スラブ・ ユーラシアの今を読む-第1回


最近のグルジア情勢によせて

廣 瀬陽子  


2008 年8月8日、グルジア・南オセチア間の紛争再燃を契機に、ロシア軍もグルジアに対する攻撃を始めた。オリンピック開幕式が華やかに行われる中、同時にコー カサス地域の小国・グルジアでは激しい戦闘が勃発したのである。

紛争の背景
この衝突 の最初の舞台となったグルジアの南オセチアは、旧ソ連に4つあるいわゆる「未承認国家」(南オセチアのほか、同じくグルジアのアブハジア、アゼルバイジャ ンのナゴルノ・カラバフ、モルドヴァのトランスニストリア)の一つである。これら「諸国」は本国からの独立を主張し、それぞれの本国と紛争をしたが、ロシ アの支援で事実上の勝利をし、その後、国家の体裁を整え、国際承認を求めているものの、承認が得られないために、未承認国家と呼ばれている。そして、それ らの地域は国際承認が得られなくとも、ロシアに全面的に守られて(ナゴルノ・カラバフは若干状況が異なる)、本国からの主権が全く及ばない状況になってい る。本国からしてみれば、不当に「領地を占拠」されている状態が続いており、紛争の折に「浄化」された難民・国内避難民の問題も解決されないまま、停戦状 況が続いている。そのため、これら4つの「未承認地域」の紛争は、「凍結された紛争(Frozen Conflict)」と呼ばれてきた。 凍結された紛争は、常に凍結されていたわけではもちろんない。小規模な衝突はしばしば報じられてきたし、2007年夏にはアブハジアとグルジアの間でかな り大きな衝突も起きていた。しかし、いくら「凍結された紛争」が一時的に不安定な状態になっても、ロシアが全面的に攻撃に参加することはこれまではなかっ た(グルジア、南オセチアなどの衝突においては小規模の関与はこれまでもあったが)。そのため、今回のロシアの全面的な攻撃への関与は、「凍結された紛 争」が初めて解凍されてしまったことを意味する。
しかし、今回の衝突は、部分的に予測できたことでもあり、他方、想定外のことが非常に大きかった。まず、ロシアとグルジアの関係はもともと非常に緊張して いた。グルジアはとりわけこれら未承認国家をロシアが支援している問題で、反ロシア的傾向が強い一方、顕著な親欧米路線をとり、EUやNATOへの加盟を 積極的に目指していた。特に、ロシア、およびロシアに配慮するドイツ、フランスの反対で2008年12月に再度検討されることになってしまったものの、 2008年4月には、グルジアはウクライナとともにNATO加盟の登竜門であるMAP(加盟行動計画)が適用される予定であったことも、NATO拡大を警 戒するロシアをいら立たせていた。さらにグルジアが反ロシア的機構とされるGUAM(グルジア、ウクライナ、アゼルバイジャン、モルドヴァという加盟国の 頭文字をとっている)や民主的選択共同体:CDC(GUAMを源流とする民主化を目指すグループ)などを先導し、ロシアが大反対をしていたロシアを迂回す る石油パイプラインであるBTC(バクー・トビリシ・ジェイハン)パイプラインを推進し、それによって大きな利益を受けていることにもロシアは大きな憤り を感じていた。そのため、ロシアは再三にわたり、グルジアに対し禁輸政策やすべての交通や物流の停止などの制裁的措置を取り、エネルギー供給や価格操作に よる締め付け、さらに未承認国家への支援などでグルジアを苦しめてきたのである

