スラブ研究センターニュース 季刊 2005 年冬号 No.100


会 議(2004年10月–2005年1月)

センター運営委員会

2004年度 第2回 12月10日
議   題 1.スラブ研究センターの研究活動及び運営について

(1)2005年度特別教育研究費(2005年度概算要求)について
(2)COEの今年度の活動業績と来年度の予定について
(3)センターの今後の研究活動について

2.2005-06年度共同研究員の委嘱について
報告事項 1.2005年度科学研究費補助金の申請状況について

2.その他




みせらねあ

◆鈴川正久氏を偲んで◆

原 暉之(センター)

auzukawa
1995年友好勲章授与時の鈴川氏

全国のスラブ・ユーラシア研究者のあいだで「鈴川基金」の生みの親として広く知られる鈴川正久氏が昨年11月1日、膀胱がんのため尼崎市において逝 去されました。享年89歳でした。故人の足跡を偲ぶに当たり、以下では親しみを込めて鈴川さんとお呼びすることをお許し下さい。

鈴川さんは1915年広島県のお生まれで、1940年神戸商業大学を卒業後、応召して同年12月咸興第43連隊に入営、翌年初め羅南の部隊に配属され、一 時帰国ののち主計中尉として奉天(現・瀋陽)に派遣されました。1945年ソ連に抑留され、1948年までチタ郊外の収容所で抑留生活を強いられて帰国、 1949年から1980年まで西華産業(株)に勤務されました。退職後、1981年にソ連一周の旅行に赴かれ、そのことが後半生を日ソ(日ロ)交流に捧げ る機縁となったと聞いています。

鈴川さんにとっての日ソ(日ロ)交流は様々な分野にまたがり、実践的なものでした。スポーツ交流の分野では、モスクワ市から少年野球チームや少年サッカー チームを招待して、各地で交流試合を組織され、芸術交流の分野では、ノボシビルスクのバイオリニストやピアニストを招待して、各地で交流演奏会に立ち会わ れました。さらに最も重要というお考えのもとに手がけられた分野がありました。それは、片隅に忘れ去られてきた日ソ(日ロ)交流史の発掘、そして先人の顕 彰と慰霊です。その端緒は、ロシアのノンフィクション作家ヴィタリー・グザーノフ氏の知遇を得たこと、同氏の著書『白ロシアのオデッセイ』の紹介を通じ て、ロシア初代箱館領事ゴシケヴィチの再評価と顕彰を志したことから始まったように思います。

1985年8月に鈴川さんはグザーノフ氏とともに来道され、函館で盛大なゴシケヴィチ顕彰の会が開催されたということです。このときセンターでもグザーノ フ氏を囲む研究会が行われています。鈴川さんは1989年5月には、ゴシケヴィチの胸像(K.コモフ作)を函館市に寄贈し、その功績を後世に伝える上で不 可欠の役割を果たされました。このほか、1994年のことですが、プチャーチン提督と日本漁夫群像(K.コモフ作)を富士市に、ボイスマン大佐胸像(B. ムハチョーフ作)を松山市にあいついで贈呈されました。ヴァシリー・ボイスマンは戦艦ペレスヴェートの艦長として日露戦争に従軍して旅順陥落後に捕虜とな り、負傷と宿痾を癒されるることなく松山捕虜収容所で他界したロシアの海軍大佐です。

