スラブ・
ユーラシアの今を読む-第2回
南オセチア紛争:非承認国家問題の正しい理解を
宇
山智彦
南オセチ
アが戦争状態となり、アブハジアにも一部波及したことで、「凍結した紛争」または「非承認国家問題」と呼ばれる問題に久しぶりに注目が集まっている。この
問題は、両地域に加えナゴルノ・カラバフ、トランスニストリアという旧ソ連の4地域を、15年以上にわたって苦しめてきた問題である。しかし、日本での報
道や反響を見る限り、この問題の本質が十分に理解されているとは思えない。旧ソ連地域での勢力を再拡張したいロシアと、グルジアへの関与を通じて勢力を広
げたい米国の対立、というのはこの問題の一側面でしかなく、併せて現地の状況に関する綿密な理解が必要である。
実
質的には既に分離:「領土保全」と「現状維持」の矛盾
日
本の報道では南オセチアに「グルジアからの分離独立を目指す」というような形容が付けられるが、これは不正確である。1990-92年の紛争の結果実質的に分離し、独立国と名乗ってい
るが、国際的に独立を認められていないため承認を求めている、というのが現状である。
こ
のことから、対立する当事者たちは、別々の論理を使って自分の行動を正当化できることになる。グルジアは、国際法的に南オセチアがグルジア領である以上、
実効支配を回復するためには軍事を含むさまざまな手段を使ってよいという立場を取る。
し
かし現実問題として、長年にわたって事実上分離している地域を戦争によって再統合するのは、アブハジアから台湾に至る世界のさまざまな地域の紛争にとっ
て、危険極まりない先例となる。欧米諸国や日本の政府は、グルジアの「領土保全」を常に重要事項として掲げるが、これがグルジア側の武力行使を正当化する
ものではないという留保をつけない限り、同じ論理で中国が台湾に侵攻できるのだということを忘れてはならない。その意味で、武力行使による現状変更を許さ
ないためには武力で押さえ込むしかないというロシアの立場も、全く理がないわけではない。
ま
た、そもそも南オセチア紛争は、ソ連時代末期の1990年、グルジアが独立を求める動きを強めたのに対し、
オセト人が自分たちは18世紀に自発的にロシア領に入ったのであり、グルジア
領に入ったわけではないとして、民族自決権に基づき、自治州から共和国への昇格とグルジアからの分離を宣言したことに始まる。オセト人とアブハズ人は文化
的にも行政的にもグルジアへの統合度が低く、むしろ北コーカサスやロシアとのつながりが強かったため、「グルジア国民」になることに相当の抵抗感があった
ようである。これに対し、グルジアはこの宣言を自らの主権を侵害するものと見なし、自治州の廃止を決議したのである(従って、日本の報道で用いられる「南
オセチア自治州」という表現は、当事者の誰も使っていない不適切なものである)。
こ
のように南オセチアをめぐる事態は、「領土保全」と「現状維持」の矛盾、「国家主権」と「民族自決」の矛盾を抱えたものであり、これは他の非承認国家問題
にも基本的に共通する。このような構図の中では、当事者のうちどちらが悪いのかは単純に決められない。
独
立派政権の実態とグルジアの攻撃的態度
南
オセチアの問題を特に複雑にしているのは、全域を独立派政権が支配しているわけではなく、グルジア側の管理下にある地方も随所に存在することである。どこ
が独立派の支配地域でどこがグルジア側の支配地域なのかも立場によって微妙に見解が分かれ、明確な停戦ラインがあるわけでもない。
特
に首都ツヒンヴァリ(オセチア側の表記ではツヒンヴァル)は、三方からグルジア側支配地域に囲まれている。そのためいったん緊張が高まれば衝突が起きやす
い。それが現実となったのが、「バラ革命」後の熱気の中で領土回復を掲げるサアカシュヴィリ大統領の指揮のもと、2004年7月にグルジア軍が行った攻撃である。12年間沈静化していた武力衝突を再燃させたのがこの攻
撃であったというのは、重要なポイントである。「領土回復」は、国内に政治的対立を抱えるグルジアにとって、国民を団結させるのに効果的なスローガンであ
り、その後もグルジアは折に触れアブハジアと南オセチアに対して攻撃的な態度を見せてきた。
独
立派政権はもともとロシアの支援に相当頼っていたが、2004年以降グルジアからの圧力に対抗するかのようにロシ
