の要領で開催します。

記念講演会

日時 2005 年7月9日 17:00〜18:00

会場 学術交流会館小講堂(北海道大学キャンパス内)

講師 伊東孝之 氏(早稲田大学政治経済学部)

演題 「地域と ディシプリンの間で」
祝賀会

日時 2005 年7月9日 18:30〜20:00

会場 ファカル ティハウス・エンレイソウ(北海道大学キャンパス内)

[原]

中央ユーラシアを知る事典』の刊行

中央ユーラシアを知る事典 小松久男・梅村坦・宇山智彦・帯谷知可・堀川徹編『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社、2005年)が 刊行されました。中央アジア5ヵ国、新疆、アフガニスタン、南コーカサス3ヵ国、北コーカサス、ヴォルガ・ウラルにわたる中央ユーラシア地域をカバーする 事典としては、世界で初めてのものです。センターの専任研究員、共同研究員、大学院生を含む日本の中央ユーラシア研究者を総動員し、約1000項目を収め ています。最新の研究成果を反映した、この分野における記念碑的な作品と言えるでしょう。古い歴史と新たな変容、多彩な文化を調べるのに適した、大変便利 な事典です。
[編集部]

ヘッドルンド氏によるRussian Path Dependenceの 刊行

2001年12月から2002年2月までの3ヵ月間、COE外国人研究員としてセンターに滞在したステファン・ヘッドルンド氏(スウェーデン・ウプ サラ大学)が、センター滞在中に第一草稿の執筆をおこなった書物が刊行されました。Stefan Hedlund, Russian Path Dependence (London and New York: Routledge, 2005), 394pp.+xivという大著です。序文では、この本の概要が2002年1月のセンター冬期国際シンポジウムで発表されたことなどが書かれています。

[田畑]

センターの役割分担(2005年度)

2005年度のセンター研究部専任研究員の役割分担は以下の通りです。

センター長
田畑伸一郎
<学内委員会等>
教育研究評議会
田畑伸一郎
部局長等連絡会議
田畑伸一郎
役員補佐
林忠行
教務委員会
田畑伸一郎
図書館委 員会
岩下明裕
情報ネットワークシステム学内共同利用委員会
岩下明裕
情報公 開・個人情報保護審査委員会
山村理人
<学外委員等>
地域研究 コンソーシアム理事
家田修/ 田畑伸一郎
地域研究コンソーシアム運営委員会委員
岩下明裕/宇山智彦
地域研究 企画交流センター運営委員会委員
田畑伸一 郎/家田修

< センター内部の分担>
大学院教 務委員会委員・講座主任
望月哲男
将来構想  
林忠行/家田修/松里公孝
授業担当 (総合特別演習)
原暉之/ 前田弘毅/望月哲男
全学教育科目責任者
望月哲男
全学教育 科目総合講義
望月哲男 / 原暉之/前田弘毅
全学教育科目演習
岩下明裕
点検評価
林忠行/ 荒井信雄
夏期シンポジウム
宇山智彦/岩下明裕
冬期シン ポジウム
林忠行/ 藤森信吉
図書
岩下明裕
情報
岩下明裕
予算
山村理人
  外国人プログラム
山村理人
ドルビロフ 
松里公孝(藤森信吉)
グチノヴァ 
宇山智彦
レノー         
望月哲男
鈴川基金
前田弘毅
日本人客員研究員
荒井信雄
公開講座
岩下明裕
諸研究会幹事
山村理人
雑誌編集 委員会
林忠行/ 松里公孝/山村理人/宇山智彦
欧文雑誌
松里公孝
和文雑誌
宇山智彦
ニューズレター
原暉之
50周年 記念行事
原暉之

< 21世紀COEプログラム>
拠 点リー ダー
家 田修
研究・予算
田畑伸一郎
教育 (COE研究員プログラムを含む)
林忠行
国際協力(国際若手研究者ワークショップを含む) 
松里公孝(荒井信雄)
ゴルノフ    
岩下明裕
ハーニン   
荒井信雄
メイラク     
望月哲男
サニキゼ 
前田弘毅
デグラフ   
家田修
講座出版
家田修/ 宇山智彦
出版
岩下明裕
ニューズ レター
原暉之
ホームページ
岩下明裕
地域研究 と中域圏フォーラム
宇山智彦
COE研究員セミナー
荒井信雄
COE= 鈴川奨学制度
前田弘毅
極東国際セミナー
荒井信雄
大学院教 育
望月哲男
SES-COEセミナー 山村理人

[田畑]

人物往来

 ニュース100号以降のセンター訪問者(道内を除く)は以下の通りです(敬称略)。

[田畑/大須賀]

2月10日
スモラ ク(Marek Smolak)(アダム・ミツケウィチ大、ポーランド)、本間靖規(名古屋大)、大場陽子(同)
2月17日
小池良 高(文部科学省)、戸田量紗(同)、林史晃(同))
2月19日
阿部賢 一(東京外語大)、大須賀史和(神奈川大)、小椋彩(東京大・院)、貝沢哉(早稲田大)、鴻野わか菜(千葉大)、古賀義顕(東京大・院)、中村唯史(山形 大)、福間加容、古川哲(東京外語大・院)、本田登(東京大・院)
2月22日
京極俊 明(名古屋学芸大)
2月28日
ラーリ ン(Victor Larin)(ロシア極東諸民族歴史・考古・民族学研究所);ラーリナ(Liliya Larina)(同);イン(YIN Jianping)(中国黒龍江省社会科学院シベリア研究所)、大津定美(大阪産業大)、堀江典生(富山大)、宮本哲二(外務省)
3月7日
西村可 明(一橋大)、杉浦史和(同)、角田安正(防衛大学校))
3月24日
仲地清 (名桜大)、山城秀之(同)
4月21日
林承翼 (国際問題調査研究所、韓国)、尹昌容(同)


研究員消息

●松里公孝研究員は2005年2月4日〜8月6日の間、「ロシア帝国の総督制:民族論から空間論へ」に関する史料調査のため、日本学術振興会特定国派遣研 究者事業により、ロシアに出張。
●宇山智彦研究員は3月2〜25日の間、科学研究費「中央ユーラシアの近代化における知識人の役割の比較研究」に関する史料収集のため、ウズベキスタンに 出張。
●山村理人研究員は3月15〜21日の間、科学研究費「旧ソ連諸国における農業インテグレーションの展開とその多面的影響」に関する旧ソ連諸国における農 業構造変容の研究・調査のため、ベラルーシに出張。



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