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第4回百瀬フェロー決まる
北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター百瀬フェローシップ
第4回百瀬フェロー決まる
百瀬宏・津田塾大学名誉教授のご寄付に基づき設立された百瀬基金による、第4回百瀬フェローがこの度、決定しました。百瀬フェローシップは、スラブ・ユーラシア地域を研究するテニュアを目指しているポスドクの方を対象とした研究奨励制度です。このたびはセンターで慎重に審議した結果、坂田敦志さんに2024年10月より、百瀬フェローの称号が与えられることになりました。ひきつづき、多くの方々の応募をお待ちしています。
選考講評
採択者:坂田敦志(さかた・あつし)
研究課題名:2010年代後半から2020年代前半にかけてのチェコ共和国における排外主義的言説およびナショナル・アイデンティティの再編プロセスについての研究
坂田敦志氏の研究は、文化人類学的な手法に依拠しながら、2010年代半ばの「難民危機」以降にチェコにおいて形成された排外主義的な言説・情動が、2020年代前半のロシアによるウクライナ侵攻以降の政治劇文脈の中でいかに再編されつつあるか、そしてその中でチェコのナショナル・アイデンティティがいかに組み替えられつつあるかという問題について検討しようとするものである。ここではかねてから議論されてきた「西欧への回帰」の物語と排外主義的言説とがいかなる形でぶつかり合い、またその過程においていかなる形で再編されてきたかについて歴史的経緯を踏まえつつ分析を行うことを試みようとするもので、これによりチェコのみならず現在の中東欧諸国の政治のあり方、あるいは欧州全体の地政学的な状況を広く捉えようとする試みが評価の対象となった。方法論がやや抽象的で具体的にいかなる形で研究を進めていくのかという点での疑問は提起されたが、この点はこれから研究を開始するという点でやむを得ないところもあり、研究を実際に進めていく中で具体化されていくものと想定される。優れた成果が刊行されることが期待される。
採用にあたっての抱負
この度、第4回百瀬フェローシップにご採用いただき、大変光栄に存じます。審査にあたられた先生方、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。
私はこれまで、1989年に「ビロード革命」を経て社会主義体制から資本主義体制への転換を遂げたチェコ共和国において、ナチス・ドイツによる占領時代(1939年~1945年)や社会主義時代(1948年~1989年)にまつわる記憶が、1989年以降の新たな秩序のもとでの人々の日常生活にどのような影響を与えてきたのかを、当国の政治・文化事象を題材に明らかにしようと試みてまいりました。
この試みは大きく2つの研究分野に位置づけられます。1つはポスト社会主義人類学、もう1つは「西欧」と「東欧」をめぐる地政学的な想像力についての学際的な研究分野です。1989年の「東西冷戦」の終結以降、洋の東西をめぐる地政学的な想像力は過去のものとなったように思われましたが、2010年代半ば以降のロシアによるクリミア半島併合やウクライナ侵攻などの出来事をきっかけに、こうした想像力が再び強力な喚起力を伴って人々の心を捉え始めています。チェコもその例外ではなく、スロヴァキアを介してウクライナに接するその地政学的なポジションから、こうした想像力の影響を受けやすい地域と言えます。実際、チェコの人々は自らが暮らす地域を、19世紀半ば以降、「西欧」と「東欧」のあいだに位置する「中欧」と名づけ、「中欧人」としてのアイデンティティを育んでまいりました。1989年以降は、「西欧への回帰」という標語に見られるように、「東欧」によって奪われた「西欧」性を取り戻すという物語が、ポスト社会主義(以後)の時間・空間の編成に大きな影響を与えてまいりました。これまでに私は、ポスト社会主義(以後)の時間・空間がこうした地政学的な想像力によっていかに支えられてきたのかを明らかにしようと試みてまいりました。
現在の私の関心は、① 2010年代半ばの難民危機を背景にV4(ヴィシェグラード四か国)と呼ばれる中東欧諸国(ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー)で急速に進行した政治の非リベラル化、さらには ② 2020年代前半のコロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻を背景とする排外主義的言説・情動の再編など、2010年代半ばから2020年代前半にかけてのチェコ社会に生じたドラスティックな変容をいかに捉えるかという点にあります。そしてこのテーマこそ、百瀬フェローシップにおいて私が取り組もうとしている課題となります。
この課題を私のこれまでの研究と関連づけますと、その主眼はポスト社会主義以後の時間・空間が編成される論理を明らかにすることとなります。ポスト社会主義以後とは、ポスト社会主義に対置される概念であり、私はこれまでの研究のなかでポスト社会主義を、社会主義時代の記憶が現在の「われわれ」の位置を特定する際にもっとも重要な参照元とされる時間・空間と定義し、ポスト社会主義以後を、社会主義時代の記憶がそうした特権的な役割を喪失しつつある時間・空間と定義してまいりました。しかし、ポスト社会主義以後において社会主義時代の記憶が完全にその役割を失ってしまったというわけではなく、むしろ社会の最深部にしぶとく潜在し、思わぬ形で現在の政治・文化現象に影響を与え続けているものと考えております。百瀬フェローシップのもとで研究させていただくこの一年間では、社会主義時代をはじめとする過去の記憶との葛藤や折衝の痕跡を射程に収めつつ、2010年代半ば以降の政治の非リベラル化や排外主義的言説・情動の再編といった新たな政治・文化現象を、人々の日常的な生活実感をたよりに解明するための視点を探し当てられればと考えております。
百瀬フェローシップの理念に則り、微力ながら中東欧研究の発展に貢献できるよう、全力で研究を進めてまいる所存です。一年間、何卒、宜しくお願い申し上げます。