ハーバード大学ディヴィス・センターで過ごした一学期について
ウ
ルフ・ディビッド(北大スラブ研究センター)
「国際化推進プログラム」の助成を受けて2008年8月から12月までスラブ研究セン
ターからハーバード大学ディヴィス・センターに客員研究員として派遣された。滞在目的のひとつはスラブ研究センターを国際的な北東アジア冷戦研究の中心地
に発展させるためのノウハウをディヴィス・センターに所属する冷戦研究プログラムから学ぶことにあった。特にこのプログラムがディヴィス・センター内で果
たしている役割、旧ソ連邦共和国や東欧を網羅する研究をどの様に進めているか、また大学内の他の研究機関や学部とどの様に係わり合い、学部・大学院教育に
参加しているかなどを学んだ。
派遣前には準備段階として札幌で研究会とシンポジウムを開催した。まず2007年9月の
研究会は、スラブ研究センターの21世紀COEの援助を受けて国内
とヨーロッパ・アメリカから数人の主要な国際冷戦研究者を招き、日本の研究者が国際冷戦研究発展の中で果たす役割について話し合った。ここでは東大名誉教
授和田春樹とLSE教授のオッド・アーニー・ウエスタッドと共に、スラブ研究センターの家田修、松里公孝両教授も交えて学際的な若手の教授・研究者、大学
院生が議論を交わした。この研究会の中で2008年6月に予定されていたシンポジウムの議題等についても意見が出された。
2008年6月のシンポジウムは文部科学省の助成を受け、世界7カ国から招いた20名以
上の研究者が北東アジア冷戦の歴史的事象、過程、人物について新し
い史料や視点を発表した。2日間にわたるパネルの議題は以下の通り。
北東アジアにおける冷戦の地域的特徴とは何
か
北東アジアの冷戦はグローバルな冷戦にどの
様な影響を与えたか
同盟関係は冷戦にいかなる影響を与えたか
軍備拡張競争が続き、分断国家と共産主義国
が今なお存在する北東アジアで冷戦が終わったといえるのか
未だ明らかにされていないことは何か
スラブ研究センターの田畑伸一郎、望月哲男両教授がシンポジウム実行委員となり支えてくれたおかげで日本の学会運営の経験が乏しい私の企画も成功を収める
ことが出来た。このシンポジウムには秋からセンター長となる予定の岩下明裕教授もワシントンから駆けつけ、開会の辞を述べて参加者を歓迎した。
このシンポジウムの論文を現在ハーバード大学冷戦研究プロジェクト代表のマーク・クレー
マー教授と共同で編集しており、彼が編集責任者である
Journal of Cold War Studies で2009年末特別企画として出版することになっている。
在外研究の成
果
ディヴィス・センター滞在中は冷戦研究プロジェクトを通してハーバ-ド大学の様々な知的活動に参加することが出来た。マーク・クレーマー教授は
Journal of Cold War Studies
の編集のほか、冷戦問題シリーズの講演を企画している。シリーズの講演の多くはアンドレイ・サハロフ人権問題プログラム、ハーバード大学ウクライナ研究所
やディヴィス・センターと共催されている。このシリーズは大変活発で、学期の初めと終わりを除くと週に2、3回開かれている。外交官などの突然の訪問があ
るときは、その日の朝に講演が企画されることも多い。主にロシア・東欧関係の有名な学者や政治家は、ハーバード大学のケネディー・スクール(外交問題研究
所)を訪れる。その機会を利用してディヴィス・センターでのインフォーマルな講演を依頼することもよく行われている。大学全体、また大学コミュニティー全
体がインターネットに依存しているため、当日の朝に急遽企画された講演が多くの聴衆を集めることも稀ではない。
このように冷戦プロジェクトは活発に活動している。2008年は1968年の「プラハ
の春」40周年を記念する特別な年であった。マーク・クレーマー教
授がこの時代の東中欧研究のエキスパートであることもあり、ディヴィス・センターでも数々の記念イベントが行われた。特に大規模な3つの事業のうちのひと
つは冷戦プロジェクトの単独開催だった。もうひとつの事業をサハロフ人権問題プログラムが主催し、3つ目を両プログラムが共催した。サハロフ・プログラム
は1975年ノーベル平和賞を受賞したソ連の有名な物理学者で人権擁護運動の父と言われるアンドレイ・サハロフの個人史料を基盤としてディヴィス・セン
ター内に設立され、様々な人権問題に関する講演を企画している。サハロフ博士の活動は冷戦問題と直結していたことから、この二つの研究部門はよくイベント
を共催する。大きな違いは、サハロフ・プログラムが現代の人権問題を扱うことが多いのに対して、冷戦問題プロジェクトは歴史問題を扱うことが多いことだ。
このサハロフ・プログラムにとっても2008年は特別な年であり、サハロフが人権擁護運動家として国内外で広く知られるきっかけになった有名な論文『進
歩・平和共存・知的自由』の発表から40周年を記念する学会が開かれ、サハロフと共に活動した旧ソ連の科学者・人権擁護運動家、あるいはサハロフを支援し
た西側の科学者たちが参加した。
冷戦プロジェクトが主催した1968年に関するイベントは、東中欧専門家を招いて行わ
れたラウンドテーブルだった。マーク・クレーマー、Ludwig
Boltzmann Institute for Research のギュンター・ビショフ、Institute des Etudes
Politiques
のジャック・ルプニックが報告した。1968年7月22日に米国国務長官のディーン・ラスクがソ連のアナトリー・ドブリニン大使に向かって「これはチェコ
人の問題だ」と発言したこと、またその理由が第三次世界大戦を懸念していたことにあったことが指摘された。これでアメリカがなぜプラハの春に干渉しない決