サアカシュヴィリの目算 プーチンの苛立ち
2003 年の「バラ革命」で政権をとったサアカシュヴィリ大統領の最大の懸案事項が「未承認国家」の奪還であったことは間違いない。実際、彼は着任後、すぐに未承 認国家ではないが、グルジアの主権が実質的に及んでいなかったアジャリアの奪還に成功した。それに気を良くして、次に南オセチアの奪還を目指し、小規模な 衝突がおこったが、それは成功しなかった。グルジアは基本的に、アブハジア問題の解決は非常に困難であるが、南オセチア問題の解決は相対的に容易であると 考えており、逆に南オセチア問題を解決できれば国内の未承認国家問題をすべて解決できるかもしれないという期待を常に持っていた。実際、2005年頃には 交渉プロセスがかなりいい方向に進み、解決も間近ではないかとすら言われたこともあったのである。
しかし、前述のように2007年にはグルジアとアブハジアの間で軍事衝突が起き、さらにロシアがアブハジアから数十キロメートルのロシア領ソチでの 2014年の冬季オリンピック開催を決めたこと、さらに2008年2月にコソヴォが独立宣言をしたことにより、グルジアの未承認国家問題は再び急激に大き な緊張をはらむようになっていった。まず、ロシアはソチ五輪の準備や開催にアブハジアを利用しようとした。つまり、アブハジアを後方支援地にし、さまざま なオリンピック建設資材や開催時の様々な物資などをアブハジアから輸送しようとしたのである。それと同時に、アブハジアに多くの工場などを建設しはじめ た。このことは、グルジアを大変刺激した。グルジア領をロシアがわがもの顔に使うことへの反発に加え、さらに、アブハジアがオリンピック特需でさらに豊か になれば、ますます独立機運を高めることへの危惧も強まったからである。
他方、ロシアはコソヴォの独立に反対していたにもかかわらず、多くの欧米諸国がコソヴォ独立を支援したことに反発し、欧米がコソヴォの独立を支援するので あれば、ロシアもグルジアの未承認国家の独立を支援するというような立場を取り始めたのである(ただし、ナゴルノ・カラバフについては特に言及せず、トラ ンスニストリアの独立に対しては冷淡な態度をとっていた)。プーチン大統領(当時)は、公的には「グルジアの領土保全と国家主権を尊重する」と表明しつつ も、実際にはグルジアの未承認国家への支援を強めていったし、結局のところは大統領が認めなかったもののロシア下院はグルジアの未承認国家を国家承認する 決議を出すなど、グルジアを刺激する状況が継続したのである。
そのような状況の中、アブハジアとグルジアの関係は特に緊迫していった。ロシアはアブハジアへのPKOを増派し、アブハジアは5月頃に数回にもわたって、 グルジアの偵察機を撃墜するなど、軍事衝突が危惧されていた。そのため、ある意味、グルジアとアブハジア・ロシアの間での紛争勃発は予想されていたもので あったが、南オセチアでの紛争勃発の可能性は相対的に低いとみられていた。今回、南オセチアとグルジアの間で交戦が開始され、それにロシアが全面的に関与 し、グルジアを攻撃して、両国間の総力戦になりつつあるという事態は筆者にとっても想定外であった。

オリンピック――格好の隠れ蓑
今回の紛 争勃発の経緯についての事実関係は情報が錯綜しており、現時点(2008年8月10日)では、明確に示すことができない。グルジア側の情報をごく簡単に要 約すれば、8月1日より南オセチアによるグルジア軍やグルジア系住民に対する攻撃が始まり、8月7日にグルジアが一方的停戦を呼びかけたが、南オセチア側 が攻撃をやめないため、8月8日にグルジアも戦闘状態に入ったということであるが、停戦を宣言していた時間にもグルジア側からの攻撃もあったようであり、 グルジアの情報も文字通り受け取ることはできないだろう。とはいえ、南オセチアおよびロシアからの情報も極めて極端であり、そちらを文字通り受け取ること も危険である。これら経緯を明確にするにはもう少し時間が必要であると思われる。
しかし今回の紛争勃発が計画的に引き起こされたということは間違いないだろう。まず、オリンピックに世界の関心が集中しているなかでの紛争には世界の目が 集まりにくく、攻撃への批判も起こりにくい。さらに、五輪の開会式出席のため、北京にはブッシュ米大統領、プーチン露首相、そして世界の首脳陣が集まって いた。もし、今回の紛争を仕掛けたのがグルジアだとすれば、グルジアに好意的なブッシュがプーチンにグルジアに攻撃をしないよう直接たしなめてくれること を期待したかもしれない。実際、グルジアにとっては色好い結果は得られなかったが、ブッシュとプーチンはこの問題について北京で直接会談をした。また、今 回のグルジアの南オセチア侵攻をアメリカが事前に知っていた可能性も高いと思われる。アメリカは2001年の9.11事件後、グルジアのテロ対策能力を高 めるという名目で、グルジア軍を訓練するための米軍を送り込んでいるが、今回の紛争の直前である7月半ばにアメリカ軍は1000人もグルジアに増派されて いたのである。米軍の増派とグルジアの紛争は全く無関係だとされているが、それを証明することはできない。しかも、国連が関係三者(グルジア、南オセチ ア、ロシア)に攻撃停止を求める決議案を出そうとしたときにも、グルジアとグルジアに与するアメリカが反対し、結局国連は何もできずにいたのである。
それでも、現在最も危惧すべきことは、グルジアとロシアの戦争のエスカレーションである。ロシア側は、南オセチアのPKOの役割を担っているという立場 上、また南オセチアにいるロシア国民(ロシア国民と言っても、もともとはグルジアに属していた人々である。ロシアは南オセチアやアブハジア住民にロシアの パスポートを与えており、両地域の90%以上がロシア国籍を有し、ロシアの国政選挙にも参加している)保護のために、攻撃をやめないという強い意志を表明 している。また、グルジアも8月9日に15日間の「戦時状態」を宣言して、総力戦の様相を呈してきた。国際社会は停戦を求めているが、ロシアもグルジアも それを受け入れる様子はない。ロシアの攻撃は、南オセチアのみならずグルジア国内のいくつかの拠点に及んでおり、BTCパイプラインも攻撃された(損傷は なかった模様)。さらに、北オセチア、アブハジア、トランスニストリアなどから南オセチアに義勇軍が集結しており、アブハジアからグルジアへの攻撃も始ま り、紛争は泥沼化の様相も呈してきた。