こうした草の根の日ソ(日ロ)交流事業に対する献身はロシア側でも高く評価され、1995年に鈴川さんはロシア政府から日本人として初の友好勲章を授けら れました。 鈴川さんとセンターの交際がはじまったのは1980年代前半に遡ります。そしてゴシケヴィチ顕彰の件で来道された1985年、センターは鈴川さんからのご 寄付をもとに、その果実をスラブ地域に関する総合的研究の振興のための助成に使わせていただくことに決定し、「鈴川研究奨励基金」が発足したのでした。こ の基金の運用は、当初「国公私立大学の教員及び大学院生、国内外の研究者」を助成対象者として、奨励研究員に短期間センターに滞在していただくことによ り、施設・資料の活用、研究者間の交流の一助とすることを目的に掲げて、1987年度から開始されました。その後、助成対象者に限定が加えられ(現行の募 集要項では「原則として博士後期課程以上の大学院生」)、また基金の名称を時限付きで「COE=鈴川基金奨励研究員制度」とするなどの変更はありました。 低金利が続く中で、果実による基金の運用が事実上不可能になるという事態に直面してきたのも事実です。しかし鈴川さんのご芳志をセンターの研究教育活動に 生かすという基本精神は変わっていません。この一文を執筆するに当たり、過去の資料を調べてみましたが、1987年に発足して以来2004年度まで18年 間の鈴川奨励研究員は累計で119人に達しています。この制度による有形・無形の財産の蓄積は、そのまま鈴川さんのご功績の大きさを示すものです。

個人的な思い出になりますが、1989年にゴシケヴィチ胸像の除幕にさいして在札幌ソ連総領事館で催された記念式典で初めてお会いして以来、私はある時期 まで鈴川さんの民間外交に関わるご活動をほとんど存じ上げずにおりました。その後、1993年にグザーノフ氏との共編になる『ロシア戦士の墓』というたい へんに内容の濃い自費出版の書物をいただいたことを機縁に、日ソ(日ロ)交流史の分野でご厚誼を賜り、何度も意見交換の機会に恵まれました。2003年の センター冬期国際シンポジウムに重ねて「捕虜となったロシア軍将兵:日露戦争の一断面」と題する写真展を企画した際に、段ボール箱2個の関係資料をご提供 いただいたことは企画に関わった私どもを感激させました。同年12月松山大学で開催されたシンポジウム「捕虜の町・国際都市松山」の会場で拝眉したのが、 鈴川さんと言葉を交わす最後の機会となってしまったのは残念なことでした。

背筋のしゃんと伸びた、毛筆が達筆で、ダンディーで、いつも周囲に気を配られ、生涯現役で、しかも終生ロマンを忘れなかった鈴川さんのお姿は、センター教 職員一同の胸裏に刻まれています。拙い一文ですが、哀悼と感謝の意をご霊前に捧げ、謹んで故人のご冥福を祈るものです。


人物往来

 ニュース99号以降のセンター訪問者(道内を除く)は以下の通りです(敬称略)。

[田畑/大須賀]