定をしたかが明らかになった。ヤルタ会談、1953年、1956年に引き続きこの時米国はソ連の支配権を事実上認める動きに出たのだった。これが東中欧で
「裏切り」として記憶されることになった。また、「冷戦は終わっていない」という認識も広まることになる。他にソ連の史料をもとにソ連と東欧の軍隊の当時
のやり取りも明らかにされた。この事件がその後如何にチェコ人とスロバキア人の対立につながったかも分析された。この事件での「非暴力」抵抗の歴史は、
1968年の失敗をこえて1970年代の反体制派やサミズダートの運動につながり、1989年のビロード革命につながったのだ。
このようなイベントに参加しながら、ディヴィス・センターのロシア・東欧研究のアプ
ローチを学ぶことが出来た。学会での報告者は様々な学術的アプローチ
のみならず、各国の視点を提供することが多い。そこでは必ずハーバード大学の学者が参加しその視点も常に提供する。大学内、センター内の研究機関・部門は
共同企画・共催するのみならず、メーリングリストもしばしば共有して宣伝活動をする。現代の国家間・地域間の関係構築に多大な影響を及ぼした1968年の
事件については、冷戦プロジェクト、サハロフ・プログラム、ウクライナ研究所、そしてディヴィス・センターのすべてが関与することになった。これらの研究
機関・部門では独立して学術研究が行われているが、現代問題に深くかかわるテーマがより優先される傾向にある。これは学者がより社会的に利用価値の高い問
題を研究する動機付けになるという点で決して悪いことではない。そういうことからも、あらゆる研究部門がいくつかのテーマを共有して活動するメリットは十
分理解できる。ウクライナ研究所は設立当時から民族問題と民族の独立という問題を研究テーマの中心に据えているが、それはサハロフ・プログラムの人権擁護
というテーマと重なるし、冷戦プロジェクトの史料公開を重視する姿勢、ヨーロッパ研究所の民主化問題の重視とも共通項がある。それゆえこれらの研究機関が
常に研究活動を共にしやすい環境があるのだ。
研究活動が現代問題と密接なかかわりを持つことを証明する事件が実際に起こった。12
月冷戦プロジェクト代表のマーク・クレーマーはモスクワで開催され
たスターリンとスターリン研究再評価の学会に参加した。この学会の後援団体のひとつがロシア人権団体の「メモリアル」だった。メモリアルはスターリン体制
化の犠牲者の史料を収集し、そのような時代が二度と来ないことを願って人権侵害や残虐行為の記録を残すことに努めているが、モスクワ学会開催日の前日、メ
モリアルのペテルブルグ事業所に警察の捜査が入り、スターリンに関する貴重な史料が保存されているハードドライブを没収した。警察は新たなテロ行為に関す
る情報を収集していると告げた。この事件から学会が単なる歴史問題を議論する場ではないことが痛感される。今日のロシアの人権問題、法体制、経済的・軍事
的なロシアの国境侵害行為は歴史問題と深くかかわっているからだ。ハーバードではグルジア問題やウクライナ・ロシア間のエネルギー問題の時事は専門家を招
いて頻繁に議論されている。
12月には1948年創立のディヴィス・センターの60周年記念イベントがあった。
ディヴィス・センターは北大のスラブ研究センターよりも少し早く設立
されたが,これは冷戦初期に重なる。その設立目的はスターリンが築き上げたその理解しがたく潜在的に危険な国について理解を深めることだった。この記念学
会には、全米のみならず海外からも数世代の研究者と学生が集まって開催された。
滞在中はディヴィス・センターの日々の活動に参加しながら、自身の研究も進め、また北大
スラブ研究センターとディヴィス・センターの関係を深めることにも
勤めた。自分の研究テーマはスターリン後期の外交政策であり、ハーバードの図書館でこれまでロシア内外で出版された3100冊に及ぶスターリン及びスター
リン体制に関する出版物を閲覧することができた。日本一のコレクションを誇るスラブ研究センターの957冊の3倍以上である。特に日本では容易に手に入ら
ないドイツ語やフランス語で出版されたスターリンに関する重要な学術書が役に立ったが、自分では読むことのできない言語によるスターリン研究書が多々存在
することも知った。
私の滞在期間はちょうどスラブ研究センターがITPプログラムの第一期生をディヴィ
ス・センターに派遣する年でもあった。このプログラムは日本の博士号
取得者を一年間派遣するプログラムだが、ディヴィス・センターとスラブ研究センターの協力関係を研究のみならず若手学者育成に広げる意味で重要である。こ
の他、ディヴィス・センターとスラブ研究センターの教授間でのセミナー・シリーズの計画も順調に進み、第一回目は3月にケンブリッジで開催。その後は交互
に行われることになった。
終わりに・提
案
ディヴィス・センター滞在の経験を元に、今後スラブ研究センターで進めていきたい提案がある。
1.冷戦研究と出版の目標を日本や海外の他の冷戦研究機関とともにある程度コーディネートして決定する
2. スラブ研究センターの客員研究員の選定は、センター内での教育・研究課題を鑑みて行う
3. 歴史と時事問題の関連性に常に目を向け、政策的にも価値の高い研究成果をあげる
4.
共通の研究課題を軸にする従来の学会の企画だけではなく、世代・研究分野を越える学者間のつながりを深めるような「記念」学会を開くことにより、効率性の
高い意識的なユーラシア研究分野の発展を促す
*なお、エッセイの内容は、スラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、
筆者個人の見解です。
[研究
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