鍵を握るロシアの今後
しかし、 この紛争のエスカレーションはロシアもグルジアも決して望んでいないはずである。グルジアはアメリカに期待しているのだろうが、アメリカがグルジアのため にロシアに参戦することは現時点では考えにくい。アメリカの関与で想定できるのは、グルジアの「70年代のアフガン化」程度であろう。他方、ロシアが本気 でグルジアを攻撃すれば、グルジアは壊滅状態になりかねない。逆にロシアがそこまでグルジアを攻撃すれば、ロシアも国際的制裁を受ける可能性が出てくる。 石油・天然ガスで経済の活況を享受しているロシアであるが、戦争により不買運動なども起こりかねない。さらに、せっかく2014年のソチ五輪開催を勝ち 取ったのに、モスクワ五輪の悪夢、つまり多くの国のボイコットが起こる可能性などもある。そうだとすれば、両国ともに戦争のエスカレーションは望んでいな いはずだ。
とはいえ、ロシアの今回のグルジア攻撃にはかなりの強い思いも見て取れる。前述のように、これまでロシアはグルジアに対する憤りを募らせてきた。ロシアは グルジアに対する制裁的措置を常にとってきたが、それでも「へこたれない」グルジアにかなりの鬱積がたまっていたはずである。そのため、これまでの怒りを すべてぶちまけて攻撃しているような気がするのである。たとえば、今のところは損傷にいたっていないとはいえBTCパイプラインを攻撃したというのも象徴 的なことである気がする。BTCパイプラインを攻撃すれば、ただでさえエネルギー価格にあえぐ世界から大きな批判が起こるはずだ(ちなみに、これとは全く 別の話であるが、8月5日にBTCパイプラインのトルコ部分がクルド人過激派の攻撃を受け、BTCパイプラインは8月10日現在で停止している)。それで もあえてBTCパイプラインを攻撃した背景には、ロシアがBTCパイプラインやロシアを排斥する動きにどれだけ苛立っていたかがよく分かるように思われる のである。
ロシアにとって南コーカサスはもはや外国であるが、ロシアは旧ソ連地域を支配権として維持したいという強い思いを持ち続けてきた。そのためにロシアから離 れようとする国に対しては厳しい態度で制裁的措置を取ってきたのである。今回のグルジア攻撃はその集大成であるかもしれない。
特に、グルジア、そしてウクライナがNATOにもうすぐ加盟してしまいそうなこのタイミングにグルジアを攻撃すれば、グルジア(とおそらく同列で扱われる ウクライナ)のNATO加盟を極めて難しくできる。なぜなら、NATOは同盟国が攻撃された場合、NATO軍が支援しなければいけないため、ロシアと戦争 をするような国をNATOに加盟させれば、それはまさに第三次世界大戦に発展しかねないからである。
また、ロシアはメドベージェフ大統領の「強さ」を見せ付けておきたいということもあっただろう。旧ソ連諸国は、プーチン前ロシア大統領に非常に脅威を感じ ていたため、プーチンの存在は旧ソ連の「たが」をはめる役割を大いに担っていたといってよい。しかし、メドベージェフ大統領に政権が代わっても、強いロシ アを印象付けることは、旧ソ連諸国の「離反」を防止するだけでなく、ロシア国内の締め付けにも大変有効である。特に、最近、北コーカサスの情勢が非常に緊 迫しているという。プーチン大統領の傀儡であったチェチェンのラムザン・カディロフ大統領の統制力が落ち、またチェチェン独立派の動きがチェチェンを超え て、北コーカサス各地に飛び火し、北コーカサス全域で不安定化が進んでいたのである。南北コーカサスは、非常に密接に関係している。グルジアに対するロシ アの強い姿勢を見せれば、北コーカサス情勢の沈静化にも役立つはずである。このように考えれば、ロシアの対グルジア攻撃はある意味「見せしめ」的な要素も 強いと思われる。
このように、今回のグルジア情勢の緊迫化とロシアの対グルジア攻撃は、ロシアの外交のみならず、国内政治にも大きな意味を持っており、また国家としてのグ ルジアとロシアの意地がぶつかるものであり、容易に解決はできないかもしれない。まだ紛争勃発から日が浅く、情報も錯綜していることから、今後の展開につ いて明確なビジョンを提示することはできないが、一般人の死傷者も大変な数に上っていることから、一日でも早い解決が望まれる。

(8 月10日記)


廣瀬 陽子(ひろせ ようこ)

北海道大 学スラブ研究センター客員准教授
静岡県立大学国際関係学部准教授

慶應義塾 大学総合政策学部卒業。東京大学大学院博士課程単位取得退学後、東京外大准教授などを経て、2008年4月から現職。博士(政策・メディア)。専 門は国際政治・コーカサス地域研究。主著に『旧ソ連地域と紛争』(慶應義塾大学出版会)、『強権と不安の超大国・ロシア』(光文社新書)、『コーカサス: 国際関係の十字路』(集英社新書)など。

*なお、エッセイの内容は、スラブ研究センターを始め、いかなる機関を代表するものではなく、 筆者個人の見解です。

●グルジアの共和国議会(廣瀬陽子撮影)

グルジアの共和国議会

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