中国における旧ソ連研究
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ソ連時代の「学界」をめぐる様相に関しては、岩下明裕『「ソビエト外交パラダイム」の研究−社会主義・主権・国際法−』国際書院、1999年を参照。
E. Bazhanov, “Russian Policy Toward China,” in P. Shearman, ed., Russian
Foreign Policy Since 1990 (Boulder,1995), pp.161-163.
岩下明裕「中露『戦略的パートナーシップ』と国境交渉」伊東孝之・林忠行編『ポスト冷戦時代のロシア外交』有信堂、1999年、150頁。
《 》(海外版),1999年6月3日。
1998年からのロシアの金融危機は中露の経済関係に深刻な打撃を与えているが、その例外が武器売買と極東貿易といわれる。前者に関しては、ロシア側がこれまで自国の安全保障上の理由から輸出をためらってきたスホイ30の取引もプリマコフ首相時に合意されたという情報がある。またシベリア研究所のは、ロシアが購買力低下や外貨不足に苦しむ今こそ、安価な中国製品の輸出や労務も含むバーター取引復活のチャンスととらえている( :《 》,《 》,1999年,第1号,第29-31頁)。
岩下前掲「中露『戦略的パートナーシップ』と国境交渉」184-187頁。
:《
−
《 》 》,《 》,1998年,第5号,第80頁。
宇山智彦「中央アジアの地域構造と国際関係」『ロシア研究』第28号、1999年、51頁。
秋野豊「ロシアの南方政策−中央アジアの十字路におけるロシア、ウズベキスタン、中国」『ロシア研究』第28号、1999年、14頁
See, Guangcheng Xing, “China and Central Asia: Towards a New
Relationship,” in Y. Zhang and R. Azizian, eds.,Ethnic Challenges
beyond Borders (New York, 1998). また中国の中央アジア専門家の議論を整理したものとしては、岩下明裕「中露関係における中央アジア」『山口県立大学大学院論集』第1号、2000年も参照。
:《 》,第84頁。なお、上記の批判にこたえて筆者は続著のなかでは歴史的経緯を多少なりとも補足している(
・ 《 》,社会科学文献出版社,1999年,18-29頁)。
岩下明裕:《 》《 》,1998年,第6号,第42-43頁。
タジキスタン政府に中国との領土問題について訊ねた本田良一氏(『北海道新聞』モスクワ支局長)によれば、「その種の問い合わせには応じられない」ととりつくしまもない対応だったという(本田良一からの電子メール(私信)、1999年11月22日)。
《 》(海外版),1999年8月27日。
すでに紹介した、 ・
《 》と並んで、
《 》,
、
《 》,
がほぼ同時に「三部作」として刊行された。
からの聞き取り(岩下)、北京、1999年7月29日。