ア軍との関係をますます深めた。そして首相と軍・治安関係の閣僚・長官はみなロシア出身者という、グルジア側からの「傀儡政権」という批判に大いに根拠を
与えるような構成になってしまった。これは、同じ親ロ政権でも、地元の人々が政権を構成し、ロシアとの一定の距離を保つアブハジアなどには見られない現象
である。
他
方、親グルジア派のオセト人は2006年に「南オセチア臨時行政府」を形成した(正確に言
えば、独立派の前政権の閣僚の一部が、ココイトゥ現大統領と対立して寝返ったということである)。南オセチア内のグルジア人を主な基盤とし、グルジア政府
の全面的な支援を受けたこの行政府が、ツヒンヴァリから5キロ程度しか離れていないクルタ村に置かれたこと
も、緊張のもととなってきた。
国
際社会の責任:実務レベルでの仲介が必要
日
本の報道は、北京五輪に合わせて突然戦争が始まったかのような印象を与えているが、実際は南オセチアとアブハジアをめぐる緊張は、2004年以降、一進一退を見せながら徐々に高まってきたも
のである。2008年7月初めにグルジア軍と
独立派政権の間で砲撃戦が起きて以降、特に南オセチアでの
対立がエスカレートした経緯については情報源によって見方が異なるし、特に8月に戦争状態となってからの状況は、まさに情報戦争
の様子を呈している。ロシアの爆撃を受けたグルジアの町の被害についてのリアルな映像が世界中に流される一方で、はるかに多くの犠牲者が出た南オセチアの
状況があまり報道されないのは、ロシア軍の攻撃をやめさせるのが焦眉の課題である現時点(8月12日)の状況ではやむをえないとは言え、一連の事態の
理解を誤らせかねない。
事
態悪化の責任について言えば、この数年来好戦的な姿勢を捨てなかったグルジア、ロシア、独立派政権の責任はもちろん、親欧米的なサアカシュヴィリに心情的
に肩入れして仲介に本腰を入れてこなかった、欧米をはじめとする国際社会の責任も重大である。特に、既に緊張が高まっていたにもかかわらず7月に予定通りグルジア兵の訓練を実施して、グルジア
を軍事的に支援している印象を与えた米国は軽率であった。グルジアがツヒンヴァリを占領した直後の8月8日朝に、国連安保理はロシアの提案により緊急会議を
開いたが、その席で米国の代表が、ツヒンヴァリ占領という目の前の事態よりも、ロシア軍の南オセチアへの関与という長期的な問題の方に批判の刃を向けたこ
とも、事態収拾への意欲に疑問を持たせるものであった。
も
ちろん、その後開始されたロシアのグルジア本土への攻撃はただちに停止されなければならない。また、見落とされがちだが重要な問題は、南オセチアの中でこ
れまでグルジアが支配してきた地域にもロシア軍が入り込み、制圧を始めたことである。その中心になっているのは、チェチェンで独立派や一般市民に対して過
酷な掃討を行ってきたことで悪名高い「ヴォストーク(東)」「ザーパド(西)」の2部隊らしい。これは、現状維持というロシア自身の論
理に反するものである。7月までの独立派とグルジア側の支配領域の区分が回復
されるべきである。
ロ
シアによるあまりにも大規模な武力行使は、いったん軍事行動を始めると相手に壊滅的なダメージを与えるまで止まらないというロシアの悪い癖を現していると
同時に、武力行使の節度を見失いがちな世界全体の病理をも示している。南オセチアを攻撃する基地になりうる場所を無力化させるのだ、というロシアの説明
に、コソヴォ紛争の解決のためだといってユーゴスラヴィア各地を空爆したNATO、「テロリスト」を壊滅させるためだといってアフガ
ニスタンとイラクで多大な犠牲を伴う戦闘を展開した米国は、有効に反論できるだろうか。場合によっていわゆる「人道的介入」が必要なことはありうるにして
も、その規模と範囲の限定の仕方を、世界各国は真剣に考える必要がある。
今
回の事態は、長年小康状態を保ってきた「凍結した紛争」でも、状況によって熱い戦争になりうるのであり、真剣な取り組みが必要であることを示した。当事者
の一方が100%満足するような解決策はあり得ず、妥協点を見出す
べき時である。旧ソ連の人たちは一見強硬に見えるかも知れないが、時として思い切った妥協をする能力を示してきた。旧ソ連諸国と中国の間の領土問題が
「フィフティ・フィフティ」を原則とする実利的な方法で解決されたことは、センターの岩下明裕が繰り返し述べてきたことであるし、タジキスタン内戦(1992-97年)の終結の際にも、旧反政府側に政府ポストの3割を与えるという思い切った策がとられた。