10月22日
服部崇 (経済産業省))
10月 27日
マル チュコフ(Andrei Malchukov)(ロシア科学アカデミー言語学研究所)
11月1日
ウシャ コフ(Aleksandr Ushakov)(モスクワ消費共同組合大、ロシア)
11月2日
浅尾 裕、崔在東(労働政策研究研修機構)
11月8日
ミナー キル(Pavel Minakir)(ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所)、ミヘーエヴァ(Nadezhda  Mikheeva)(一橋大)
11月18日
ビラン (Michael Byram)(ダーラム大、英国)
12月1日
大山麻 稀子(千葉大・院)
12月8日
 -    12日
アフォ ンツェフ(Sergey Afontsev)(世界経済国際関係研究所、ロシア)、ガブドラー フィコフ(Il'dar Gabdrafikov)(ウファ学術センター、ロシア)、ハイル(Henry Hale)(インディアナ大、米国)、ヨルダキ(Constantin Iordachi)(中欧大、ハンガリー)、カーントル(Zoltan Kantor)(テレキ・ラースロー研究所、ハンガリー)、クシュニレンコ(Vladimir Kushnirenko)(キエヴォ・モヒラ・アカデミー大、ウクライナ)、プラウダ(Alex Pravda)(オックスフォード大、英国)、ローパー(Steven Roper)(米空軍大)、ゼグベルス(Klaus Segbers)(ベルリン自由大、ドイツ)、ヴォスクレセンスキー(Alexei Voskressenski)(モスクワ国際関係大、ロシア)、ワカミヤ(Lisa Ryoko Wakamiya)(フロリダ州立大、米国)、荒井幸康(一橋大)、伊賀上菜穂(大阪大)、石井明(東京大)、伊藤庄一(環日本海経済研究所)、井上まど か(東京大・院)、岩田賢司(広島大)、上垣彰(西南学院大)、浦雅春(東京大)、大須賀史和(神奈川大)、金子えつこ(四国学院大)、河東哲夫(前ウズ ベキスタン駐在大使)、川端香男里(川村学園女子大)、北川誠一(東北大)、木村崇(京都大)、久保庭真彰(一橋大)、雲和広(一橋大)、鴻野わか菜(千 葉大)、小松久男(東京大)、金野雄五(みずほ総合研究所)、齋藤久美子(和歌山大)、塩原俊彦(高知大)、篠原琢(東京外国語大)、志摩園子(昭和女子 大)、菅原淳子(二松学舎大)、杉浦史和(一橋大)、仙石学(西南学院大)、月村太郎(神戸大)、長縄宣博(東京大・院)、中野潤三(鈴鹿国際大)、中村 友一(中部大)、西村可明(一橋大)、西山克典(静岡県立大)、沼野充義(東京大)、野田順子(NHK)、兵頭慎治(防衛研究所)、廣瀬陽子(慶応義塾 大)、伏田寛範(京都大・院)、藤本和貴夫(大阪経済法科大)、皆川修吾(愛知淑徳大)、南塚信吾(法政大)、六鹿茂夫(静岡県立大)、湯浅剛(防衛研究 所)、吉村貴之(日本学術振興会特別研究員)
1月20日
下斗米 伸夫(法政大)
1月22日
仙石学 (西南学院大)、池本修一(日本大)、小森宏美(国立民族学博物館)、上垣彰(西南学院大)、大野正美(朝日新聞)、押川文子(国立民族学博物館)、臼杵 陽(同)、志摩園子(昭和女子大)、橋本伸也(広島大)、平田武(東北大)、湯浅剛(防衛研究所)




研究員消息

●家田修研究員は2004年10月11~19日の間、21世紀 COEプログラム「スラブ・ユーラシア学の構築」主催海外国際シンポジウム「地位法症候群:共産主義後の国民形成、あるいは脱近代の市民権」出席のため、 ハンガリーに出張。12月27日~2005年1月13日の間、広域公共財と東欧地域コミュニティに関する研究打ち合わせと現地調査のため、ハンガリー、連 合王国に出張。

●岩下明裕研究員は10月11~29日の間、科学研究費「ポスト冷戦時代のロシア・中国関係とそのアジア諸地域への影響」に関する資料収集のため、ロシ ア、キルギスタン、ウズベキスタン、中国へ出張。11月4~7日の間、ロシア科学アカデミー歴史・考古・民族研究所での国際会議出席のためロシアへ出張。 11月15日~12月2日の間、外務省委託調査資料収集のため中国に出張。2005年1月18~26日の間、資料収集のためカザフスタン、ウズベキスタン に出張。。

●宇山智彦研究員は2004年10月14~19日の間、中央ユーラシア学会での報告のため米国に出張。

●荒井信雄研究員は11月22~26日の間、サハリン日本センターでの講義のためロシアに出張。

●前田弘毅研究員は11月22~29日の間、科学研究費「イスラーム世界における奴隷エリートの研究:マイノリティー・ネットワークの視座から」に関する 学会報告及び史料調査のため、グルジアに出張。

●山村理人研究員は12月16~26日の間、科学研究費「旧ソ連諸国における農業インテグレーションの展開とその多面的影響」に関する調査及び研究打ち合 わせのためロシアに出張。また、2005年1月30日~2月8日の間、同科学研究費に関するカザフスタンにおける農業構造変動の調査のためカザフスタンに 出張。

●原暉之研究員は2005年1月16~23日の間、科学研究費「日露戦争期の東北アジア国際関係:未公刊文書史料を中心とする研究基盤の形成」に関する調 査及び成果取りまとめのため、ロシアに出張。



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