国
際社会の関与を考えるうえで重要なのは、タジキスタン内戦の時と同じく、関係国・大国はまず紛争解決の必要という一点で合意すべきであり、具体的な交渉の
仕切り役は、国連などで仲介交渉の経験がある実務家に任せ、当事者たちをテーブルにつけて粘り強い話し合いをする必要があるということである。大国のメン
ツがぶつかり合う国連安保理のような場で、誰が悪いかをいつまでも議論していても仕方がなく、具体的・実務的な話し合いを早く始めなければならない。今回
の悲劇的な事態を奇貨として、国際社会が力を合わせて、冷静に非承認国家問題に取り組むことを望みたい。
(8
月12日記)
【追
記】
本稿を書
いた後、ロシアのメドヴェージェフ大統領が軍事作戦終了を宣言したのに続き、フランスのサルコジ大統領の仲介により、ロシアとグルジアが紛争調停
の諸原則に合意した。多くの犠牲を出した後とはいえ、比較的短時間で停戦した当事国の決断と仲介国の努力は、一定の評価を受けるべきだろう。
合意の中
に武力不行使の条項が入ったことは、これまでサアカシュヴィリ政権がアブハジアと南オセチアへの武力行使の可能性を常に留保してきたことを考えれ
ば画期的だが、非承認国家問題を国内問題と解釈する同政権の立場は変わっていないため、この条項がグルジアの行動をどのくらい縛ることができるかは微妙で
ある。また、今のところ南オセチアの独立派政権がこの合意の直接の当事者となっていないことにも注意が必要である。もしグルジアと独立派政権の間で武力衝
突が再発すれば、ロシアは介入をためらわないだろう。そのような事態にならないために、国際機関の監視のもとで、独立派政権も参加する明確な停戦メカニズ
ムを早急に作る必要がある。
断片的に
入る情報では、南オセチアは、オセト人地区もグルジア人地区も、ほとんどの建物が損傷を負い、電気もガスもなく、大量の避難民が出ているという悲
惨な状況である。既にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が救援物資の輸送を開始したとのことだが、世界各国が積極的に援助に乗り出す必要があろう。
他方アブ
ハジアでは、これまで唯一グルジアが実効支配していたコドリ(アブハジア側の表記ではコドル)渓谷を、この合意の直前に独立派政権が占領したまま
である。この地域は、1990年代末以降しばしば小規模な衝突の舞台となっており、特に近年グルジアが1994年の停戦協定に反してこの地域に兵力を展開
しているという疑惑は、グルジアとアブハジア、ロシアの緊張を高める大きな要因となってきた。アブハジアの独立派政権も今回の合意の当事者ではなく、しか
もタフ
な交渉能力で知られているため、コドリ渓谷の原状回復には紆余曲折が予想される。
今回の合
意案から、南オセチアとアブハジアの将来的地位について国際的議論を始めるという部分が、グルジアの反対で削除されたことは、合意の早期達成を優
先する必要があった以上やむを得ない。しかし、コドリ渓谷の問題を含め、コーカサス地域の安定を確保するには、独立派2政権の位置づけを遅かれ早かれ国際
的に議論しなければならないはずである。重要なのは、グルジアやロシアの指導部の立場を尊重しつつも、そのレトリックに踊らされることなく、南オセチアと
アブハジアに現に住む人々(そこには少なからぬグルジア人が含まれる)や難民の目線に立った解決を考えることである。
(8
月13日記)
宇山 智彦(うやま ともひこ)
北海道大
学スラブ研究センター教授
東京大学
教養学部卒業。東京大学大学院博士課程中退。在カザフスタン大使館専門調査員、北海道大学スラブ研究センター助教授などを経て、2006年11月から現
職。専門は中央ユーラシア近代史・現代政治。主著に『講座スラブ・ユーラシア学第2巻
地域認識論』(編著、講談社)、『中央ユーラシアを知る事典』(共編、平凡社)、『中央アジアを知るための60章』(編著、明石書店)、『中央アジアの歴
史と現在』(単著、東洋書店)など。
*なお、エッセイの内容は、スラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、
筆者個人の見解です。
●グルジアのボチ港(廣瀬陽子撮影)
[研究
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